第十六話 「お金と幸せ」
俺は今日も黄色のエプロンを羽織って店に立つ。
「「「いらっしゃいませー!」」」
俺と母さんと茲竹さんが同時に挨拶する。入って来たのは常連の東郷丈介さんだった。
「よォ兄ちゃん、今カウンター空いてるか」
俺はいつものカウンター席を確認し、空いてますよ、と言った。東郷さんは席に着きながら「いつもの」と頼んだ。俺はみつばらぁめんときなこ餅を厨房にオーダーし、レジ横の椅子に座った。
「兄ちゃん、友達は出来たかィ」
「まぁ一応、出来ました」
俺は照れくさくなり、頭をかく。
「一応ってなァ、どういうことだィ」
東郷さんは左肘を机に突いた。手に持った蓮華から垂れたらぁめんの汁が、器の中へと落ちる。カシャン、と厨房の方から何かが落ちる音がした。
「何だか自分でも、友達になっているのかどうかよく分からないんです。なんせ今まで友達がいなかったもので」
東郷さんはうははと笑った。
「そうかそうか、兄ちゃんはまだ若いからな」
「何ですかそれ」
俺は、大人しか分からない事があるんだ、みたいなことを言われた気がして、怒った。東郷さんは俺が怒った様子に気がついたのか、右手を小さく横に振り、違う違う、と言って笑った。
「友達ってのはそういうもんだ。いつの間にか、そう在るものなんだよ。俺とお前の父も、そんな具合だった」
東郷さんの目が、遠くへ向いた。
◇◆◇◆
「茲竹さんを正社員として雇い入れたくない?」
店を閉めた後、母さんは俺を居間へ呼んでそう言った。俺はゆっくりとエプロンを畳む。茲竹さんというのは、うちの創業以来、ずっと雇い続けているバイトの人だ。店が忙しい時には、どんな時にでも駆けつけて手伝ってくれる、信頼の置ける人物で、うちでは重宝している。今時そういう人材は少ないらしい。
「またどうして」
「茲竹さん、この春大学を卒業したでしょう? きっと、纏まったお金が必要になると思う」
そうだな、と俺は頷く。俺は大学の話なんて、微塵も聞き及んでいないのだが。
「やっぱり、安定した仕事があったほうがいいでしょう? 茲竹さんは、就職はできないから、バイトの掛け持ちするって言ってるんだよ? それよりも絶対に、うちに就職させてあげた方がいいでしょう?」
俺は頷いた。
「うちの予算は大丈夫?」
「それは大丈夫。朔はそれでもいい? 茲竹さんが正社員になって、うちで働いても」
「もちろんいいよ。むしろ俺がそれを嫌がるのはおかしいよ」
「なら早速、明日言ってあげよう」
母さんは嬉しそうにエプロンを握り締めた。
「明日は茲竹さん、休みだろ?」
「あっ、じゃあ明後日か」
嬉しそうな母さんを見て、俺は心から嬉しくなった。六陵高校に入ってから、悪い事が全くない。
六陵高校に入ったのは、大正解だったな。
◇◆◇◆
八年前、2042年のある秋の日。
らぁめんよつばに、茲竹さんがやって来た。茲竹さんは俺を見てふふふ、と笑った。胸に吊るしたロケットペンダントに光が当たって煌めく。
「可愛らしいお子さんですね」
それは恐らく彼女にとっては社交辞令の一つだったのだろうけれど、母さんは本当に嬉しそうに有難うと言って微笑んだ。
その日から、らぁめんよつばは母さんと茲竹さんの二人で切り盛りしていく、らぁめん屋となった。茲竹さんの噂を聞きつけてうちにやってくる客もいて、店は繁盛した。
「嬢ちゃん、頑張るなァ」
東郷さんがそう言って笑う。
「たまの休みくらい取ったらどうだィ」
「私はこれが仕事ですから」
開店前の店内で、食器を確認していた茲竹さんがにっこりと笑った。茲竹さんは、仕事への意識がとても高い。東郷さんは苦笑した。
「どうも、嬢ちゃんと話してると調子が狂わされるなァ。真面目なのもいいことだが、年上の人間は敬うものだって風潮知らねェかィ」
「もうすぐ開店ですから、早く出て行って下さいね?」
嫌みでなく茲竹さんは言う。そうかィ、と東郷さんは言った。
「寂しいねェ」
「ここは私の職場ですから」
およそバイトの人間が言ったとは思えない、いやむしろ本採用の人でも中々言えないであろう台詞を、茲竹さんはさも当然のことであるかのように言った。
俺は茲竹さんを、格好いいと思った。2042年のその時点で高校生一年生だった茲竹さんと比べて、果たして今の俺は格好いいだろうか。
もしそんな風に誰かに聞かれれば、俺は黙って首を横に振るしかないだろう。
それから八年間、三年の高校生活、一年の浪人、そして俺がすっかりと忘れていた四年間のキャンパスライフを終え、茲竹さんは大学を卒業した。その間、水曜日の休み以外、茲竹さんはほぼ休み無く仕事を遂行した。
本当にこういう人材は、今時珍しいらしい。
◇◆◇◆
ある時、茲竹さんは俺に言った。俺が店の手伝いを始めた頃だから、今から三年前の2047年、俺が中一で茲竹さんが大学二回生の時だ。
「お金と幸せ、手に入るならどっちがいい?」
俺は茲竹さんを見上げる。八年前から茲竹さんは、俺をずっと子供のように扱う。それは今も限らない。茲竹さんは、幼稚園の先生のように俺を見下ろしていた。
しばらく考えてから、俺は「幸せ」と答えた。
「俺は、みんなが幸せになってほしい。この首都郊外部に住むディスパワードのみんなが、幸せになれるくらい大きな幸せが欲しい」
俺がそう言うと、茲竹さんはふふふ、と笑った。少し馬鹿にしたような笑いだ。
「でもそれなら、お金でも同じ事が出来ると思わない?」
茲竹さんは腕を組んだ。
「皆に大量のお金を配れば、皆がパワードになれて、幸せになる。結局現代は、幸せがお金で買える時代になったの。幸せもお金も、結局は同じものでしょう」
でも、と俺は反論しようとするが、茲竹さんに鎮められる。
「私はそのためにここにいるの。私の家族に幸せを与えるために、ここでバイトをしているの。それがおかしな物だとは、何も思わないでしょう?」
それは違うよ、と言おうとした俺は、すんでのところで言い止まる。茲竹さんは溜め息を吐いた。
「君もそのうち解るわよ、家族を本当の意味で護ることの出来るものは何なのか。力でも知恵でもない、ましてや気持ちの力なんかじゃない」
俺は茲竹さんを見る。茲竹さんは首に掛けたロケットを握り締め俺を見ていた。茲竹さんの瞳には、確固たる意志が宿っていた。
「お金なんだって。私はそう信じてる」
俺は何も言い返せなかった。茲竹さんの瞳は、間違いなく本気で、これは茲竹さんの一つの人格であったからだ。それに理由は何にせよ、らぁめんよつばで休むこと無く働いてくれる茲竹さんを詰るのは、ひどく非人格的で恩知らずな行為に思えた。
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