第十五話 「三叉路」
三十分後。
俺は第三音楽室前の廊下で、御簾川と宗田さんを待っていた。どうしても俺は、あのチビ男が俺を追い出してまで御簾川たちに話そうとしていた話の内容を知りたかったからだ。
カラカラと扉の開く音がして、御簾川と宗田さんが第三音楽室から出てきた。宗田さんには大きな変化は無いが、御簾川は心なしか疲れた様子だ。
「なあ、何の話をされたんだ」
俺は二人に話しかける。御簾川が首だけゆっくりと俺の方向に向ける。
「白詰くん」
「疲れたあ」
宗田さんと御簾川がそう言う。
「この部活に入るんなら、〝自分の夢〟を固めてから来なさい、だって」と御簾川。
「まだ意志が弱いって、言われた」と宗田さん。
「なんだよ、それ」
「さあね」と御簾川は両手を広げる。
「だけど、いい感じのところだったね」
宗田さんがそう言った。御簾川はため息混じりに頷く。
「ある意味、ね。確かに、部室はなんだかよくわからないけれど、雰囲気はあった」
「二人に渡された、あの紙は何だったんだ?」
「あれ? あれは、入部申請用紙だよ」
「いきなり入部用紙を渡されたのか。つまり、何だ、用紙に名前を記入させられたりしたのか?」
そうじゃないんだけど、と御簾川は言う。
「覚悟ができた者はまたここに戻ってきて記名してくれたまえ、って言われた」
そんな説明では、何が何だかさっぱり分からない。俺は御簾川に詳しい説明を求めたが、御簾川はそれ以上のことを話したがらなかった。宗田さんも、どこか落ち着かない様子で、碌に答えてくれない。俺は二人が何かを隠しているのではないかと訝んだけれど、もしそうだとしても、隠す事が二人のメリットになるとは思えなかった。
◇◆◇◆
俺達は六陵高校と西学園地区駅をゆっくりとカーブを描きながらつなぐ坂を、歩いて降りる。俺達、とは俺と御簾川と宗田さんの三人だ。日は既に暮れかかっており、俺は燃える夕陽に目を細めた。特別夕陽が眩しいからではなく、夕陽によって照らされた、人気のない古ぼけた校舎の群れの輪郭が燃え、俺達を取り囲んでいるように思えたからだ。
俺は御簾川と宗田さんが会話するのを聞きながら、二人に付いて坂を降りていく。その会話の内容は、御簾川が委員長らしく、宗田さんの家の周りの環境だとか生活状況を聞いている、といったもので、およそ対話には程遠いように感じた。
「あたし、探偵に憧れてて」
宗田さんは呟いた。隣にいる御簾川に話し掛けているというよりは、遠くにいる誰かを見て微笑むような、そんな喋り方だった。
「探偵に?それはまたどうして」御簾川はメモ帳を取り出した。
「探偵の人たちは、頼れるから」
頼りになる(・・・・・)ではなく頼れる(・・・)という言い方が少し引っ掛かる。
「探偵に会ったことがあるの?」
「昔一度だけ、家に来た事があるんです」
探偵が家に来る。それが一体どういう意味なのか、俺と御簾川はすぐに気付いた。何らかの事件が、宗田さんの周囲で起こったということだろう。でなければ探偵が家に来る理由は無い。探偵は慈善事業ではないのだから。
俺達非能力者、特にその最貧民層に属する者にとって、そういう事件は珍しく無い。父さんがマンションから飛び降りた時も、警察が動いたに違いない。税金のシステムはまだ生きているから、警察官は能力者、無能力者に分け隔てなく厳粛な捜査を行う。ただ実際の所警察官たちは、チップも渡さない無能力者の遺族には、さもお前たちが殺ったのだろうとでも言いたげな瞳を平気で向けるのだが。
「その時から、こんな風に人を裏で救う、格好いい探偵みたいな仕事をしてみたいなあって思ったんです。それで、この高校に入った後、あの人から勧誘を受けて」
そういって宗田さんはチラシを取り出す。『六陵高校の裏の首領、我が六陵高校推理探偵部へようこそ』と書かれた下にでかでかと魔方陣と箒が描かれた、例の勧誘チラシだ。
俺はそのチラシを見て、思い当たることがあった。もしかしたら六陵高校の裏の首領というのは、たった今宗田さんが言った『こんな風に人を裏で救う、格好いい探偵』と同じ意味なのかも知れない。箒は、学校の手伝い事業の象徴だろうか。そうだとしても、まだ一つ残っている謎があるのだが。
「魔方陣は、どういう意味なんだろうな」
俺は二人の後ろから話し掛ける。二人は驚いたように肩を跳ねさせた。
「深い意味は無いんじゃない?」
御簾川はぎこちなくそう言った。
「そうか」
俺は何となく頷いた。納得でも肯定でも、否定の頷きでもない。疑いの頷きだ。
なぜってその時の俺は、第三音楽室の中で行われた詳細を一切話してくれない彼女たちを、すっかり六陵高校推理探偵部に取り込まれてしまったものと思っていたからである。
◇◆◇◆
俺と宗田さんは、西学園地区駅で御簾川と別れた。御簾川の乗る電車は俺達の乗るそれとは反対方向へ向かうものなのだ。
俺と宗田さんは電車に乗り込む。進行方向左側の窓からは夕陽が射し込み、車内を赤く染めている。俺と宗田さんは、通路を挟み向かい合って、座席に体を沈ませていた。
カタンコトンと小気味よい音を立てて電車は進む。電車がカタカタと揺れるたびに、宗田さんのふわふわとした髪が、左に、右に、春空に揺蕩う菜の花のように揺れる。その動きを視界の端で追ううちに、なんだか眠たくなってくる。車両には俺達以外に誰もいない。前の車両から聞こえる笑い声が、いっそう夕焼けを際立たせ、景色を和らげている。まるで神隠しに逢いに行くような、不思議な気持ちだ。
そして俺と宗田さんは、少し名残惜しく(それは俺だけかもしれないが)、吉舎布駅で電車を降りた。
「宗田さんも吉舎布が最寄りなんだ」
俺が宗田さんをちらりと見やると、宗田さんは控えめに頷いた。
「家、どこらへんなの?」
「吉舎布二丁目の辺り……です」
そうか、と俺は空を仰ぐ。俺の家から結構近い。俺は商店街の向こうだよ、と言うと、宗田さんは少し羨ましそうに、そうですか、と言った。
じゃ、と俺は手を上げ、十字路の一方が湯屋に阻まれた形の、直角的な三叉路で宗田さんと別れた。宗田さんはぺこりとお辞儀をすると、夕闇の通りへと消えて行った。
宗田さんが住む二丁目の辺りは、確か治安が悪かったよな、と俺は思考を巡らせる。あの辺りは、丁度問題児ばかりが集まる北学園地区の生徒が溜まり場にしている地域だ。果たして宗田さんのような弱そうな女生徒が、あんなところをうろついて大丈夫なのだろうか。気になるところだ。