第十一話 「栞…愛、してる」
「以上が、危険地域でーす。みんな、なるべくこういうところには行かないようにね? 何があるかわかんないし。いや、何かあるとしたら、たいていのパターンはあるよね。恐喝とか、カツアゲとか、ゆすりたかりとか。まあとりあえず、特別な用が無い限り行かないこと! 了解? よしオッケ」
つくね先生は俺達の返事を聞く前に、納得した様子で首を縦に大きく振った。何がオッケなのかはさっぱり分からない。つくね先生は、「このクラスは当たりだなぁ」とつぶやいた。教師がそういう事を言っていいものなのか。
「じゃあ一時間目はこれにて終了!お疲れ様~、みんな休憩していいよー、十分間だけだけどね」
つくね先生は鼻を鳴らしながら教室を出て行った。先生のいなくなった教室が、生徒の声でにぎわう。
「やっぱシロサク、ラッキーだなぁ!」
前の席の相模が話しかけてくる。俺の席の隣に腰かけた越貝と俺が、同時に「何がだ?」と答える。
「決まってるだろ、さっきの割り箸くじ引きだよ! 学級委員の御簾川紗希、謎の美少女宗田栞に続いて、ボーイッシュスポーツ女子の酉饗津唯、関西弁の来集蒼香と楽しく会話したんだろぉ!?」
相模は凄い剣幕でそう言う。一体何に興奮しているのか。
「ああ、話した話した」と越貝は深くうなずく。
「俺は殆ど蚊帳の外だっただろ、越貝」と俺はぼやく。
「いいなぁ、シロサクは! ツイてるなぁ!」
「俺もツイてた」と越貝。
「俺はツイてなかったな」
「そっか、タイサクも行ったんだったなぁ! タイサク、あの四人の中だったら誰が好みだ?」
「酉饗だ」越貝は真顔で言う。
「無視されてねーか俺」
「あのスポーツ系女子か! 俺はタイプじゃないけどいいよな! 酉饗っち!」
「いいと思う」と越貝。
「もういいよお前ら……勝手に話してろ」
「シロサクはあの四人の中で誰が一番いい?」
相模がタイミングを見計らったように、俺に話しかけてきた。
「……俺はスレンダーが好みだ」
「酉饗か」と越貝。
「スポーツ系は苦手だ。俺が好きなのは物静かなスレンダーであって、筋肉を兼ね備えたスレンダーじゃない」
「筋肉をバカにするのか」越貝が眉をしかめた。
「いや、これはあくまで好みの話であって、全面的に筋肉を否定してるわけじゃなくてだな」
「筋肉はいいぞ、筋肉は」
越貝は急に眼を輝かせた。「どうした?タイサク」と相模が聞くが、越貝は急に饒舌になり、筋肉の素晴らしさについて滔々(とうとう)と語り始めた。
「まずはあのフォルムだ。筋肉によって再現された、真の肉体美! 美しいプロモーション! 人間の男なら誰しも、美しい女性を求めるのは必然だろう? 筋肉は、純粋な美なんだよ。故に男が肉付きのいい女性を求めるのは必然なんだ! 次に、長時間の野外練習によてこんがりと焼かれた褐色の肌! その色つやの魅力だけでなく、ふくを脱いだ時に現れる真っ白な筋肉! 黒い筋肉と白い筋肉のダブルモノクロパンチで、本場のモノを見れば卒倒すること間違いなしだ! あれこそ全人類の希望であり、至高の宝玉なんだからな」
「ダブルモノクロパンチ…?」「本場のモノ…?」俺と相模は顔を見合わせる。
「そして何と言っても、運動によって体内から皮膚の汗腺を通って排出される、汗! 汗によって輝く女性の体躯は、『水も滴るいい男』と同様、光が降りかかる度に煌き、まるで億千の星々を眺めているような、幻想的な世界へ、俺たちを連れていくんだ! それはまさに宇宙と言う名の一つの世界であり、神なんだ!!」
越貝は、やりきった感の漂う顔をこちらに向ける。
「……えーっと」
俺は言葉に詰まる。このモヤモヤした感情を、どう言えば越貝に伝わるだろう。
俺がその言葉を思いつくより先に、相模がその言葉を言った。
「変態だな、タイサク」
越貝は驚いた顔をした。
◇◆◇◆
二時間目と三時間目は、校内の案内だった。つくね先生に引き連れられ、俺達は校内を端から端まで練り歩く。全ての校舎が五階以上ある上、一つの校舎が結構大きいから、回るのに相当時間がかかった。終わるころには、俺たちはくたくたになっていた。
「せんせぇ、まだ終わんないのー?」
相模が舌を出しながら言う。つくね先生は「まだまだ~」と言って、嬉しそうに階段をスキップしながら降りて行った。元気な人だ。
「なあなあ白詰、宗田ちゃんって可愛い子やな」
来集が俺の近くに寄ってきて言った。
「ん、何だ来集、宗田さんと話したのか?」
「うん、あの子な、白詰のこと、めっちゃ気にしとったで」
来集はそう言いながらにやにやと笑う。
「白詰、あんな可愛い子と、どこで知り合うたん?」
「別に、ちょっと街で見かけた程度だ」
「へ~え」
来集は意味深にうなずく。「ナンパか、そうか」
「え?いや違う、それは無い」
「何や、宗田ちゃんにはナンパする価値も無いんか?宗田ちゃん、そんなん聞いたら悲しむやろな~」
「いやだから、そういう意味じゃなくって」
俺が弁解しようとすると、来集は顔をぐいと俺に近付けた。胸が俺に当たりそうな気がする。ていうか近い。来集の息が俺にかかっている。
「じゃあほんまの事言いーな」
「え?」
「宗田ちゃんも何も言わんかってん。御簾川ちゃんも、あんたに聞いたって言っとったけど、何も答えへんかったんやろ?」
「それは…言うべきことじゃないと思ったから」
「ふ~ん?」来集は俺の顔をジロジロと覗き込む。
「えらい気になる言い方、してくれるな」
その時の来集には、なぜか、他の人には無い、殺気じみた凄みを、感じた。それでいて、子供のような無邪気さも、持ち合わせているようでもあった。
「まあええよ。言いたくないことをわざわざ聞き出したりするほど、野卑な女じゃないし、うち」
そう言って来集は、頭の後ろで手を組んだ。
「宗田ちゃんも話してくれへんかったってことは、それなりに知られたら嫌な事やろうし。それじゃあついでに、他の事聞いていい?」
「何だ?」
「宗田ちゃんの下の名前って何やったかな」
「……栞、だろ」
俺がそう言うと、来集は胸の前で手を組み直した。
「じゃあ、『愛してる』って言ってみてや」
「えぇ? 何でだよ」
「ええから、ほら早く」
「……愛してる」「もっと感情こめて!」「愛してる」「もっともっと、心の底から!うっとりと、聞いた相手が卒倒する感じで」
「…愛、してる」
俺がそう言うと、来集はいたずらっぽく笑った。来集はふふふふと笑いながら、胸ポケットから小さな紫色の機械を取り出し、ボタンを押す。そこから、マイクを通して録音された、ある人物の声が流れた。
「『栞…愛、してる』」
俺は瞬間、硬直した。
「え……。は……うわあああああッ!!? ……うわあああああァァァッ!!」
俺は来集に飛びつき、録音機と思われる紫色の機械を奪おうとした。来集はそれを手を下げることでいとも簡単に回避し、もう一度ボタンを押した。
「『栞…愛、してる』」
「やめろおおおおおおおおおッ!!今すぐ、それを、ヤ・メ・ロォォォォォォォ!」
「『栞…愛、してる』」
「やめろォォッ!!死ぬ、死ぬ、マジで死ぬからヤメロォッ!!」
叫び続ける俺の異変を感じ取り、先行していた1-Eの面々がかけつけた。もだえ苦しむ俺とニヤニヤ笑いながら両手に掲げた機械のボタンを押す来集を見て、クラスメート達は戸惑い、俺と来集を取り囲むようにして、俺達の様子を見ている。俺の叫び声が大きいせいもあり、俺のデビルボイスは皆に聞こえてはいないようだ。
「分かった、教える! 教えるから、来集!」
「来週じゃ遅いで、せめて今週中には教えてくれへんかな」
「何言ってんだ、来週じゃなくて来集だよこの馬鹿野郎!お前の名前だろ、それぐらい分かれ!」
「あ、そっちか」
来集はようやく機械を胸ポケットの中にしまった。
「みんな、行ってええで。別に何も無いから」
来集がそう言うと、皆は不思議がりながらも、また進み始めた。俺は上下する肩を右手で抑える。
「なーにが『別に何も無いから』だよ……これやっぱイジメじゃねぇか」
「それで?栞ちゃんとの馴れ初めは、どんなんやったん?」
「本当に、知りたいか」
俺は顔を上げ、来集と目を合わせる。
「知りたい」
「そうか。でも、今すぐは無理だ」
「えぇー」
「今週の日曜、家に来い。食事時じゃない時がベストだ」
俺は生徒手帳の後ろの方の白ページに住所と吉舎布駅からの簡単な地図を書いてそのページを破り、来集に渡した。
「西竜飛線の、西学園駅から二駅行ったところだ。分かるか?」
「オッケ、任せて」
何を任せるのか知らないが、来集はぐっと親指を立てた。
「言っとくけどな、お前が思ってるような、恋話とかそういうヤツじゃないからな。……覚悟しろよ?」
俺がそう言うと、来集は不満そうに「えぇー」とこぼした。
「ほな、また日曜会おか」
「気が早いな。まだ火曜日の三時間目だぞ」
「そやった」
来集はそう言って小さく舌を出した。