第十話 「六陵超百科」
「はーい皆さんおはようございまーす、篠木つくねですよー」
朝のホームルームが始まった。担任のつくね先生が入って来たと同時に、席を立ち歩いていた生徒たちが自分の席へと戻ってゆく。
「今日はオリエンテーションですけど、まずは皆さんに配るものがあります。今からそれを備品室まで行って取ってきてもらいまーす」
つくね先生はどこからか割り箸の束を取り出した。
「一人では運べないので、何人かに持ってきてもらいます。誰か、自分がその役買って出るよーっていう奇特な人、いたら挙手!」
つくね先生の視線が、突き上げられた一本の細腕を捉える。
「あら、御簾川さん、どうしたの?おなかでも壊した?それとも仮病かな?」
「私、行ってきます」と御簾川が言った。
「数寄者だな」と俺はつぶやく。もちろん御簾川には聞こえない程度の音量で、だ。
「んじゃあ、俺も行くっす、先生!! 俺に任してもらえりゃ、百万人万力っすよ!!」
クラス一熱い男、煉城昂祐が叫ぶ。彼は昨日、学級役選の時、真っ先に「学級委員やるっす!!」と名乗りを上げ、クラスメートからの失笑を買いながらも、無事男子学級委員になった男だ。
「嘘、嘘。冗談よ冗談。ちゃんとくじ引きでするから」
つくね先生はそう言うと、手に持っていた割り箸の束をクラスメートに取らせていった。俺も引くと、何の印も無い無地の箸だった。俺は内心、ガッツポーズを取る。「よっしゃあー!!」と、向こうで煉城の叫ぶ声がする。
「さて、と。みんな引いた~?じゃあ、今無地のお箸を持ってる人が、当たり、つまりは、今回の運搬係で~す。いってらっしゃ~い」
俺は耳を疑う。
「なんでっすか、先生!!普通、この赤の線が入ってるやつが当たりっすよね!?ね!?」
煉城は自分の持つ赤い線が入った割り箸を掲げる。
「そういう無駄な常識に囚われないこと! 赤を保留していたとしても、外れるときはあるものです!」
つくね先生は自分の持つ赤いサインペンを掲げる。
「俺はやる気万々っすよ!!」
「はいはいわかったわかった。いいから、運搬係に当選した人、地図渡すから行っておいで」
俺は嫌々ながらも、席を立った。
◇◆◇◆
運搬係に選出されたのは、俺と、越貝と、御簾川と、宗田さんと、来集蒼香という関西弁の女子と、昨日の入学式の後のホームルーム前に御簾川と会話していた、酉饗津惟という気の強そうな女子の六人だった。俺たちは、地図に書かれた備品室へと歩く。備品室のある職員棟は、一年生棟、二年生棟、三年生棟、実習棟に半円状に囲まれた、六陵高校のちょうど中央にあり、外側の各棟からは渡り廊下が職員棟へと伸びている。
「男子頑張ってくれよ~?私たち女子に苦しい思いさせたりすると、漢が廃るぜ?」
酉饗がにやにやしながらそう言う。
「じゃあ、俺が全体の二割、女子達は一割ずつ、それで白詰が残りを持つ…。そういう手筈でいいか、白詰」と越貝が言う。それは冗談なのか本気なのか。
「それだと白詰くんが全体の四割を持つことになるよね」御簾川が指を折りながら言う。
「あ、あたし…もうちょっと、持ってもいいよ」と宗田さん。
「うちももうちょっと持ってもええよ。うち、今年から筋トレ始めてん。言うても、昨日からなんやけどな」来集がケラケラ笑う。
「別に大丈夫だろ、白詰。お前ならきっと…大丈夫」
越貝はそう言って俺の肩を掴んだ。
「何なんだよその流れ。何だ、イジメか?イジメなのか?そうなのか?」
「しつこい男は嫌われるぜ」と酉饗。
「からかう男はオッケーなのか?」と俺。
「潔く受け入れるのが、真の漢ってやつだろ」と酉饗。
「スパーッとオッケー、すんのがグッド」と来集。下手なラップのようだ。
「すんのがグッド」と越貝が言う。
そうこう言っているうちに、俺達は職員棟一階の備品室の前にたどり着いた。俺たちと同じ色のネクタイを着けた生徒が何人か、廊下に並んでいる。
しばらく並んで、俺たちは先生に案内されて備品室に入った。備品室は本棚が所狭しと配置され、一足進むごとに埃が舞い、俺たちはその度に小さく咳き込んだ。光のうっすらと差し込んだ備品室の、クモの巣をくぐった先に、分厚い本が、うずたかく積み上げられて佇んでいた。
「お前ら、クラスは」
俺達を先導する強面の先生が睨みを利かせながら聞く。
「1-Eです」
俺がそう言うと、その先生は備品室の一隅を指さし、「持ってけ」と言った。指さした先にはひと山の本があった。その山の一番上の本には、『1-E』とマジックで書かれた紙がセロテープで乱暴に貼られている。
「早く持ってけ、後ろが詰まってんだ」
俺達はその先生に急かされ、慌ててその本を抱え、備品室を出された。一冊一冊が500ページはあろうかというその本の皮製の表紙には、金文字で大きく『六陵超百科』と書かれていた。
◇◆◇◆
ふうふういいながら、俺達はやっとの思いで1-Eの教室まで戻ってきた。
「暴力的な重さだ」と越貝が言う。俺たちは、教壇に本を重ねて置いた。
俺たちは、息も絶え絶えに自分の席に着く。つくね先生は、教壇に置かれた本の山を見て、まるで自分の手柄だとでもいうように、鼻を鳴らした。
「さぁさぁ、じゃあさっそく配りますね~」
つくね先生は手際よく本を配っていく。俺は前の相模から本を受け取り、自分の分を取ってから後ろの宗田さんにまわした。
「今配ったのは、六陵高校生徒会の役員が自主制作した『六陵超百科』です。一時間目はこれに従って学校説明を行いたいと思いまーす」
俺はペラペラと六陵超百科を捲る。一年の行事予定表から学校の創立に至る経緯、各棟の教室紹介、部活紹介、六陵高校七不思議、他の高校との勢力図まで、事細かに記されていた。
「そう言えばあのチビ男、『六陵高校推理探偵部』がどうとか言ってたな」
俺は部活紹介の『六陵高校推理探偵部』のページを開いた。そこには六陵高校推理探偵部の記述が、見開き四ページに渡って克明に記されていた。
『今年度、六陵高校推理探偵部に在籍している生徒は以下の三名。相槌憂子(p42)、宇治川海山(p38)、有田千鶴(p39)このうち相槌憂子は幽霊部員である。それぞれの生徒については、記されているページ番号を参照。
六陵高校推理探偵部は、六陵高校創立から20年、現在から30年前の2020年に発足した部活である。最初は同好会として発足したこの部活は、年度を重ねる度に部員を着々と増やす。だが、現在は部員が三名と、規模が縮小し、同好会に逆戻りする日も遠くはないのではないかと示唆されている。
その活動内容は、困窮した六陵高校の生徒の依頼を請け負い、解決するといった、一種の何でも屋のようなもの。金銭は一切必要無い。依頼は全て無償で解決される。
学園内でのこの部活の立ち位置は、「何だかよくはわからないけれど、時たま捜査に協力してほしいと言って聞き込みをされる。また面白いことやってるなー、くらいのものです」といったもの。教員や生徒の中には、頻繁に依頼に来る者も存在。比較的信頼のおける、学園内の探偵事務所と思っていただければ幸いだ。
部室は実習棟三階の第三音楽室(p98)。顧問は一年音楽科教諭の篠木つくね(p20)。』
「え」と俺は声を漏らす。俺達の担任、つくね先生が、この意味不明な部活の顧問なのか。
まあ確かに、つくね先生も相当意味不明な言動をする人ではあるけれど。
俺は次に、あの駅前のチビ男であろう、宇治川海山のページを開いた。
『2-F生徒名簿』と書かれた一番先頭に、横に小さく『宇治川海山』かなりミニサイズの写真があった。確かに朝の、あのチビ男だ。あいつ、二年生だったのか。あんまり背が低いから、一年生かと思ってた。
宇治川海山については、それ以上の情報は無く、俺は六陵超百科を閉じて、学校説明を続けるつくね先生の話に、耳を傾けた。