映画蒸気の街の約束
映画『蒸気の町の約束(仮)』
―撮影初日:大村幸と恵、姉妹の別れシーン―
広島県・ロケ地/早朝6:05
早朝の冷たい空気を照明が切り裂く。
スタッフがライトの角度を調整し、
カメラマンがファインダーを覗き込んでいる。
今日の最初のカットは、
「平戸勝男が広島機関区へ向かう前夜」
大村姉妹の静かな会話シーン。
その中心に立つのは――
大村幸役の 光子、
大村恵役の 優子。
衣装は昭和20年初頭の、質素で清潔な和装。
髪はきっちりと結われ、
普段の二人からは想像できないほどの緊張感が漂っていた。
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「本番いきます――カメラ、回して!」
助監督の声で現場が静まり返る。
カチンッ。
最初のカチンコが鳴る。
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◆ シーン1
『広島へ向かう前夜/姉妹の会話』
室内セットは、長崎の下宿を再現したもの。
ちゃぶ台。
薄い布団。
静かすぎる夜。
光子は“幸”として、ちゃぶ台の前に座り、
妹の“恵”(優子)が淹れてくれた湯飲みを見つめている。
カメラが寄ると、
二人は一瞬にして“姉妹”に変わった。
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◆ 大村幸(光子)
「……勝男さん、広島に行くげなね。
汽車のことになると、目が輝いてしもうて……
引き止めることなんて、できんばい。」
◆ 大村恵(優子)
「……幸姉ちゃん。
うちは……なんか胸騒ぎがするっちゃ。
いやな夢ばっかり見るとよ。」
光子は「幸」の指先を震わせながら、
そっと優子の“恵”の手を包み込む。
その動きがあまりに自然で、
カメラマンが息を飲むのがわかるほどだった。
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◆ 大村幸
「夢は夢よ、恵。
……それでも、もしもの時は、
うちがあんたば守るけん。」
◆ 大村恵
「……うちも守る。
幸姉ちゃんも、勝男さんも、
家族みんなも。」
二人の目にじわりと涙が浮かび、
照明にかすかに反射する。
セリフは静かだが、感情ははっきりと滲んでいた。
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「カット!」
中原監督がしばし沈黙した後、
ゆっくりと口を開く。
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◆ 中原監督
「……初日でここまで出せるのはすごい。
大村姉妹の“絆”が、完全に形になっている。
この映画は必ず届く。
二人とも――ありがとう。」
光子と優子は深く会釈し、
互いに小声で「よかった」「うん」と言い合う。
いつもの笑いはない。
しかし、確かな信頼だけがそこにあった。
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こうして、撮影会は静かに幕を開ける。
このあと撮るのは― 広島への出発の日
原爆投下の描写
長崎の惨劇と妹・恵の最期
幸が遺された者として生きる決意
など、物語の核となる重いシーンばかり。
―
了解、その設定でいきます。
**「幸は爆心地付近で即死」「恵は全身火傷で1週間後に死亡」**を前提に、
映画の“あの二つの山場シーン”の撮影を、小説風で描きます。
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映画撮影二日目 ―広島の朝、幸が消えるカット―
ロケセットではなく、本物の街並みを生かした広島ロケ。
まだ店のシャッターが半分だけ開いた商店街に、エキストラたちが行き交う。
照明をできるだけ抑え、当時の写真資料を何度も見ながら作った “昭和二十年の朝”。
その真ん中に、
作業着姿の 大村幸役・光子 が立っている。
手には弁当包み。
顔は疲れているが、どこか前を向こうとする強さがあった。
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◆ カメラ前の台詞
AD「シーン23、テイク1! 広島・運命の朝!」
カチン、とカチンコが鳴る。
カメラが幸を追う。
光子は、ゆっくり歩きながら、胸の中で言葉を紡ぐ。
◆ 大村幸(光子)
「……勝男さん、今日も無事故で帰ってきてね。
あんたの汽車が走る限り、うちは大丈夫やけん……」
すれ違う子どもを、幸は笑って見送る。
それは、観客が目にする“最後の笑顔”になる表情。
監督の声が飛ぶ。
中原監督「――フラッシュ、入る!」
その合図と同時に、
視界一面が“白”に塗りつぶされる特殊効果用の閃光が発射される。
爆音は、実際の撮影では鳴らない。あとで音響を足すからだ。
だからこそ、
周囲の「音が消える怖さ」 が、現場ではリアルだった。
光子は、閃光が来る前の、ほんの一瞬――
ふっと空を見上げる。
◆ 大村幸(心の声・オフ)
(ああ、今日もいい天気。
この空の下で、みんな無事に帰ってこれますように――)
その「願い」の表情のまま、
画面は、白に途切れる。
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◆ 「カット!」
暗転後、数秒の沈黙。
中原監督はモニターから目を離さない。
スタッフも誰も、すぐに言葉を発せない。
やがて、監督が低い声で言った。
中原監督
「……テイク1で、決めさせてもらいます。
“即死”は映さない。
でも、いまの一瞬で、観客には全部伝わる。」
光子はまだ役の余韻が抜けない顔で、小さく息を吐いた。
自分が“もうこの映画の中では生きていない”ことを、静かに受け止めるように。
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数日後 ―長崎・恵の最期のシーン―
今度のセットは、
長崎の臨時救護所を再現したスタジオ。
薄暗い室内。
畳の上には布団が敷き詰められ、
包帯にくるまれた人々のうめき声だけが、抑えた音量で流れている。
その片隅に、
大村恵役・優子 が横たわっていた。
顔や手足にはメイクで火傷あとが再現され、
包帯とガーゼでほとんど肌は見えない。
だが、その「傷の重さ」が想像できる程度にとどめられている。
中原監督は、優子のそばにしゃがみ込む。
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◆ 中原監督
「このシーンは、“苦しみを見せる”より、
“それでも誰かを思う恵”を見せたい。
痛みは当然ある。
でも、最後まで残るのは、姉ちゃんのことと、勝男さんのことと……
この先の日本のこと。
……それを、目と声で伝えてほしい。」
優子は、ゆっくりと頷く。
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◆ クライマックスシーン
助監督「シーン57、テイク1! 長崎・恵の最期!」
カチン。
カメラは、恵の顔に寄る。
額には汗。呼吸は浅く、苦しそうだ。
傍らには、看護婦役の俳優が控えている。
しかしセリフは、ほとんど恵に任されている。
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◆ 大村恵(優子)
「……ねぇ……幸姉ちゃん……」
かすれた声。
目はどこか遠くを見ている。
◆ 看護婦
「無理してしゃべらんでいいからね……」
優子は小さく首を振る。
包帯で巻かれた手の指が、わずかに動く。
◆ 大村恵
「幸姉ちゃん、広島に行ったとよね……
うち、ずっと……信じとったと……
汽車の音聞こえたら、
また、笑いながら帰ってくるって……」
カメラが、恵の目に寄る。
そこには、すでに「真実」を察している影があった。
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◆ 大村恵
「……もし、もう会えんのやったら……
せめて、空の上で一緒に……汽車ば見よるけん……
戦争なんか、二度と来んごと、
……神様に、ようけお願いしとくけん……」
声が少しずつ途切れがちになる。
しかし、最後のひと言だけは、はっきり届く。
◆ 大村恵
「幸姉ちゃん……
うち、先に行っとるけん……
……怒らんでね……」
唇がかすかに笑みの形を作り――
そのまま、静かに力を失う。
呼吸の演技を止めた瞬間、
現場全体の時間も止まったように感じられた。
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◆ 「……カット」
中原監督の声は、かすれていた。
スタジオの空気が重く沈み、
スタッフの何人かはモニターから目を離して、
黙って天井を見上げる。
しばらくしてから、
看護婦役の俳優が優子の手をそっと握り、
「お疲れさま」とささやいた。
優子はまだ横たわったまま、
ゆっくりと目だけを動かし、
「……こちらこそ」と小さく笑う。
その笑みはもう、恵ではなく、
役目を果たした一人の俳優・柳川優子の顔だった。
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撮影が終わったあと
その日の撮影終了後、
光子と優子は、スタジオの外に並んで座っていた。
夕暮れの空は、静かなオレンジ色。
光子
「……幸と恵、あっという間やったね。」
優子
「うん……でも、あの二人の“時間”は、
たぶん映画の中で、ずっと続いていくっちゃね。」
少し間を置いて、
光子が空を見上げる。
光子
「うちら、笑いのステージでも、
この戦争や原爆のこと、できる限り伝えていかないかんね。」
優子
「そうやね。
笑いで人を救う仕事しよるからこそ、
“笑えん現実”のことも、ちゃんと知っとうって、
みんなに分かってもらわんと。」
二人は、同時に小さく頷いた。
大村幸と恵の命は、
ここで映画として区切りを迎える。
けれど、
その物語を抱えて生きていく光子と優子の時間は、
ここからまた、長く続いていく。
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① 完成披露試写会 ― 姉妹の物語が、初めて観客の前に立つ日
都内・大型シネコン。
スクリーンの前には、シンプルだが品のある白い花と、映画のポスター。
『蒸気の町の約束』
――大村幸と恵、
原爆で引き裂かれた恋と、姉妹の絆の物語。
ロビーには報道陣と招待客が集まり、
フラッシュがひっきりなしに光っている。
上映終了後、観客席の多くが静かに涙を拭っていた。
エンドロールが終わると、やわらかな照明がつき、
壇上にキャストと監督が呼び込まれる。
司会者
「それではまず、本作で姉・大村幸を演じられました、青柳光子さんからご挨拶をいただきます。」
光子は、深く一礼してマイクを握った。
普段ステージで見せる“爆笑スイッチ”は切ったまま。
声は落ち着いているが、言葉一つひとつを選んでいるのが分かる。
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◆ 青柳光子(大村幸 役)
「本日は、映画『蒸気の町の約束』を観ていただき、本当にありがとうございます。
私が演じた大村幸は、
長崎で、愛する人と妹と、ささやかな未来を夢見ていた女性です。
でもその未来は、原爆によって突然奪われました。
撮影の前に、広島と長崎を訪れて、資料館や慰霊碑の前に立ちました。
そこで感じたのは、“歴史上の出来事”じゃなくて、
自分と同じように笑って、恋をして、家族を思っていた人たちの“生活”が
一瞬で奪われたんだということです。
私たちの演技が、その方々の人生を語り尽くすことなんて、到底できません。
でも、せめてこの映画をきっかけに、
戦争や核兵器のことを、自分ごととして考える人が一人でも増えてくれたら――
そう願いながら、毎日カメラの前に立ちました。」
ふっと息を整えると、客席に向かってまっすぐ言葉を投げる。
「どうかこの物語を、“他人の悲劇”ではなく、
“自分と同じ時代を生きた誰かの現実”として、
心のどこかに置いておいてもらえたらうれしいです。」
拍手が、静かに、しかし長く続いた。
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続いて、妹・恵を演じた柳川優子がマイクを受け取る。
◆ 柳川優子(大村恵 役)
「妹の大村恵を演じました、柳川優子です。
恵は、全身に大火傷を負って、
わずか一週間で亡くなってしまう女の子です。
だけど彼女は最後の最後まで、
“自分の痛み”よりも、姉の幸のこと、恋人の勝男さんのこと、
そして、この先の日本のことを気にかけていました。
あの最期のシーンを撮影した日は、
カットがかかったあともしばらく、
息をするのも忘れるくらい、胸が苦しくなりました。
でも同時に、
こんなに短い命の中でも、
誰かを思って生き抜いた人が確かにいたんだということを、
私たちの世代が受け止めて、
次の世代に渡していかなきゃいけないって、強く思いました。
笑いのステージに立つことが多い私たちですが、
笑いのないこの映画を通して、
“笑いが奪われる現実”がどれほど残酷か、
少しでも伝わったらいいなと思います。」
彼女の声が最後だけ、わずかに震んだ。
客席のあちこちで、またハンカチが目元に運ばれていく。
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最後に監督・中原翔がマイクを握る。
◆ 中原翔 監督
「この映画は、“原爆の悲惨さ”そのものを正面から描こうとして作った作品ではありません。
その前にあった、ささやかな日常と、
そのあとも続いていく“生き残った者”の時間を描きたかった。
光子さんと優子さんには、
普段の明るいイメージとはまったく違う役をお願いしました。
でも、二人にしかできない、大きな優しさとまっすぐな眼差しで、
大村姉妹をここまで生き生きと届けてくれたと思います。
今日ここにいらっしゃる皆さんの中にも、
ご家族やご親族が戦争を経験された方がいるかもしれません。
どうか、この映画をきっかけに、
“忘れない”ということを、あなたなりの形で続けていってもらえたら――
それが作り手として、一番の願いです。」
会場は、しばしの静寂のあと、
大きな拍手に包まれた。
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② 広島・長崎 特別試写会 ― 受け継がれる言葉
◆ 広島特別上映会
数週間後、広島市内のホールで行われた特別試写会。
観客席には、被爆者手帳を持つ高齢の方々、
その子ども・孫世代が並んでいる。
上映が終わると、
会場は深い沈黙に包まれたまま、しばらく誰も立ち上がらなかった。
やがて一人、杖をついた女性が、
ゆっくりとステージに上がってくる。
スタッフが気を配りながらエスコートする中、
彼女は光子と優子の前で立ち止まり、
細い声で言った。
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◆ 広島の被爆女性
「……ありがとうねぇ。
あの朝、わたしも、
あの大村姉妹と同じように、
お弁当包みを持って家を出たんよ。
気づいたら、
身体中、火傷と血だらけで……
隣におった友達は、もう動かんようになっとった。
あなたたちの演技ば観てね、
“あの日笑っとったあの子たち”、
みんなの顔が浮かんできたよ。
悲しかったけどね……
うれしかった。
忘れられてなかったんやなぁ、って。」
そう言って、
震える手で二人の手を包み込む。
光子も優子も、
ただ「ありがとうございます」としか言えなかった。
それ以外の言葉が、喉の奥で詰まって出てこない。
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◆ 長崎特別上映会
長崎では、
姉妹で亡くなった親族を持つ男性が、
上映後の懇談会でマイクを握った。
「うちの伯母もね、姉妹で長崎におって……
姉は爆心地近くで、その場で亡くなったらしい。
妹はしばらく生きとったけど、
全身火傷で、最後は“お姉ちゃんどこ?”って言いながら息を引き取ったって、
父から何度も聞かされてきました。
今日、映画を観ていて、
あぁ、あの二人も、きっとこんなふうに笑って、
こんなふうに喧嘩して、こんなふうにふざけ合っとったんやろうなぁって……
そう思えました。
……正直、つらかったです。
でも、ありがたかった。
私らの家族の物語も、
この映画のどこかとつながっとる気がしました。」
彼はそう言うと、
深々と頭を下げた。
光子と優子も、
同じだけ深く頭を下げる。
この日、二人ははっきりと知った。
自分たちは“映画に出ただけの俳優”ではなく、
語り継ぐバトンを受け取った一人になってしまったのだと。
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③ M&Y ライブ ― 笑いと祈りのあいだで
数ヶ月後。
都内ホールで行われた、M&Yの単独ライブ。
いつものように、
入口には「爆笑発電所」グッズのタオルやTシャツが並び、
客席からは開演前から笑い声が聞こえる。
だが、この日のセットリストには、
一曲だけ、特別な曲が入っていた。
映画『蒸気の町の約束』のために書かれたバラード曲。
「蒸気の向こうに」(仮題)。
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ステージの中盤。
一通りギャグとコントで会場を沸かせたあと、
照明が少し落ち着いたトーンに変わる。
光子
「ここから先はね、
鼻からスポドリも出てきませんので、ご安心ください。」
客席:クスクスッ。
優子
「いや、安心しとる場合やないやろ。
さっきまで笑いすぎて魂抜けかけとったお客さん、
いったん魂、身体に戻してもらってよかですか。」
笑いが起こるが、
その笑いには、どこか柔らかい緊張も混じっていた。
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光子は少し表情を引き締め、
マイクを持ち直す。
◆ 光子
「映画を観てくださった方も、
まだの方もいらっしゃると思いますが……
私たちは今年、
原爆で大切な人たちを失った姉妹――
大村幸と恵を演じました。
広島や長崎で特別上映会をさせてもらって、
当時を知る方や、そのご家族から、
たくさんの言葉をいただきました。
“つらかった”
“泣いた”
“思い出したくなかったことも思い出した”
でも同時に――
“ありがとう”とも言っていただきました。」
優子が、静かに続ける。
◆ 優子
「戦争や原爆の話って、
正直、重たくて、怖くて、
目をそらしたくなることもあると思います。
でも、
“笑い”のステージに立つ私たちだからこそ、
“笑いが奪われた現実”のことも、
ちゃんと知って、ちゃんと伝えていきたい。
広島と長崎で奪われたのは、命だけじゃなくて、
その人がこれから笑うはずだった未来や、
大切な人と過ごす時間や、
『また明日ね』って言えるはずだった当たり前の日々です。
だから、私たちはこれからも、
歌や笑いを通して、
“二度と同じことをくり返さんでほしい”っていう思いを、
何度でも発信していこうと思っています。」
客席は、静かに聞き入っていた。
先ほどまでの爆笑とは、まるで別の時間が流れている。
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◆ 「蒸気の向こうに」
ピアノのイントロが流れ出す。
スクリーンには、映画の一場面ではなく、
広島と長崎の空の写真が静かに映し出されていく。
歌詞は、
「汽笛」「朝焼け」「弁当包み」「手を振る姉妹」
そんな日常の情景から始まり、
やがて
「真っ白な光」「名前を呼ぶ声」「もう会えない人への手紙」
へと変わっていく。
サビで、
光子と優子の声が重なる。
あの日の空を 忘れないで
笑い声まで 消えた朝を
それでも風は どこまでも行く
あなたの分まで 生きていくと誓う
観客席の何人かが、
そっと目頭を押さえる。
最後のフレーズは、
まるで大村幸と恵が、
今の時代を生きる誰かに語りかけているようだった。
歌が終わると、
数秒の静寂。
そのあと、あたたかい拍手が、会場を包み込む。
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曲のあと、優子がマイクを取る。
◆ 優子
「……重たい話をしたあとで、
また全力で笑かしに行きますので、安心してください。」
光子
「うん。
“笑っていいんかな”って迷うときもあると思うけど、
平和なときに笑うことは、悪いことでも、失礼なことでもありません。
ただ――
笑えるこの時間は、
ものすごく尊くて、
当たり前じゃないんやってことだけ、
ちょっと心のどこかに置いといてくれたらうれしいです。」
二人は、客席に向かって深く一礼する。
⸻
この日から、
M&Yのライブには必ず一つ、
“祈り”のコーナーが組み込まれるようになる。
爆笑発電所として世界中に笑いを届けながらも、
彼女たちは同時に、
大村幸と恵の記憶を運ぶ語り部であり続けていく。
そして、
どこかの街のステージの最後列で、
彼女たちの歌を聴きながら静かに涙する誰かの心に、
広島と長崎の空が、
そっと重なっていくのだった。
映画館の薄暗い客席に、春介と春海はクラスメイトたちと並んで座っていた。
◆ 学校の平和学習・映画館へ
「はい、それじゃあ静かに座ってくださーい。これから観る映画は『蒸気の町の約束』。
広島と長崎で、普通の生活を送っとった人たちの物語です」
担任の先生が前でそう話すと、
教室のノリのまま来ていたクラスの空気が、すこしだけ引き締まった。
「ねぇねぇ、春介んとこの“爆笑のおばちゃん”が出る映画なんやろ?」
前の席の男子が振り向く。
「“爆笑のおばちゃん”言うなや。光子おばちゃんと優子おばちゃんやけん」
春介が苦笑しつつ、小声でツッコむ。
春海は、ちょっとだけ胸を張って言う。
「でもね、今日のは爆笑のやつやないっちゃん。
戦争と原爆のお話で、うちもテレビCM見ただけで、ちょっとドキドキしとる…」
それでも周りからは、
「芸能人の親戚おるって、ずる〜い」
「サインもらってきてって言えばよかった!」
なんて、いつものように軽い声が飛んでくる。
春介と春海は、苦笑いしながらも、
心のどこかで、今日だけは“おもしろい親戚自慢”とは違う日になる予感がしていた。
照明が落ち、館内が暗くなる。
スクリーンの中に、白い文字が浮かび上がった。
『蒸気の町の約束』
監督:中原翔
出演:青柳光子(大村幸 役)、柳川優子(大村恵 役)…
自分たちのよく知る名前が映し出された瞬間、
春介と春海の背筋に、ぞわりと冷たいものが走った。
◆ スクリーンの中の「幸」と「恵」
映画の中の光子は、もう「光子おばちゃん」ではなかった。
長崎の小さな家で、
質素な和服を着て、恋人の勝男の弁当を握る“幸”。
「……行かんでほしいなんて、言えんよね。
あの人、汽車ば動かす仕事、ほんとに好きやけん」
柔らかく笑うその目の奥には、不安と覚悟が混ざっている。
春介は、心の中で思わずつぶやいた。
(おばちゃん、こんな顔するんや…
いつも“洗濯機プリン事件”とか“鼻からスポドリ事件”で大爆笑しよう人やのに)
優子もまた、スクリーンの中では別人だった。
「幸姉ちゃん、なんか胸騒ぎがするっちゃ…
いやな夢ばっかり見ると」
“恵”として、姉を心配そうに見上げる瞳。
ツインテールも、派手なステージ衣装もない。
そこにいるのは、一人の妹だった。
春海は、気づいたら膝の上で手をギュッと握りしめていた。
(優子おばちゃん、いつもなら
「今日も元気におならブー・セーフティロック!」とか言うとに……
今日は何もふざけん…)
◆ 白い光と、ふっと消える笑顔
物語が進み、
幸が弁当を持って街を歩く、あの“運命の朝”のシーンが訪れる。
「勝男さん、今日も無事故で帰ってきてね。
あんたの汽車が走る限り、うちは大丈夫やけん…」
そうつぶやいて笑う幸。
その笑顔は、春介や春海が家で何度も見てきた“本物の笑顔”と同じだった。
次の瞬間――
スクリーンいっぱいに、
真っ白な光。
音が、一瞬だけ消える。
映画だと分かっていても、
春介の喉がひゅっと鳴った。
白がゆっくりと暗くなり、
そこにはもう、さっきまで歩いていた人々の姿はなかった。
静かなざわめきが、客席のあちこちから漏れる。
春海の頬を、
何かがすっと伝っていった。
(消えたんや……
さっきまで笑っとったのに…
お味噌汁こぼして「わ〜!」って笑いよった人たちやったかもしれんのに…)
それは、まだ言葉にならない感情だった。
でも、確かな喪失だけが、胸の奥に刺さっていた。
◆ 恵の最期と、「生きとる」自分たち
やがて舞台は長崎へと移り、
全身に火傷を負った恵が、臨時救護所で横たわるシーンになる。
春海は、息をするのも忘れるほどスクリーンを見つめた。
(優子おばちゃん……痛そう…
でも、泣き叫ばんで、ずっと誰かのこと考えよる顔や…)
「幸姉ちゃん、広島に行ったとよね…
うち、ずっと信じとったと…
汽車の音聞こえたら、また笑いながら帰ってくるって…」
恵の声が、かすれながら広がる。
春介は、何度もテレビで見た
“優子おばちゃんのツッコミボイス”と同じ声なのに、
全然違う重さで胸に落ちてくるのを感じた。
「……もし、もう会えんのやったら…
せめて、空の上で一緒に汽車ば見よるけん…
戦争なんか、二度と来んごと、
神様にようけお願いしとくけん…」
最後に、
恵が少しだけ笑って、静かに目を閉じる。
スクリーンの中から音が消えても、
春介には、自分の心臓の音だけがやたら大きく聞こえた。
(なんで…
なんで、こんな優しい人たちが、先に行かないかんとやろ…
なんで、普通に朝起きて、お弁当作って、汽車乗って…
ただそれだけで、こんな目に遭わないかんとや…)
気づけば、
春介の頬にも、大粒の涙が流れていた。
春海は横で、
すすり泣きをこらえきれずに、肩を震わせていた。
◆ 映画が終わったあと ― 教室での「振り返り」
学校に戻り、
教室では「平和学習・感想タイム」が始まっていた。
前の黒板には、先生が書いた大きなテーマ。
「当たり前の毎日が奪われる、ということ」
「どうやった? なんか感じたことがある人?」
最初は誰も手を挙げられない。
映画の余韻がまだ強くて、
いつもの“はいはーい!”という元気さが教室から消えていた。
やがて、一人の女子がそっと手を挙げる。
「幸さん、最後まで勝男さんのこと、心配しとって…
自分のことより、誰かのこと考えとったのが…なんか…すごいなって思いました…」
別の男子が、遠慮がちに続ける。
「原爆って、社会の授業で“すごい爆弾”って聞きよったけど…
“すごい”なんて言ったらいかんくらい、えげつなかったです…
なんか、ほんとはもっと、言葉にできんくらい、ひどいことなんやなって…」
先生は頷きながら、
ゆっくりと板書していく。
「じゃあ…春介、春海」
不意に名前を呼ばれ、
二人は少しだけ体を硬くした。
クラスのみんなの視線が集まる。
「親戚やけんね」という、無言の空気。
春介は一度下を向いてから、
ぎゅっと拳を握って口を開いた。
「…えっと…
光子おばちゃんも優子おばちゃんも、
普段はアホみたいにギャグばっかりしよるんよ」
クラスから、クスッと小さな笑いが漏れる。
みんな、それは知っている。
「でも今日の映画は、
そのギャグを全部封印して、
“笑えん現実”の話をしよったと思う」
少し言葉を探して、続ける。
「うちんとこの家、
“笑いで人を救いたい”って、みんなよう言いよるんやけど…
今日の映画見て、
“笑うことができんかった人たちが、たくさんおった”ってこと、
初めて、ちゃんと分かった気がした」
隣で、春海もゆっくりと頷き、言葉を重ねる。
「…うち、いつも朝起きて、
『おとーたん抱っこ〜』言うて、
ママが『ちょっと待って!お味噌汁こぼれるけん!』って慌てるの見て、
それで大笑いしよるんよね」
クラスにまた、柔らかい笑い。
春海は、その笑いをちゃんと受け止めてから、真剣な目になる。
「でも、広島と長崎の“あの日”には、
そうやって笑う時間すら、奪われた人がいっぱいいたんやなって…
だからうちは、
“笑えるうちに、いっぱい笑っときたい”って思ったし…
“笑える世の中ば、ちゃんと守らないかん”って思った…」
教室の空気が、静かに揺れた。
先生は、少しだけ目頭を押さえるようにしてから言う。
「…そうやね。
“笑えること”って、すごく平和なことやもんね。
ありがとう、二人とも」
◆ 家に帰ってから ― いつものリビングで
その日の夜。
リビングでは、春介と春海がソファに座り、
美香とアキラが向かい合っている。
テーブルの上には、
映画の半券が二枚。
「…映画、どうやった?」
アキラが静かに聞く。
春介は、しばらく黙ってから答えた。
「…すごかった。
正直、きつかったけど…目ぇそらしたらいけん気がした」
春海は、ポツリと呟く。
「光子おばちゃんと優子おばちゃんが、
“笑い”を一切使わずに、
“祈り”みたいな演技しよるように見えた…」
美香は、二人の顔を順番に見て、
柔らかく微笑む。
「二人とも、ちゃんと観てきたね。
ママもね、初めて試写で観たとき、
もうボロボロ泣きよったとよ」
アキラが、天井を見上げるようにして言う。
「…事故で親父さんとお袋さん亡くしたとき、
“何でうちなんや”って何回も思ったけど…
戦争や原爆で家族を失った人たちの話を聞くたびに、
“悔しさ”と“悲しさ”の重さって、数えきれんくらいあるんやって思い知らされる」
そのとき、テーブルの上のスマホが震えた。
画面には、
「光子おばちゃん」「優子おばちゃん」のビデオ通話着信。
アキラが「お、ナイスタイミング」と笑って出ると、
画面には、いつもの二人が写っていた。
「あ、春介〜、春海〜! 映画行ってきたと〜?」
「あんたら、寝とらんやった?爆睡しとらんやった?(笑)」
春介と春海は、スマホの前にちょこんと座り直す。
「…寝るわけなかろうもん…
あれ観て寝よったら、人として終わっとるやろ」
「めっちゃ泣いたもん…
おばちゃんたち、ずるい…あんなの…」
二人が涙目でそう言うと、
画面の向こうで、光子と優子がふっと表情を緩める。
光子
「泣かせるためだけに、やったわけやないとよ。
“忘れんでほしいこと”が、いっぱいあったけん、やったと」
優子
「でもね、
あんたたちが“笑える今”を大事にしようって思ってくれたなら、
恵として、めっちゃうれしかよ」
春介が、少し鼻をすすりながら言う。
「…じゃあさ、
うちらも“笑える今”を守るために、なんかできるかな」
春海も頷く。
「平和学習の作文でさ、
“笑える毎日を守りたい”って書いて出してもいい?
なんか、“戦争反対”って書くだけやなくて、
もっと自分の言葉で書きたくなった…」
光子と優子は、顔を見合わせてにっこり笑った。
光子
「それ、最高やん」
優子
「うちらの映画、
ちゃんと届いとるやん。
…ありがとね、春介、春海」
画面越しの四人は、
静かに笑い合った。
その笑顔には、
いつもの“爆笑発電所モード”とは違う、
しっかりとした決意と、やさしい祈りが宿っていた。
そして翌日、
春介と春海の「平和学習の作文」は、
先生の手によって、
学校全体の掲示板に貼り出されることになる。
タイトルは、二人で考えたものだった。
『笑える毎日を、ぜったいに手放さん』




