銀貨一枚から始まる、異世界物流
雨だった
王都第三外壁、そのさらに外側――荷馬車と泥だけが集まるような運搬街区で、青年は帳簿を閉じる
「……赤字か」
薄暗いランプの下、机に積まれた紙には数字が並んでいた
護衛費 馬の飼葉代 車輪修理 通行税 積荷破損
そして最後に書かれた数字だけが、やけに小さい
“利益:銀貨二枚”
それを見て、向かいの老人が鼻を鳴らした
「やめとけ、レイン。運び屋なんざ儲からねぇ」
笑う力すらないような声だった
「今の時代、儲かるのは剣持ちだけだ。ダンジョンで魔石でも拾ってきたほうが早ぇ」
レインは答えなかった
代わりに、机の上の銀貨を一枚だけ指で弾く
カラン、と硬い音が響く
「……だから、みんな失敗するんですよ」
「あ?」
「みんな、“運ぶだけ”だから赤字になる」
老人が眉をひそめる
レインは帳簿をめくった
「荷物を運ぶだけなら、誰でもできる。でも本当に金になるのは、“どこに”“いつ”“何を”運ぶかです」
市場価格の一覧表 街ごとの税率 魔物出現情報 天候 街道封鎖記録
普通の運び屋なら捨てるような紙が、そこには大量に積まれていた
「例えば今週、西側の雨で小麦輸送が止まってる」
「……だから?」
「三日後、王都の小麦価格は上がる」
レインは地図に印をつける
「逆に南は晴れ続きで収穫過多。今なら安く買える」
「……お前、それを」
「南で買って、王都で売る」
老人が口を閉じた
レインはさらに続ける
「しかも今、騎士団が北部遠征中で護衛依頼が不足してる。つまり護衛費も安い」
数字が線で繋がっていく
人 物 金 危険
バラバラだったものが、一つの流れになる
「儲けは銀貨二枚じゃ済まない」
レインは静かに言った
「銀貨三十枚まではいける」
老人の喉が、ごくりと鳴った
それは運び屋ではなかった
商人でもない
まして冒険者でもない
“流れ”を読む者だった
その日の夜
レインは最後の資金を使い、南行きの荷車を借りた
周囲の運び屋たちは笑った
「終わったな」 「全財産突っ込んだぞあいつ」 「若造が夢見すぎた」
だが三日後
王都のパン価格は二倍になった
雨による物流停止 備蓄不足 貴族街の買い占め
予測した通りだった
レインの倉庫には、小麦袋が山積みになっている
商人たちが押しかけた
「売ってくれ!」 「値段はいくらだ!」 「全部買う!」
レインは椅子に座ったまま、帳簿を開く
「銀貨一枚につき、手数料込みで銀貨三枚です」
「ぼったくりか!?」
「なら他へどうぞ」
しかし誰も動けない
他に在庫がないからだ
レインは知っていた
商品より価値があるのは、 “必要な時にそこにあること”だと
その日だけで、彼は金貨八枚を稼いだ
だがレインは笑わない
窓の外、 荷馬車が行き交う泥だらけの街を眺めながら、静かに呟く
「……まだ足りない」
欲しいのは一度の大金ではない
街の物流 商会 市場 価格 税 輸送路
それら全てを握ること
剣ではなく、 金と流れで世界を支配することだった
数年後
王都最大の商会連盟は、こう呼ばれる男に頭を下げることになる
――“物流王”と
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