三十、戦後の本陣—道三の評価と報酬
戦いが終わった翌日、紘一は道三の本陣に呼ばれた。
本陣の天幕は、戦勝の雰囲気に包まれていた。兵たちは、昨日の緊張から解放され、笑顔を見せている。酒が振る舞われ、勝利を祝う声が響いている。だが、紘一の心は、晴れなかった。五名の兵を失った。その事実が、重く心にのしかかっていた。
道三の天幕に入ると、そこには主要な指揮官たちが集まっていた。稲葉一鉄もいた。皆、戦いの報告をするために集まっているようだった。
「田邊殿、よく来た」道三が、紘一を見て言った。その顔には、満足そうな笑みがあった。「座ってくれ」
紘一は、指定された場所に座った。他の指揮官たちが、紘一を見ている。その視線には、好奇心があった。噂の田邊紘一。松永を破り、小山領を臣従させた男。その男が、今回の戦いでどう戦ったのか。皆、興味を持っているようだった。
道三が、口を開いた。「まず、昨日の戦いの報告をする」道三の声は、力強かった。「我らは、見事な勝利を収めた」
指揮官たちから、拍手が起こった。
「敵の兵力は、二千。我らは、三千」道三は、続けた。「数では、我らが有利だった。だが、敵は川を背にして守りを固めていた」道三は、地図を広げた。「だが、我らの作戦が功を奏した」
道三は、各部隊の働きを説明し始めた。本隊が正面から圧力をかけ、別働隊が背後に回り込んだ。そして、敵を挟撃した。その結果、敵は退却を余儀なくされた。
「我らの損害は、百五十名ほど」道三は、言った。「敵の損害は、五百名以上。大勝利だ」
指揮官たちは、再び拍手をした。
「そして、各部隊の中で、特に目覚ましい働きをした者がいる」道三の目が、紘一に向いた。「田邊紘一だ」
紘一は、驚いた。自分の部隊は、わずか二十名だった。しかも、五名を失った。それが、目覚ましい働きと評価されるのか。
「田邊の部隊は、わずか二十名だった」道三は、説明した。「だが、左翼の最前線で、敵の右翼、二百名以上を押さえた」道三の声には、賞賛が込められていた。「その働きがなければ、我らの側面が突かれていた。戦いの結果も、変わっていただろう」
指揮官たちは、紘一を見た。その視線には、驚きと、尊敬があった。
「田邊、前へ」道三が、命じた。
紘一は、立ち上がって前に出た。
道三は、紘一の前に立った。そして、懐から小さな包みを取り出した。「これを、お前に与える」
包みを開けると、中には黄金の小判が入っていた。十枚ほどだろうか。この時代、黄金は非常に貴重だった。それを、十枚も与えられる。それは、大きな報酬だった。
「ありがたく、頂戴いたします」紘一は、深く頭を下げた。
「そして、もう一つ」道三は、続けた。「お前の働きを、広く知らしめる。美濃中に、田邊紘一の名を広める」道三の目には、計算があった。「それが、お前にとっても、神崎家にとっても、利益になる」
紘一は、道三の意図を理解した。道三は、紘一の名声を高めることで、神崎家を自分の陣営に引き込もうとしている。名声が高まれば、紘一は道三に恩義を感じる。そして、神崎家も、道三との関係を重視するようになる。
「恐れ入ります」紘一は、答えた。
道三は、紘一の肩を叩いた。「今後も、期待している」
紘一は、席に戻った。他の指揮官たちからも、称賛の言葉をかけられた。
「見事な戦いぶりでした」
「わずか二十名で、二百名を押さえるとは」
紘一は、謙虚に答えた。「いえ、兵たちの訓練の成果です」
会議が終わると、紘一は天幕を出た。外に出ると、稲葉一鉄が待っていた。
「田邊殿、少し話をしたい」稲葉の声は、真剣だった。
「はい」
二人は、人目につかない場所へ移動した。天幕の裏側、木々の陰だった。
「田邊殿」稲葉が、口を開いた。「お前の戦いぶりを見た。見事だった」
「ありがとうございます」
「だが、一つ気になることがある」稲葉の目が、鋭くなった。「お前、本当に記憶喪失なのか」
紘一は、緊張した。稲葉は、疑っている。
「お前の戦術、尋常ではない」稲葉は、続けた。「地形を活用し、少数で多数を押さえる。それは、長年の経験がなければできないことだ」稲葉の声が、低くなった。「だが、お前は、神崎家に現れてから、まだ一年も経っていない」
紘一は、答えに窮した。確かに、稲葉の指摘は正しい。紘一の戦術は、この時代の常識を超えている。それは、能力のおかげだ。だが、それを説明することはできない。
「私も、なぜこのような知識があるのか、分かりません」紘一は、正直に答えた。「ただ、戦場に立つと、自然に体が動くのです」
稲葉は、しばらく紘一を見つめていた。その目は、すべてを見透かそうとしているようだった。
やがて、稲葉は口を開いた。「まあいい。お前が何者であれ、道三様の役に立っている」稲葉は、続けた。「それが、重要だ」
稲葉は、去ろうとしたが、振り返った。「だが、一つだけ忠告しておく」
「何でしょうか」
「お前を狙う者がいる」稲葉の声は、警告に満ちていた。「お前の能力を、恐れる者。嫉妬する者。そして、利用しようとする者」稲葉の目が、鋭くなった。「気をつけろ」
稲葉は、そう言って去っていった。
紘一は、その場に立ち尽くした。稲葉の言葉が、心に重くのしかかった。確かに、紘一の能力は、この時代では異質だ。それを、恐れる者もいるだろう。利用しようとする者もいるだろう。
紘一は、深くため息をついた。戦いは終わった。だが、新しい試練が、待っているようだった。




