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二十七、戦場への行軍—緊張と覚悟の高まり

夜明けとともに、道三の全軍が動き出した。

数千の兵が、整然と列を成して進む。その足音が、大地を震わせる。馬の嘶き、武器のぶつかり合う音、指揮官の号令。様々な音が、朝の空気に響いている。

紘一の部隊も、その大軍の一部として行軍していた。左翼に配置されているため、本隊の左側を進む。二十名という少数だが、訓練の成果が表れていた。足並みは揃い、隊列は乱れない。他の部隊の兵たちが神崎家の兵を見て、感心したような視線を送っている。

道は徐々に険しくなってきた。平地から丘陵地帯へ。木々が密集し視界が狭くなる。冬の木々は葉を落としているが、それでも枝が複雑に絡み合い、見通しを悪くしている。

紘一は、周囲を注意深く観察していた。地形、木々の配置、川の位置。すべてを、頭に入れる。戦場では地形の理解が生死を分ける。高い場所、低い場所、隠れられる場所、退路。それらを把握しておかなければならない。

この能力も、不思議なものだった。紘一は軍事の専門家ではない。現代の美術教師だった。だが、この時代に来てから、戦術や地形判断の知識が、自然に湧いてくる。まるで、長年の経験があるかのように。脳の中に誰かが知識を注ぎ込んでいるような感覚だった。

「田邊さん」平吉が馬を並べてきた。「もうすぐ戦場ですね」

「ああ」紘一は頷いた。「緊張しているか」

「はい。でも、昨夜、皆と話をして少し楽になりました」平吉の顔には決意があった。「俺たちは、一人じゃない。仲間がいる」

「その通りだ」紘一は微笑んだ。

行軍は、午前中いっぱい続いた。途中、何度か休憩を取りながら、着実に目的地へ近づいていく。太陽が中天に昇る頃、前方から伝令が来た。

「全軍、停止!」

号令が、次々と伝えられていく。大軍が、徐々に止まっていく。その様子は、巨大な生き物が動きを止めるようだった。

紘一も部隊を止めた。「全員、停止。休憩だ」

兵たちはその場に座った。水を飲み、深呼吸をする。緊張が顔に浮かんでいる。

しばらくして、指揮官たちが招集された。紘一も道三のところへ向かった。

道三は小高い丘の上に立っていた。そこからは、前方の景色が見渡せた。丘を下ると、開けた平地がある。その向こうには、川が流れている。そして、川の向こうに敵の陣が見えた。

敵の陣営には、多くの旗が立っている。土岐家の家紋が風に揺れている。兵の数は目測で二千ほど。道三の情報通りだった。だが、二千という数は決して少なくない。その兵たちが、こちらを待ち構えている。

「見ろ」道三が指揮官たちに言った。「あれが、我らの敵だ」

指揮官たちは敵陣を見つめた。

「敵は、川を背にして陣を張っている」道三は分析した。「守りやすい位置だが、同時に退路が限られている」道三の目が、鋭くなった。「我らが攻め込めば、敵は川に追い詰められる」

道三は各指揮官に指示を出し始めた。「本隊は、正面から攻める。敵の中央を圧迫しろ」道三の指が地形を指し示す。「右翼は、敵の左翼を押さえろ。左翼は、敵の右翼を押さえろ」

「そして、別働隊は、ここから回り込む」道三の指が丘の側面を指した。「敵の背後に出て、挟撃する」

シンプルだが効果的な作戦だった。正面から圧力をかけ、側面を押さえ、背後から攻める。敵は包囲される。

「田邊」道三が紘一を呼んだ。

「はい」

「お前の部隊は、左翼の最前線だ」道三は地形を指した。「ここに陣を張れ。敵の右翼と対峙する」

紘一はその位置を確認した。川沿いの、やや低い土地だった。地形的にはやや不利だ。だが、それが任務だった。

「敵の右翼には、精鋭が配置されているだろう」道三は続けた。「お前の役目は、そこを押さえることだ。敵が側面に回り込まないようにしっかりと守れ」

「承知しました」紘一は答えた。

「だが、無理はするな」道三の声が、わずかに柔らかくなった。「お前の部隊はわずか二十名だ。敵が大軍で攻めてきたら、退くことも考えろ」

紘一は道三の配慮を感じた。道三は冷酷な策略家だが、同時に、部下を大切にする一面もある。

「分かりました」

「では、配置につけ」道三は全指揮官に命じた。「一刻後、攻撃を開始する」

指揮官たちは、それぞれの部隊に戻った。紘一も神崎家の兵たちのところへ戻った。

「皆、聞け」紘一は兵たちを集めた。「我らの配置は、左翼の最前線だ。敵の右翼と対峙する」

兵たちは真剣な顔で聞いていた。

「役目は、敵を押さえることだ」紘一は説明した。「敵が側面に回り込まないように、しっかりと守る」紘一は続けた。「訓練したことを思い出せ。隊列を崩すな。命令に従え」

「はい」兵たちは、答えた。

「そして、もう一つ」紘一は真剣に言った。「無理はするな。もし、敵が圧倒的な数で攻めてきたら、退くことも考える」紘一の声には確信があった。「命を守ることが最優先だ」

兵たちの目に、安堵が浮かんだ。指揮官が兵の命を最優先に考えている。それが、兵たちに安心感を与えた。

「では、配置につく」紘一は号令をかけた。

一行は、指定された位置へ移動した。川沿いの、やや低い土地。周囲には、木々が点在している。その木々を利用して陣を張った。

「槍兵は、最前列。刀兵は、二列目。弓兵は、三列目」紘一は指示した。

兵たちは、訓練通りに配置についた。その動きはスムーズだった。何度も練習した成果がここで発揮されている。

紘一は周囲を見回した。右側には他の部隊が配置されている。左側は川だ。退路は右後方のみ。もし、敵が正面から大軍で攻めてきたら退くのは難しい。

だが、それが戦場だった。常に危険がある。常に、死の可能性がある。それを受け入れて戦うしかない。

「田邊様」権助が、声をかけた。「準備、完了しました」

「よし」紘一は頷いた。

時間が、ゆっくりと過ぎていった。太陽が西に傾き始めた。影が、長くなってきた。兵たちはじっと待っている。緊張が空気に満ちている。

やがて、遠くから太鼓の音が聞こえてきた。ドン、ドン、ドンという重い音。それが、戦いの始まりを告げる合図だった。

「来るぞ」紘一は兵たちに言った。「構えろ」

兵たちは、武器を構えた。槍兵は槍を前に向ける。刀兵は刀の柄に手をかける。弓兵は弓に矢をつがえる。

川の向こうから、敵の動きが見えた。旗が動き兵たちが整列していく。その数は、こちらの予想通り、二千ほど。圧倒的な数だった。

そして、敵が動き出した。川を渡り始める。水しぶきが上がり兵たちの叫び声が聞こえる。

「敵、接近!」紘一は叫んだ。

戦いが始まった。


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