二十三、出陣前夜—別れと決意の言葉
出陣の前日、神崎家では、出陣する兵たちのための宴が開かれた。
広間には、二十名の兵とその家族、そして主要な家臣たちが集まっていた。総勢で五十名ほど。部屋は、人々で溢れていた。
料理が並べられていた。白米の飯、魚の塩焼き、猪肉の煮物、野菜の炊き合わせ。そして、酒。この時代としては、かなり豪華な食事だった。広綱が、出陣する兵たちのために、特別に用意したものだった。
広綱が、上座に座り、口を開いた。「皆、よく集まってくれた」広綱の声は、力強かった。「明日、お前たちは、道三様の軍に参加する」
兵たちは、真剣な顔で広綱を見ていた。
「これは、神崎家にとって、重要な戦いだ」広綱は、続けた。「道三様との関係を強化し、神崎家の地位を高める。そのための戦いだ」
広綱は、兵たちを見回した。「だが、何より大切なのは、お前たちが無事に帰ってくることだ」広綱の声が、震えた。「戦いに勝つことも大切だが、生きて帰ることが、最も大切だ」
兵たちの目に、涙が滲んだ。広綱の言葉が、心に響いたのだ。
「田邊が、お前たちを率いる」広綱は、紘一を見た。「田邊の指示に従え。そうすれば、必ず生きて帰れる」
兵たちは、一斉に頷いた。
「では、飲め、食え!」広綱の号令で、宴が始まった。
酒が注がれ、料理が配られる。兵たちは、家族と共に食べ、飲んだ。明日、戦場に出る。もしかしたら、これが最後の食事になるかもしれない。だからこそ、今この瞬間を、大切にする。
紘一は、兵たちの間を回った。一人一人に声をかける。
「明日、よろしく頼む」
「はい、田邊様。必ず、お役に立ちます」
「家族を、大切にしろ」
「はい」
平吉のところに来ると、平吉の家族がいた。平吉の母親、名をお千という五十代の女性だった。痩せた体だが、目には強さがあった。長年、一人で平吉を育ててきた女性の、強さだった。
「田邊様」お千が、深く頭を下げた。「息子を、よろしくお願いします」
「必ず、無事に連れて帰ります」紘一は、約束した。
お千の目に、涙が滲んだ。「ありがとうございます」
平吉は、母親を抱きしめた。「母ちゃん、心配するな。俺、必ず帰ってくる」
「ああ……気をつけてな」お千は、息子の背中を撫でた。
その光景を見ながら、紘一は胸が痛んだ。戦場に出るということは、こういうことだ。家族との別れ。もしかしたら、永遠の別れになるかもしれない。
権助のところにも行った。権助の妻と、二人の子供がいた。子供たちは、まだ幼い。五歳と三歳だろうか。
「父ちゃん、どこ行くの」上の子供が、尋ねた。
「ちょっと、仕事だ」権助は、優しく答えた。「すぐ帰ってくる」
「本当?」
「ああ、本当だ」権助は、子供の頭を撫でた。
権助の妻は、じっと夫を見ていた。言葉はなかったが、その目には、心配と、同時に信頼があった。夫が無事に帰ってくることを、信じている。その信頼が、目に表れていた。
宴は、深夜まで続いた。笑い声が、広間に響いている。だが、その笑い声の裏には、不安もあった。明日、戦場に出る。生きて帰れるだろうか。その不安が、皆の心にあった。
やがて、宴が終わった。兵たちは、家族と共に帰っていった。その背中には、決意があった。
紘一は、広間に残り、片付けを手伝った。広信も、手伝ってくれた。
「田邊さん」広信が、口を開いた。「必ず、無事に帰ってきてください」
「ああ、約束する」紘一は、微笑んだ。
「そして、皆を、無事に連れて帰ってきてください」広信の声は、真剣だった。
「ああ」
二人は、黙って片付けを続けた。
やがて、広綱が、紘一のところに来た。「田邊、少し話をしよう」
二人は、広綱の部屋に移動した。
広綱は、窓際に立ち、外を見た。雪が、降り続けている。「田邊、お前に、大きな役目を任せてしまった」
「いえ、これは私の務めです」紘一は、答えた。
「だが、危険だ」広綱は、振り返った。「戦場は、何が起こるか分からない」
「存じております」
広綱は、紘一に近づいた。そして、懐から小さな包みを取り出した。「これを、持っていけ」
包みを開けると、中には小さな守り袋が入っていた。布で作られた、質素な袋だった。
「これは……」
「わしの母が、作ってくれたものだ」広綱の声には、感情が込められていた。「わしが初陣の時、母がくれた。それを持って、わしは戦場に出た。そして、無事に帰ってきた」
広綱は、守り袋を紘一の手に置いた。「これを、お前に渡す。必ず、無事に帰ってこい」
紘一は、その守り袋を握りしめた。温かかった。広綱の母の思いが、込められている。そして、広綱の思いも、込められている。
「ありがとうございます」紘一は、深く頭を下げた。「必ず、無事に帰ってきます」
広綱は、微笑んだ。「ああ、待っている」
その夜、紘一は部屋に戻り、荷物の最終確認をした。武器、防具、着替え、食料。すべてが、揃っている。
そして、広綱からもらった守り袋を、首にかけた。その重みが、心を落ち着かせた。
窓の外を見ると、雪は止んでいた。空には、星が輝いている。満天の星。その星を見ながら、紘一は誓った。
必ず、生きて帰る。そして、すべての兵を、無事に連れて帰る。
明日、戦場に出る。新しい試練が、始まる。だが、紘一は、それを乗り越える決意だった。




