二十二、広信の葛藤—若き当主の不安と成長
訓練が続く中、広信は複雑な思いを抱えていた。
ある夜、広信は紘一の部屋を訪ねてきた。その顔には、悩みが浮かんでいた。
「田邊さん、少しお時間よろしいですか」広信の声は、いつもより沈んでいた。
「もちろんだ。どうぞ」紘一は、広信を部屋に招き入れた。
広信は、座ったが、なかなか口を開かなかった。視線は、床に向けられている。何か、言いにくいことがあるようだった。
「広信様、何か悩みがあるのですか」紘一は、優しく尋ねた。
広信は、深く息をついた。そして、ゆっくりと口を開いた。「田邊さん、俺……情けないです」
「どうして」
「田邊さんは、戦場に出ます」広信の声は、震えていた。「二十名の兵を率いて、道三様の軍に参加します」広信は、拳を握りしめた。「ですが、俺は、ここに残ります」
紘一は、広信の悩みを理解した。広信は、領主の息子だ。本来なら、広信が兵を率いて戦場に出るべきだった。だが、広綱は、広信を戦場に出すことを許さなかった。
「父上は、俺を守っているんだと分かっています」広信は、続けた。「俺が死ねば、神崎家の跡継ぎがいなくなる。だから、危険な戦場には出せない」広信の目に、涙が滲んだ。「ですが、それでも、情けないんです」
「俺は、武士として生まれました」広信の声が、震えた。「武士なら、戦場に出るべきです。領民を守るために、刀を振るうべきです」広信は、顔を覆った。「ですが、俺は、ここで安全に過ごしている。田邊さんや兵たちが命をかけて戦っているのに」
紘一は、広信の肩に手を置いた。「広信様、あなたは間違っていません」
「でも……」
「広信様の役目は、戦場に出ることではありません」紘一は、真剣に言った。「広信様の役目は、領地を守ることです」
「領地を、守る……」
「はい」紘一は、続けた。「私が戦場に出ている間、誰がこの領地を守りますか。誰が、領民たちを導きますか」紘一は、広信を真っ直ぐ見た。「それが、広信様の役目です」
広信は、紘一の言葉を噛みしめた。
「戦場に出ることだけが、武士の役目ではありません」紘一は、続けた。「領地を治めること、領民を守ること、それも武士の重要な役目です」紘一の声には、確信があった。「そして、それは、戦場に出ることよりも、難しいことかもしれません」
「本当に、そうでしょうか」広信は、不安そうに尋ねた。
「本当です」紘一は、頷いた。「戦場では、敵を倒せばいい。シンプルです」紘一は、続けた。「ですが、領地を治めることは、複雑です。様々な問題があり、様々な人の利害が絡み合っています。それを調整し、皆が幸せになるように導く。それは、本当に難しいことです」
広信の目が、少し明るくなった。「そうか……俺の役目は、ここにあるのか」
「その通りです」紘一は、微笑んだ。「そして、広信様は、その役目を立派に果たしています」
「本当ですか」
「はい」紘一は、具体例を挙げた。「寺子屋で、子供たちに字を教えている。村を回って、領民の話を聞いている。それらは、すべて領主としての重要な仕事です」
広信は、涙を拭った。「ありがとうございます、田邊さん」
「そして、もう一つ」紘一は、続けた。「私が戦場に出ている間、広綱様を支えてください」
「父上を、ですか」
「はい」紘一は、頷いた。「広綱様は、まだ完全には回復していません。体力も、以前ほどではありません」紘一は、真剣に言った。「その広綱様を、広信様が支える。それが、今、最も重要なことです」
広信は、深く頷いた。「分かりました。父上を、しっかり支えます」
「そして、私が戻ったら、また一緒に領地を発展させましょう」紘一は、約束した。
「はい!」広信の顔が、明るくなった。
その夜、広信は希望を持って部屋を出ていった。そして、紘一は、広信の成長を改めて感じた。この若者は、確実に成長している。いつか、立派な領主になるだろう。
だが、同時に、紘一の心には不安もあった。自分が戦場から戻れなかったら。その時、広信は、一人で領地を守れるだろうか。
紘一は、窓の外を見た。雪が、静かに降っている。その雪を見ながら、紘一は誓った。必ず、生きて帰る。広信のために。広綱のために。平吉のために。そして、すべての領民のために。




