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十六、寺子屋の開校—最初の生徒たち

修理が完了してから三日後、寺子屋の開校式が行われた。

朝早くから、村人たちが集まってきた。子供を連れた親たち、好奇心に駆られた若者たち、そして学びたいという大人たち。総勢で四十人ほどが、お堂の周りに集まった。

お堂の前には、新しい看板が立てられていた。「神崎村寺子屋」と、紘一が筆で書いた文字が刻まれている。この時代、寺子屋という言葉はまだ一般的ではなかったが、紘一は現代の知識を活かして、この名前をつけた。

看板の文字は、力強く、美しかった。紘一は美術教師だったから、書道にも精通していた。その技術が、ここでも活かされていた。

「皆さん、お集まりいただき、ありがとうございます」紘一は、お堂の前に立って挨拶した。「今日から、この寺子屋で、字を教えます」

紘一の隣には、広信も立っていた。広信は、少し緊張した面持ちだったが、その目には決意が宿っていた。領主の息子として、領民と共に学び、教える。それは、広信にとって新しい経験だった。

「字を学べば、様々なことができるようになります」紘一は、続けた。「書物を読めば、知識を得られます。手紙を書けば、遠くの人とも交流できます」紘一の声には、情熱が込められていた。「そして、何より、自分の人生を、自分で切り開くことができます」

村人たちは、真剣に聞いていた。字を学ぶことが、どれほど重要か。それを、紘一の言葉から感じ取っていた。

「では、中に入ってください」紘一は、お堂の扉を開けた。

村人たちが、次々とお堂に入っていく。中に入ると、皆、驚きの声を上げた。

お堂の中は、完全に学び舎として整えられていた。床には清潔な畳が敷かれ、壁際には本棚が設置されている。その本棚には、紘一が持っていた数少ない書物と、広綱が提供してくれた古い書物が並べられていた。

部屋の中央には、長い机が並べられていた。これらの机は、権兵衛たち大工が新しく作ってくれたものだった。質素だが、しっかりとした造りだった。机の上には、紙、筆、墨が用意されている。

「すごい……」太郎が、呟いた。「こんな立派な場所で、字が学べるなんて」

子供たちは、興奮していた。初めて見る学び舎。初めて触れる筆や紙。すべてが、新鮮で、わくわくするものだった。

「では、座ってください」紘一は、指示した。

子供たちが、前の方の席に座る。大人たちは、後ろの方に座った。総勢で三十名ほどの生徒だった。子供が二十名、大人が十名。

紘一は、前に立った。そして、深く息を吸った。教師として、生徒たちの前に立つ。それは、現代でも何度も経験したことだった。だが、この時代では初めてだった。

「まず、自己紹介をします」紘一は、言った。「私は、田邊紘一です。神崎家に仕える者です」紘一は、続けた。「私は、字を教えることが好きです。そして、皆さんが字を学び、成長していく姿を見ることが、何より嬉しいです」

紘一の言葉に、生徒たちは頷いた。紘一の誠実さが、伝わっていた。

「そして、こちらは広信様です」紘一は、広信を紹介した。「若殿です」

生徒たちは、驚いた。若殿が、自分たちと一緒に、ここにいる。それだけで、感激だった。

「皆さん、初めまして」広信は、少し緊張しながら言った。「私は、広信です。私も、皆さんと一緒に学びたいと思っています」広信の声は、真剣だった。「字を教えることで、私自身も成長したいと思っています」

生徒たちは、拍手をした。若殿の謙虚な態度に、感銘を受けたのだ。

「では、最初の授業を始めます」紘一は、黒板の代わりに、大きな紙を壁に貼った。そこに、筆で大きく文字を書く。

「一」

シンプルな漢字だった。横線一本。だが、これが、すべての始まりだった。

「これは、『一』という字です」紘一は、説明した。「数字の一です」

生徒たちは、じっと見ていた。初めて見る文字。だが、シンプルで、美しい。

「では、皆さんも書いてみましょう」紘一は、言った。

生徒たちは、筆を手に取った。だが、多くの者は、筆の持ち方すら分からない。紘一と広信は、一人一人の席を回り、筆の持ち方を教えた。

「親指と人差し指で、こう持ちます」紘一は、実際に手を取って教えた。「中指で支えます」

子供たちは、不器用に筆を持った。だが、その目は、真剣だった。

「では、書いてみましょう」紘一は、言った。

子供たちは、紙に筆を下ろした。震える手で、横線を引く。曲がったり、太すぎたり、細すぎたり。だが、それでもいい。最初の一歩だ。

太郎の息子、名を吉松という八歳の少年が、一生懸命に書いていた。舌を出して、集中している。その横線は、曲がっていたが、力強かった。

「よくできました」紘一は、吉松を褒めた。

吉松の顔が、明るくなった。「本当ですか」

「ああ。最初は、誰でもこんなものだ。練習すれば、必ず上手になる」

紘一は、他の生徒たちも見て回った。一人一人に声をかけ、励ました。褒めるべきところは褒め、直すべきところは優しく指摘した。

大人の生徒たちも、必死だった。源蔵も、座って筆を持っていた。その手は、農作業で固くなっていて、筆を持つのは難しそうだった。だが、源蔵は諦めなかった。何度も何度も、横線を引く。

「源蔵さん、素晴らしいです」紘一は、源蔵を励ました。

「いや、全然うまくいかんですわ」源蔵は、苦笑した。「こんな歳になって、字を学ぶとはな」

「年齢は関係ありません」紘一は、言った。「学びたいという気持ちがあれば、いつでも学べます」

源蔵の目に、涙が滲んだ。「ありがとうございます、田邊様」

授業は、一時間ほど続いた。その間、生徒たちは、ひたすら「一」という字を書いた。何十回も、何百回も。紙が足りなくなると、紘一は追加の紙を配った。

やがて、授業が終わった。「今日は、ここまでです」紘一は、言った。「次回は、三日後です。それまでに、今日習ったことを復習しておいてください」

生徒たちは、立ち上がった。疲れた顔をしていたが、同時に、充実感もあった。

「田邊様、ありがとうございました」吉松が、深く頭を下げた。

「こちらこそ、一生懸命学んでくれてありがとう」紘一は、微笑んだ。

生徒たちが帰っていく。その背中には、希望があった。字を学べる。知識を得られる。未来を切り開ける。そんな希望が、背中に宿っていた。

紘一は、お堂の中に残り、片付けをした。広信も手伝ってくれた。

「田邊さん、楽しかったです」広信は、嬉しそうに言った。「教えるということが、こんなに楽しいとは思いませんでした」

「そうでしょう」紘一は、微笑んだ。「人が成長する姿を見るのは、何より嬉しいことです」

「はい」広信は、頷いた。「俺も、もっと頑張ります」

二人は、お堂を出た。外では、雪がちらちらと降り始めていた。冬の午後の雪。静かで、美しい。

紘一は、空を見上げた。雪が、顔に降りかかる。冷たいが、心地よい。

寺子屋が始まった。小さな一歩だが、確実な一歩だった。この一歩が、いつか大きな変化を生むだろう。紘一は、そう信じていた。


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