六、冬の医療—源蔵の快復と医療改善の構想
神崎領に戻って数日後、紘一は再び源蔵の家を訪れた。源蔵の容態が心配だったからだ。宗安医師の治療と、紘一が提供した食料や薬のおかげで、源蔵は徐々に回復しているという報告は受けていた。だが、実際に自分の目で確かめたかった。
源蔵の家に着くと、娘が出迎えてくれた。その顔には、以前のような絶望的な表情はなかった。代わりに、わずかな希望の光が宿っていた。
「田邊様、ありがとうございます」娘は、深く頭を下げた。「父は、少しずつ良くなっています」
紘一は、家の中に入った。源蔵は、まだ床に伏せていたが、顔色は以前よりずっと良くなっていた。青白かった顔に、わずかに血の気が戻っている。呼吸も、以前より楽そうだった。
「源蔵さん、具合はいかがですか」紘一は、源蔵の側に座った。
源蔵は、目を開けた。その目は、以前よりずっと澄んでいた。「田邊様……」源蔵の声は、まだ弱々しかったが、以前よりはっきりしていた。「おかげさまで、だいぶ楽になりました」
「それは良かった」紘一は、安堵した。「宗安先生の薬は、効いていますか」
「はい」源蔵は、頷いた。「あの薬を飲むと、咳が楽になります」源蔵は、続けた。「そして、田邊様がくださった鶏のスープ。あれが、本当に美味しくて」源蔵の目に、涙が滲んだ。「こんなに美味しいものを、何年ぶりに食べたか……」
紘一は、胸が痛んだ。鶏のスープ。それは、現代では当たり前の食べ物だ。病気の時には、栄養をつけるために食べる。だが、この時代の貧しい農民にとって、鶏のスープは贅沢品だった。鶏は、卵を産む貴重な家畜だ。それを食べるなど、よほどのことがない限り、できないことだった。
「源蔵さん、もう少しで完全に良くなります」紘一は、励ました。「そうしたら、また村のために働いてください」
「はい」源蔵は、力なく頷いた。「ですが、田邊様……」源蔵の声が、暗くなった。「私のような老人のために、こんなにしていただいて……申し訳ございません」
「何を言っているんですか」紘一は、首を横に振った。「源蔵さんは、この村を何十年も支えてこられた。その方を助けるのは、当然のことです」
源蔵は、涙を流した。「ありがとうございます」
紘一は、源蔵の家を後にしながら、考えていた。医療を改善しなければならない。この時代の医療は、あまりにも貧弱だ。病気になっても、医者にかかれない人が多い。薬も高価で、手に入らない。そして、予防医学という概念も、ほとんどない。
紘一には、現代の医学知識があった。もちろん、専門的な医師ではないから、詳しいことまでは分からない。だが、基本的な衛生管理、栄養学、予防医学の知識はある。それを、この時代に応用できないか。
まず、衛生管理だ。この時代の人々は、手を洗う習慣があまりない。トイレの後でさえ、水で軽く流す程度だ。石鹸もない。その結果、様々な感染症が広がる。特に、夏場は食中毒が多発する。冬場は、風邪やインフルエンザが流行する。
手洗いの習慣を広めるだけでも、感染症の発生率は大幅に下がるはずだ。だが、どうやって広めるか。紘一は、考えた。まず、広綱に提案して、屋敷内で手洗いを義務化する。そして、その効果を実証する。病気になる人が減れば、農民たちも真似するだろう。
次に、栄養だ。この時代の農民の食事は、あまりにも貧しい。雑穀の粥が中心で、野菜も少ない。タンパク質は、ほとんど取れない。その結果、栄養失調になり、免疫力が低下し、病気にかかりやすくなる。
太郎の田んぼの成功で、少しずつ食事は改善されている。だが、それだけでは不十分だ。もっと、タンパク質を取れるようにしなければならない。魚、豆、卵。これらを、もっと食べられるようにする必要がある。
紘一は、屋敷に戻ると、すぐに広綱に提案した。
「殿、領民の健康を改善するために、いくつか提案があります」
広綱は、興味深そうに紘一を見た。「聞かせてくれ」
紘一は、説明した。手洗いの重要性。栄養の重要性。そして、予防医学の重要性。
広綱は、真剣に聞いていた。そして、頷いた。「なるほど。確かに、領民が健康であれば、働ける。働ければ、収穫が増える。収穫が増えれば、年貢も増える」広綱の分析は、現実的だった。「そして、何より、領民が幸せになる」
「その通りです」紘一は、頷いた。
「では、まず屋敷内で試してみよう」広綱は、決断した。「手洗いを義務化する。そして、効果を見る。効果があれば、村にも広める」
「ありがとうございます」紘一は、深く頭を下げた。
こうして、神崎領での医療改善の第一歩が始まった。
毎日6:00と12:00に更新します。




