二十三、村長との対話—民の声
翌日、紘一は小山領の村を訪れた。
吉田の案内で、最も大きな村に向かった。
人口は約二百人。
小山領の中心的な村だという。
村に着くと、村長が出迎えてくれた。
名を源蔵という、六十代の男だった。
白髪で、腰も曲がっている。
だが、目には力があった。
長年、この村を守ってきた男の、力だった。
「田邊様、よく来てくださいました」
源蔵は、丁寧に頭を下げた。
その声は、しわがれているが、温かかった。
「こちらこそ、お時間をいただき、ありがとうございます」
紘一も、深く頭を下げた。
源蔵は、紘一を村の広場に案内した。
そこには、すでに多くの村人が集まっていた。
男も女も、老いも若きも。
三十人以上いるだろうか。
皆、紘一を見ている。
その目には、不安と期待が入り混じっていた。
よそ者が来た。
何か、変化が起こるのではないか。
そんな予感が、村人たちの間に漂っていた。
「皆さん、初めまして」
紘一は、丁寧に頭を下げた。
深く、誠実に。
村人たちへの敬意を、示す。
「私は、神崎家の田邊紘一と申します」
村人たちは、戸惑った様子だった。
神崎家。
隣国の、小さな領地。
なぜ、その家臣がここに来たのか。
疑問と、不安が、村人たちの顔に浮かんでいた。
「今日は、皆さんにお話があって来ました」
紘一は、ゆっくりと話し始めた。
その声は、穏やかだった。
だが、真剣さが込められていた。
「斎藤家が、この領地を狙っています」
村人たちの顔が、一斉に曇った。
ざわめきが、広場に広がった。
「斎藤家……」
「あの、美濃の蝮か……」
不安の声が、上がった。
子供を抱きしめる母親。
拳を握りしめる男たち。
恐怖が、村人たちを襲った。
「はい」
紘一は、頷いた。
「斎藤家は、大軍を率いて攻めてくるかもしれません」
紘一の言葉に、村人たちの不安が増した。
ざわめきが、さらに大きくなった。
「もし戦いになれば、皆さんの村も、戦場になります」
紘一は、続けた。
その声は、静かだった。
だが、重かった。
「家が焼かれ、田畑が荒らされ、多くの方が命を落とすでしょう」
「そんな……」
一人の老農民が、震える声で言った。
「俺たちは、どうすればいいんだ」
その声には、絶望が滲んでいた。
長年、貧しさに苦しんできた。
やっと生き延びてきた。
それなのに、今度は戦いに巻き込まれる。
そんな理不尽さが、老農民の声に表れていた。
「それを、今から話します」
紘一は、真剣な顔で言った。
「小山領主は、斎藤家に臣従することを考えています」
「臣従……」
村人たちは、顔を見合わせた。
その言葉の意味が、すぐには理解できないようだった。
「はい」
紘一は、説明した。
「戦うのではなく、斎藤家の配下に入るということです」
「そうすれば、戦いを避けられます」
紘一の言葉に、村人たちは少し安心したような顔をした。
戦いを避けられる。
それだけで、希望だった。
「皆さんの命も、家も、田畑も守れます」
紘一は、続けた。
「ですが、臣従すれば、小山家の独立は失われます」
紘一は、正直に言った。
嘘をついても、いずれバレる。
ならば、最初から正直に言う方がいい。
「形式的には、斎藤家の支配下に入ることになります」
「それは……」
村人たちから、質問の声が上がった。
「どうなんです」
「俺たちの生活は、変わるんですか」
紘一は、一つ一つの質問に答えた。
「基本的には、変わりません」
紘一は、説明した。
「小山領主が、引き続き統治します」
「年貢も、今と同じです」
「ただ、その一部が、斎藤家に納められることになります」
村人たちは、顔を見合わせた。
それほど悪い話ではない、と思ったようだった。
「皆さんに、聞きたいのです」
紘一は、村人たちを見回した。
「戦って独立を守るのと、臣従して命を守るのと、どちらを望みますか」
長い沈黙が、広場を支配した。
村人たちは、顔を見合わせた。
誰も、すぐには答えられなかった。
重い決断だった。
簡単に答えられる問題ではない。
やがて、源蔵が前に出た。
「田邊様」
源蔵の声は、しわがれていた。
だが、力強かった。
「俺たち、独立とか、そういうのはよく分かりません」
源蔵は、正直に言った。
その目は、真剣だった。
「俺たちは、ただ、毎日を生きるのに必死なんです」
源蔵の声が、震えた。
「朝から晩まで、田んぼで働いて、それでもやっとこさ食っていける」
源蔵は、拳を握りしめた。
「子供たちに、満足に食べさせることもできない」
「冬は、寒さに震えながら眠る」
「病気になっても、医者にかかる金もない」
源蔵の声には、長年の苦しみが滲んでいた。
「戦になれば、俺たちが死ぬ。それだけは、分かります」
源蔵は、紘一を真っ直ぐ見た。
「だから、俺は臣従に賛成です」
「源蔵……」
他の村人たちが、驚いた顔をした。
村長が、そう言い切った。
「独立とか、誇りとか、そんなもんは、腹の足しにもならねえ」
源蔵は、続けた。
その声は、強かった。
「俺たちに必要なのは、平和に暮らせることだ」
「朝起きて、田んぼに行って、夜は家族と飯を食う」
「それができれば、それでいい」
源蔵の言葉に、他の村人たちも頷き始めた。
「そうだ」
「俺も、臣従に賛成だ」
「戦は、嫌だ」
次々と、賛成の声が上がった。
母親たちは、子供を抱きしめながら頷いた。
老人たちは、涙を流しながら賛成した。
若者たちも、現実を受け入れた。
「俺たちは、生きたい」
一人の若者が、叫んだ。
「ただ、生きたいだけなんだ」
その声は、切実だった。
戦いで死にたくない。
ただ、普通に生きたい。
それだけを、望んでいる。
紘一は、胸が熱くなった。
村人たちの声。
それは、この時代を生きる人々の、切実な願いだった。
平和。
ただ、平和に暮らしたい。
それだけを、望んでいる。
「皆さん、ありがとうございます」
紘一は、深く頭を下げた。
「皆さんの声を、必ず領主に伝えます」
「お願いします」
源蔵も、頭を下げた。
「俺たちを、守ってください」
その声は、祈りのようだった。
「はい。必ず」
紘一は、約束した。




