二十一、貞信の反発—若者の理想と現実
その時、部屋の外から、声が聞こえた。
「父上!」
若い男の声だった。
怒りに満ちた、激しい声。
襖が勢いよく開き、一人の若者が飛び込んできた。
二十歳くらいだろうか。
精悍な顔立ちで、体格もいい。
武人の雰囲気があった。
目は大きく、鋭い。
だが、その目には、怒りが燃えていた。
髪は短く刈り込まれ、体は筋肉質だ。
武芸の訓練を積んでいるのだろう。
着物も、動きやすいものを選んでいる。
その姿は、まさに若き武士だった。
「貞信か」
貞親が、驚いた顔をした。
「どうした」
「父上、今の話は本当ですか」
若者—貞信は、怒りに顔を紅潮させていた。
その声は、震えている。
怒りと、悲しみと、失望が、混ざっている。
「斎藤家に臣従するなど……」
貞信の声は、大きかった。
感情を抑えられていない。
若さゆえの、激しさだった。
「貞信、落ち着きなさい」
貞親は、息子をたしなめた。
だが、その声には、力がなかった。
「落ち着けません!」
貞信は、声を荒げた。
拳を握りしめ、全身が震えている。
「我が小山家は、代々独立を守ってきました」
貞信は、続けた。
その声には、誇りが滲んでいた。
「曽祖父の代から、百年以上」
「誰にも屈せず、独立を保ってきました」
貞信の目には、涙が滲んでいた。
「それを、今更捨てるなど……」
貞信は、父を睨んだ。
「先祖に、申し訳ないと思わないのですか」
「貞信」
貞親は、厳しい声で言った。
だが、その目には、悲しみがあった。
息子の気持ちが、分かるのだろう。
自分も、同じように悩んだのだから。
「お前は、領民のことを考えたことがあるか」
「領民……?」
貞信は、戸惑った顔をした。
予想外の質問だったのだろう。
「そうだ」
貞親は、続けた。
その声は、厳しかった。
父としてではなく、領主として。
「戦えば、彼らが死ぬ」
「それでもいいのか」
貞親の言葉に、貞信は黙った。
だが、その顔には、納得していない色が浮かんでいた。
理屈では分かっても、感情が受け入れられない。
そういう顔だった。
「貞信様」
紘一が、口を開いた。
貞信の視線が、紘一に向いた。
その目は、敵意に満ちていた。
よそ者が、自分の家のことに口を出している。
それが、許せないのだろう。
「一つ、聞かせてください」
「……何だ」
貞信は、不機嫌そうに答えた。
「武士の誇りとは、何でしょうか」
紘一の質問に、貞信は驚いた顔をした。
「何?」
「武士の誇りです」
紘一は、真剣な顔で言った。
その目は、貞信を真っ直ぐ見ていた。
「形式的な独立を守って、領民を死なせることですか」
「それとも、領民を守るために、現実的な選択をすることですか」
紘一の言葉に、貞信は答えられなかった。
口を開こうとしたが、言葉が出てこない。
「私は、後者が本当の誇りだと思います」
紘一は、続けた。
その声は、穏やかだが、力強かった。
「弱い者を守る」
「それが、武士の本当の務めではないでしょうか」
紘一の言葉は、シンプルだった。
だが、深い真実があった。
貞信は、黙り込んだ。
その顔には、葛藤が浮かんでいた。
紘一の言葉が、心に響いているのだろう。
だが、簡単には受け入れられない。
若さゆえの理想主義が、邪魔をしている。
「私には……」
貞信は、苦しそうに言った。
「私には、分かりません」
貞信の声は、震えていた。
「ただ、先祖が守ってきた独立を、自分の代で失うのが、悔しいんです」
貞信の目から、涙がこぼれた。
二十歳の若者が、泣いている。
それは、純粋な悲しみだった。
計算も、打算もない。
ただ、純粋に、家の独立を失うことが悲しいのだ。
「貞信……」
貞親が、息子に歩み寄った。
そして、その肩に手を置いた。
「お前の気持ちは、分かる」
貞親の声は、優しかった。
「私も、同じように悔しい」
貞親は、続けた。
「だが、これが現実だ」
「我らには、戦う力がない」
「戦えば、領民が死ぬ」
貞親の声が、震えた。
「それを、避けなければならない」
貞親は、息子を抱きしめた。
「いつか、必ず独立を取り戻す」
貞親は、約束した。
「お前が、それをやってくれ」
「父上……」
貞信は、父の胸で泣いた。
二十歳の若者が、子供のように泣いている。
その姿は、痛々しかった。
だが、同時に、人間的でもあった。
やがて、貞信は涙を拭いた。
そして、紘一を見た。
その目には、まだ複雑な感情があった。
納得と、抵抗と、悔しさが、入り混じっている。
「……分かった」
貞信は、小さな声で言った。
「臣従に、反対はしない」
だが、その声には、力がなかった。
「だが、俺は納得していない」
貞信は、紘一を睨んだ。
「いつか、必ず独立を取り戻す」
「それが、俺の使命だ」
そう言って、貞信は部屋を出ていった。
その背中は、悲しかった。
だが、同時に、希望もあった。
いつか、独立を取り戻す。
その決意が、背中に宿っていた。




