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七、斎藤領への道—監視の目

翌朝、紘一は伊藤、平吉と共に出発した。

護衛として、三名の兵が同行した。

一行は六名。

少人数だが、これが適切な規模だった。

「行ってきます」

紘一は、広信に挨拶した。

「田邊さん、気をつけて」

広信の声には、不安が滲んでいた。

だが、同時に、信頼も込められていた。

「はい。必ず、無事に戻ってきます」

紘一は、馬に乗った。

そして、一行は神崎領を後にした。

秋が深まり、木々の葉がさらに色づいていた。

赤、黄、橙、茶。

様々な色が、山を彩っている。

美しい景色だった。

だが、紘一の心は、重かった。

これから向かう先で、何が待っているのか。

斎藤道三という男は、どんな人物なのか。

交渉は、成功するのか。

不安が、次々と湧いてくる。

だが、紘一は表情を変えなかった。

冷静を装い、前を見据えている。

「田邊殿」

伊藤が、馬を並べてきた。

「大丈夫ですか」

「ああ」

紘一は、頷いた。

「少し緊張しているだけだ」

「当然でしょう」

伊藤は、理解を示した。

「斎藤道三と交渉するのですから」

伊藤は、少し間を置いてから続けた。

「私も、昔、一度だけ道三に会ったことがあります」

「そうなのですか」

「ええ。十年ほど前です」

伊藤の目が、遠くを見た。

「ある会合で、道三と同席しました」

「その時の印象は?」

「恐ろしい男でした」

伊藤は、率直に言った。

「目が、すべてを見透かすようでした」

「そして、言葉の一つ一つに、毒が含まれているようでした」

伊藤の声が、わずかに震えた。

「表面上は礼儀正しく、穏やかでした」

「ですが、その裏に、冷酷な計算があるのが分かりました」

「……なるほど」

紘一は、心の準備をした。

斎藤道三という男の恐ろしさ。

それを、改めて認識した。

一行は、山道を進んだ。

神崎領から斎藤領までは、馬で一日半の道のりだった。

道は、整備されていない山道で、険しい。

雨が降れば、泥濘になるだろう。

だが、今日は天気が良い。

青空が広がり、風も穏やかだ。

道中、紘一は周囲の風景を観察していた。

美濃の国は、豊かな土地だった。

田んぼが広がり、村が点在している。

神崎領よりも、明らかに発展している。

家々も、しっかりとした造りだ。

壁は土壁だが、よく手入れされている。

屋根も、茅葺きだが、新しい。

道も、神崎領よりよく整備されている。

「さすが、斎藤家の領地だな」

紘一は、呟いた。

「田邊さん、やはり違いますね」

平吉も、同じことを感じていた。

「神崎領より、ずっと豊かです」

「ああ。斎藤道三は、領地経営にも長けているんだろう」

紘一は、考えた。

道三は、ただの武将ではない。

策略家であり、同時に優れた統治者でもある。

領地を豊かにし、人々の生活を向上させている。

それが、道三の力の源泉なのだろう。

豊かな領地は、多くの年貢を生む。

多くの年貢は、多くの兵を養える。

多くの兵は、強大な軍事力となる。

そして、強大な軍事力は、さらなる領地拡大を可能にする。

好循環だ。

道三は、その循環を理解し、実行している。

だが、同時に、戦乱の痕跡もあった。

焼け落ちた家屋の跡。

荒れた田畑。

墓標が並ぶ丘。

斎藤道三が美濃を統一する過程で、多くの戦いがあったのだろう。

その犠牲が、ここに残っている。

「戦のない世の中に、できないものか……」

紘一は、呟いた。

「田邊さん?」

平吉が、不思議そうに尋ねた。

「いや、何でもない」

紘一は、首を横に振った。

戦のない世の中。

それは、紘一の理想だった。

だが、この戦国時代では、夢物語だ。

力こそが正義の時代。

強い者が弱い者を支配する時代。

それが、現実だった。

「田邊さん」

平吉が、馬を並べて話しかけてきた。

「何か、おかしくないですか」

「おかしい?」

「はい。さっきから、誰かに見られているような気がします」

平吉の言葉に、紘一は周囲を注意深く見た。

確かに、気配がある。

森の中、木々の陰に、人がいる。

複数だ。

少なくとも、五人以上。

おそらく、もっと多い。

「監視されているな」

紘一は、小声で言った。

「やはり……」

平吉も、気づいていたのだ。

「斎藤家の斥候だろう」

伊藤が、前から声をかけてきた。

「我らが本当に使者なのか、それとも別の目的があるのか、確かめているんだ」

「どうしますか」

平吉が、緊張した声で尋ねた。

「何もしない」

紘一は、答えた。

「我らは使者だ。堂々と進めばいい」

紘一は、意図的に、監視されていることに気づいていないふりをした。

普通に馬を進める。

普通に会話をする。

だが、内心では、常に警戒していた。

監視している者たちの位置。

その数。

武装の程度。

すべてを、観察していた。

これも、能力のおかげだろうか。

紘一の観察眼は、異常に鋭くなっていた。

周辺視野が広がり、細かい動きも捉えられる。

音も、普通の人間より遠くまで聞こえる。

匂いも、より敏感に感じ取れる。

まるで、動物のような感覚だった。

一行は、そのまま進んだ。

だが、監視の目は、ずっと続いた。

半日ほど進んだ頃、街道で休憩を取った。

木陰に座り、水を飲む。

持参した握り飯を食べる。

雑穀の握り飯だが、塩がきいていて、それなりに美味しい。

その時、森の中から、数名の男が現れた。

武装している。

斎藤家の兵だ。

鎧を着け、刀や槍を持っている。

だが、敵意は感じられない。

抜刀していないし、構えてもいない。

ただ、こちらを観察している。

「お前たち、何者だ」

男の一人が、尋ねた。

四十代くらいの、精悍な顔をした男だった。

鎧は質が良く、刀も立派だ。

おそらく、それなりの地位の武士だろう。

顔には傷跡があり、戦場経験が豊富なことが伺える。

「神崎家の使者だ」

紘一は、冷静に答えた。

馬から降り、丁寧に頭を下げた。

使者としての礼儀を、きちんと示す。

「斎藤殿に会いに行く」

「神崎家……ああ、あの松永を破った家か」

男は、興味深そうに紘一を見た。

その目は、値踏みするような目だった。

紘一の体格、武装、態度。

すべてを、観察している。

「では、お前が噂の田邊紘一か」

「左様」

紘一は、頷いた。

男は、紘一をじっと見つめた。

その視線は、鋭く、容赦ない。

まるで、紘一の心の中まで見ようとしているようだった。

「なるほど……道三様が、お前に興味を持っておられる」

男は、笑った。

だが、その笑いには、何か含みがあった。

試すような笑い。

挑発するような笑い。

「我らは、道三様の命で、お前たちを監視していた」

「監視?」

紘一は、驚いたふりをした。

だが、内心では、やはりと思っていた。

「ああ。お前たちが本当に使者なのか、それとも別の目的があるのか、確かめるためにな」

男の言葉に、紘一は内心で警戒を強めた。

斎藤道三は、やはり只者ではない。

使者が来ることを予測し、事前に監視をつけていた。

しかも、紘一の名前まで知っている。

情報収集が、徹底している。

「安心しろ。お前たちが使者だと分かった」

男は、続けた。

「これから、我らが稲葉山城まで案内する」

「ありがたい」

紘一は、頭を下げた。

だが、心の中では警戒していた。

案内、というより、監視だ。

逃げられないようにしているのだ。

そして、おそらく、紘一たちの会話も聞かれている。

迂闊なことは言えない。

「行こう」

男たちに先導されて、一行は再び馬を進めた。

紘一は、平吉と伊藤に目配せした。

二人も、理解したようだった。

これから、すべての言動が監視される。

気を引き締めなければならない。

一行は、黙々と馬を進めた。

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