閑話一 一ヶ月後の現代
春日野中学校
田邊紘一が消えてから、一ヶ月が経った。
学校は、通常通りの日常を取り戻していた。
美術の授業は、別の教師が担当することになった。
若い女性教師、桜井が、その役を引き継いだ。
だが、桜井は、いつも不安を感じていた。
「私、田邊先生のようにはできない……」
授業の準備をしながら、桜井は呟いた。
田邊紘一は、優れた教師だった。
生徒たちに絵を教えるだけでなく、観察する目、考える力を育てた。
桜井も、そうありたいと思っている。
だが、経験が足りない。
「田邊先生、どこに行ってしまったんですか」
桜井は、窓の外を見た。
校庭では、生徒たちが体育の授業を受けている。
平和な日常が、そこにはある。
だが、田邊紘一だけが、その日常から消えてしまった。
中村綾香の決意
中村綾香は、毎日、絵を描き続けていた。
田邊先生が教えてくれたことを、忘れないように。
そして、ある日、綾香は決意した。
「私、美大に行きます」
母親に、そう宣言した。
「本当に?」
母親は、驚いた顔をした。
綾香の家は、それほど裕福ではない。
美大に行くには、お金がかかる。
「はい。田邊先生が、私なら大丈夫って言ってくれました」
「そう……」
母親は、少し考えてから頷いた。
「分かったわ。頑張りなさい」
「ありがとう、お母さん」
綾香は、自分の部屋に戻った。
そして、田邊先生が描いてくれた似顔絵を見た。
「先生、見ていてください」
綾香は、呟いた。
「私、頑張ります」
田邊紘一の自宅
大家は、ついに田邊の部屋を完全に片付けることにした。
一ヶ月半経っても、何の連絡もない。
警察も、もう捜索していない。
「仕方ないですね」
大家は、部屋の荷物をすべて箱に詰めた。
本、画材、衣服、写真。
田邊紘一の人生の痕跡が、箱の中に収められていく。
「田邊さん、本当にどこに行ってしまったんでしょう」
大家は、呟いた。
そして、最後に、小さな仏壇を見た。
田邊の妻の位牌が、安置されている。
「奥さん、旦那さんを見守ってあげてくださいね」
大家は、手を合わせた。
そして、部屋を出た。
田邊紘一の部屋は、空になった。
まるで、最初から誰も住んでいなかったかのように。
警察署
山田刑事は、田邊紘一の事件ファイルを閉じた。
「結局、何も分からなかったな」
刑事は、呟いた。
田邊紘一は、文字通り消えた。
防犯カメラにも映っていない。
目撃者もいない。
まるで、蒸発したように。
「こんな事件、初めてだ」
山田刑事は、窓の外を見た。
青い空が、広がっている。
「田邊さん、どこにいるんですか」
刑事の問いかけは、誰にも届かなかった。




