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十六、領民たちとの交流

田邊が神崎家に来て、一週間が経った。

この日、田邊は平吉と共に、再び村を訪れた。

前回は、ただ見て回っただけだったが、今回は領民たちと話をするためだった。

「田邊さんは、殿の信任を得ているから、領民たちも話を聞いてくれると思います」

平吉は、そう言った。

村は、神崎家の屋敷から徒歩で三十分ほどの場所にあった。

道は舗装されておらず、雨が降れば泥濘になるだろう。

両側には田んぼが広がっていた。

稲は、まだ青々としているが、少し元気がないように見える。

「今年は、雨が少ないんです」

平吉が説明した。

「このままだと、収穫が減るかもしれません」

紘一は、田んぼをじっくりと観察した。

水は張られているが、量が少ない。

稲の葉が、わずかに黄色がかっている。

水不足の兆候だ。

「灌漑の設備は?」

「ありません」

平吉は、首を横に振った。

「川から水を引いていますが、今年は川の水量も少なくて」

紘一は、現代の知識を思い出した。

灌漑技術の改善。

水路の整備。

溜池の建設。

様々な方法がある。

だが、この時代、そうした大規模な工事は難しい。

資金も、技術も、人手も不足している。

「まずは、できることから始めよう」

紘一は、決めた。

田んぼでは、農民たちが働いていた。

男も女も、腰をかがめて田の手入れをしている。

その表情は、疲れ切っていた。

日に焼けた顔に、深い皺が刻まれている。

四十代、五十代に見えるが、実際にはもっと若いのかもしれない。

厳しい労働と栄養不足が、人々を老けさせていた。

「皆、大変そうだな」

紘一が呟くと、平吉は頷いた。

「そうですね。今年は特に厳しいです」

「雨が少ないだけじゃなく、他にも問題があるのか」

「はい。年貢が重いんです」

平吉の声には、不満が滲んでいた。

「収穫の半分以上を、殿に納めなければなりません」

「半分以上……」

紘一は、驚いた。

戦国時代、年貢は確かに重かった。

だが、半分以上となると、農民の手元にはほとんど何も残らない。

「それで、皆、食べていけるのか」

「ぎりぎりです。凶作の年は、飢える者も出ます」

平吉の言葉に、紘一は胸が痛んだ。

現代日本では、飢えるということは、ほとんどない。

セーフティネットがあり、生活保護もある。

だが、この時代は違う。

飢饉が起きれば、人々は本当に飢え死にする。

それが、現実だった。

「殿も、心配しておられます。何とかしたいのですが……」

平吉は、複雑な表情を浮かべた。

領主も、万能ではない。

年貢を軽くすれば、領主の収入が減る。

そうなれば、兵を雇えなくなり、領地を守れなくなる。

領地を守れなければ、敵に攻められ、領民たちはもっと苦しむことになる。

ジレンマだ。

「年貢のことは、すぐには変えられないだろう」

紘一は、言った。

「だが、収穫を増やすことはできるかもしれない」

「収穫を、ですか」

「ああ。農業技術を改善すれば、同じ面積でも収穫を増やせる」

紘一は、現代の知識を応用しようと考えた。

だが、いきなり大きな変化を提案しても、受け入れられないだろう。

農民たちは、何世代にもわたって受け継がれてきた方法で農業をしている。

よそ者が来て、「こうすればいい」と言っても、簡単には信じてもらえない。

失敗すれば、一家が飢えることになる。

そんなリスクは、取れない。

「まずは、話を聞いてみよう」

紘一は、平吉に言った。

「農民たちが、どんな問題を抱えているのか」

「分かりました」

二人は、田んぼで働いている農民たちに近づいた。

「こんにちは」

紘一が声をかけると、農民たちは驚いて顔を上げた。

よそ者だ。

しかも、殿の屋敷から来た者だ。

何か、新しい税でも課すつもりではないか。

そんな疑いの目が、紘一に向けられた。

「私は、田邊紘一と申します。殿のお屋敷で働かせていただいています」

紘一は、丁寧に頭を下げた。

農民たちは、戸惑った様子だった。

殿の屋敷の者が、自分たちに頭を下げる。

そんなことは、滅多にない。

「今日は、皆さんのお話を聞きに来ました」

紘一は、ゆっくりと話し始めた。

「田んぼのこと、農業のこと、何か困っていることはありませんか」

農民たちは、顔を見合わせた。

誰も、すぐには答えなかった。

やがて、一人の年配の農民が口を開いた。

「困っていること、ですか……」

その声は、疲れ切っていた。

「ありますとも。たくさん」

「聞かせていただけますか」

「まず、水です」

年配の農民は、田んぼを指差した。

「今年は雨が少ない。川の水も減っている。このままでは、稲が育ちません」

「なるほど」

紘一は、頷いた。

「他には?」

「肥料が足りません」

別の農民が、口を開いた。

三十代くらいの、痩せた男だった。

「草を刈って、それを肥料にしていますが、足りないんです」

「草だけで、肥料を作っているのですか」

「はい。他に、何があるというのですか」

農民の言葉に、紘一は考えた。

この時代、化学肥料はない。

農民たちは、草や落ち葉を発酵させて堆肥を作っている。

だが、それだけでは、栄養が不足する。

「人糞は、使っていないのですか」

紘一の質問に、農民たちは顔をしかめた。

「使っていません。臭いし、汚いし……」

「でも、人糞は優れた肥料になりますよ」

紘一は、説明した。

「ちゃんと発酵させれば、臭いも減ります。そして、稲がよく育ちます」

農民たちは、半信半疑の顔をした。

「本当ですか……」

「はい。試してみる価値はあります」

紘一は、続けた。

「他にも、灰を使う方法もあります」

「灰、ですか」

「ええ。薪を燃やした後の灰です。あれには、稲に必要な養分が含まれています」

農民たちは、驚いた顔をした。

「灰が、肥料に?」

「そうです。田んぼに撒けば、稲が元気になります」

紘一の説明に、農民たちは興味を持ち始めた。

だが、同時に、疑いの目も向けられた。

「田邊様、それは本当なのですか」

年配の農民が、慎重に尋ねた。

「もし嘘だったら、俺たちは収穫を失います。家族が飢えます」

「分かっています」

紘一は、真剣な顔で答えた。

「だから、まず小さな田んぼで試してみませんか」

「小さな田んぼ……」

「はい。失敗しても被害が少ない場所で。成功すれば、来年から皆さんも試せます」

農民たちは、顔を見合わせた。

誰も、すぐには決断できない。

失敗するリスクが、あまりにも大きい。

その時、一人の農民が前に出た。

名を太郎という、三十代半ばの男だった。

日に焼けた顔に、誠実そうな目をしていた。

「俺がやります」

太郎は、言った。

「俺の裏の田んぼで、試してみます」

「太郎、本当にいいのか」

他の農民が、心配そうに言った。

「もし失敗したら……」

「大丈夫だ」

太郎は、紘一を見た。

「田邊様を、信じてみます」

「ありがとうございます」

紘一は、深く頭を下げた。

「必ず、良い結果を出してみせます」

こうして、田邊の最初の農業改革の試みが始まった。



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