五、織田家との緊張—国境での小競り合い
秋が訪れた。1533年の秋だった。
美濃の内政改革は、順調に進んでいた。
だが、外からの脅威が、近づいていた。
織田信秀が、動き始めたのだ。
ある日、国境の村から、急報が入った。
「織田家の兵が、国境を越えて侵入してきました」
紘一はすぐに道三に報告した。
道三は厳しい顔をした。「ついに、来たか」
「どうされますか」
「まず、状況を確認する」道三は冷静だった。
「稲葉、国境へ行け。そして、報告しろ」
稲葉一鉄は、すぐに国境へ向かった。
数日後、稲葉が戻ってきた。
「織田家の兵、約百名が、国境の村を襲いました」稲葉の報告は、簡潔だった。
「村は、略奪され、数名の領民が殺されました」
道三の顔が、険しくなった。
「織田信秀め……」
「ですが」稲葉は、続けた。
「彼らは、すぐに撤退しました。本格的な侵攻ではなく、威力偵察のようです」
「威力偵察……」道三は呟いた。
「つまり、わしを試しているのか」
紘一も、その意図を理解した。
織田信秀は美濃が統一されたことを知っている。
その統一された美濃が、どれほど強いのか。それを、試している。
「道三様」紘一が口を開いた。
「ここで、どう対応するかが、重要です」
「どういうことだ」
「もし、過剰に反応すれば、戦争になります」紘一は説明した。
「ですが、反応しなければ、織田家は、美濃を弱いと判断します」
道三は頷いた。
「つまり、適切な対応が必要だ」
「はい」
道三は考えた。そして、決断した。
「国境の守備を強化する」道三は命じた。
「兵を五百名、国境に配置しろ」
「承知しました」稲葉は、すぐに動いた。
「そして、田邊」道三は紘一を見た。
「織田家に、使者を送れ」
「使者、ですか」
「そうだ」道三は続けた。
「抗議の使者だ。『美濃の領土を侵すな』と伝えろ」
紘一はその意図を理解した。
武力を見せつつ、外交の余地も残す。
それが、道三の戦略だった。
「承知しました」
紘一は使者として、織田家へ向かうことになった。
だが、その前に、紘一は広綱に相談した。
「殿、織田家へ行くことになりました」
広綱は心配そうな顔をした。
「織田家か……危険ではないか」
「かもしれません」紘一は正直に答えた。
「ですが、これは重要な任務です」
広綱はしばらく黙っていた。そして、言った。
「気をつけて行け。そして、必ず帰ってこい」
「はい」
紘一は伊藤と平吉を連れて、織田家へ向かった。
織田家の本拠地は、尾張の清洲城だった。
数日間の旅を経て、一行は清洲城に到着した。
清洲城は、立派な城だった。
美濃の稲葉山城にも劣らない。
織田家の力を、示していた。
紘一たちは、城内に案内された。
やがて、織田信秀に謁見した。
織田信秀は四十代半ばの男だった。
立派な体格で、威厳がある。
その目は、鋭く、野心に満ちていた。
「斎藤道三の使者か」信秀の声は、低く、力強かった。
「はい。美濃統一顧問、田邊紘一と申します」
信秀は紘一を値踏みするように見た。
「美濃統一顧問……聞いたことがあるぞ」信秀は続けた。
「小山領を戦わずして臣従させた男だと」
「恐れ入ります」
「で、何の用だ」
紘一は道三の言葉を伝えた。
「先日、織田家の兵が、美濃の国境を侵しました」紘一の声は、冷静だった。
「これは、明確な侵略行為です」
信秀は笑った。「侵略行為、か」
「道三様は、これ以上の侵略を許しません」紘一は続けた。
「もし、再び美濃を侵せば、全面的な戦争となります」
信秀の笑みが、消えた。
「脅しか」
「いいえ、事実です」紘一は真っ直ぐ信秀を見た。
「美濃は、統一されました。内部での争いは、ありません」紘一の声が、力強くなった。
「もし、織田家が攻めてくれば、美濃全軍が、一丸となって戦います」
信秀はしばらく黙っていた。
やがて、信秀が口を開いた。
「なるほど」信秀の声が、少し柔らかくなった。
「美濃は、変わったということか」
「はい」
信秀は立ち上がって、窓の外を見た。
「分かった。もう、美濃を侵さない」信秀は続けた。
「少なくとも、今は」
紘一はその言葉に安堵した。
「ですが」信秀は振り返った。
「いずれ、美濃と尾張は、戦うことになるだろう」
「それは……」
「わしには、野心がある」信秀の目が、輝いた。
「尾張を統一し、そして美濃も手に入れる」信秀は続けた。「それが、わしの目標だ」
紘一は信秀の野心を感じた。この男は、本気だ。
「ですが、今ではない」信秀は続けた。
「わしも、尾張の統一で忙しい」
信秀は紘一に近づいた。
「田邊とやら、お前は面白い男だ」信秀は微笑んだ。
「また、会おう」
紘一は清洲城を後にした。
帰路、平吉が言った。
「田邊さん、織田信秀、怖い人でしたね」
「ああ」紘一は頷いた。「野心的で、強い男だ」
「戦いは、避けられたんでしょうか」
「今は、避けられた」紘一は答えた。
「だが、いずれ、戦うことになるだろう」
伊藤も、同意した。
「あの男の目を見れば、分かる。美濃を狙っている」
紘一は空を見上げた。
秋の空は、高く、青かった。
「だからこそ、美濃を強くしなければならない」紘一は呟いた。
戦いを避けるために、強くなる。
それが、矛盾しているようで、現実だった。




