七、広信との対話—若き当主の不安と成長
ある夜、広信が紘一の部屋を訪ねてきた。
「田邊さん、少しお時間いいですか」
「もちろんだ。どうぞ」
広信は部屋に入ったが、なかなか口を開かなかった。何か、言いにくいことがあるようだった。
「広信様、どうかしましたか」紘一は優しく尋ねた。
広信は深く息をついた。「田邊さん、俺、不安なんです」
「何が」
「田邊さんが、どんどん道三様に近づいていくことが」広信の声は、震えていた。「田邊さんは、神崎家の家臣です。ですが、道三様が、田邊さんを使おうとしている」
紘一は広信の不安を理解した。
「田邊さんが、いつか神崎家を離れてしまうのではないか」広信の目に、涙が滲んだ。「道三様に引き抜かれてしまうのではないか」
「広信様」紘一は広信の肩に手を置いた。「私は、神崎家を離れません」
「本当ですか」
「本当です」紘一は真剣に言った。「私は、広綱様に恩義があります。記憶を失った私を、受け入れてくださいました」紘一は続けた。「その恩を、決して忘れません」
広信は紘一を見つめた。
「そして、何より、広信様がいます」紘一は微笑んだ。「広信様は、私にとって、弟のような存在です」
広信の目から、涙がこぼれた。「田邊さん……」
「私は、広信様が立派な領主になるのを、見届けたいのです」紘一は続けた。「だから、神崎家を離れるつもりは、ありません」
広信は涙を拭った。「ありがとうございます」
「ですが」紘一は真剣な顔で続けた。「道三様との関係も、大切にしなければなりません」
「なぜですか」
「神崎家は、小さな領主です」紘一は説明した。「大きな大名の庇護がなければ、生き残れません」紘一は窓の外を見た。「道三様との関係を保つことが、神崎家の安全につながります」
広信は頷いた。「分かりました」
「ですから、私は、道三様の要請に応えます」紘一は続けた。「だが、それは、神崎家のためです。決して、私自身の野心のためではありません」
広信は深く頷いた。「はい。信じています」
二人は、しばらく黙って座っていた。
「田邊さん」広信が、また口を開いた。「俺、もっと強くならないといけないですね」
「強く?」
「はい」広信は拳を握りしめた。「俺が、もっと優れた領主になれば、田邊さんに頼るばかりではなくなります」広信の目には、決意が宿っていた。「俺自身が、道三様と交渉できるようになれば、田邊さんの負担も減ります」
紘一は広信の成長を感じた。「その心構えが、素晴らしいです」
「田邊さん、教えてください」広信は真剣に言った。「外交のこと、政治のこと、すべてを」
「もちろんです」紘一は微笑んだ。「一緒に学びましょう」
その夜、二人は深夜まで語り合った。外交のこと、政治のこと、領地経営のこと。紘一が持っている知識を、広信に伝えた。
広信は真剣に聞いていた。そして、質問をし、理解を深めていった。
「政治とは、利害の調整です」紘一は説明した。「すべての人が、何かを求めています。その『何か』を理解し、それを満たす方法を提示する。それが、政治です」
「利害の調整……」広信は繰り返した。
「例えば、今回の会合」紘一は続けた。「道三様は、東の領主たちを味方につけたい。東の領主たちは、それぞれ違うものを求めている」紘一は説明した。「遠藤は安定、安藤は利益、氏家は独立。それぞれに、適切な提案をする。それが、外交です」
広信は目を輝かせていた。「なるほど」
二人の対話は、広信にとって、大きな学びとなった。そして、紘一にとっても、自分の考えを整理する良い機会となった。




