五、道三からの新たな要請—政治的駆け引きの深化
初夏に入った頃、再び斎藤家から使者が訪れた。
今回も、稲葉一鉄だった。
紘一が広間に呼ばれると、稲葉はすでに広綱と話をしていた。その表情は、真剣だった。
「田邊殿、よく来た」稲葉が、紘一を見た。
「お久しぶりです」紘一は頭を下げた。
「早速だが、本題に入る」稲葉は、懐から書状を取り出した。「道三様から、お前に直接の要請がある」
紘一は緊張した。道三から、直接の要請。それは、ただ事ではない。
稲葉は、書状を読み上げた。「道三様は、近く、東の領主たちとの会合を開く。その場で、田邊紘一を、神崎家の代表として出席させたいとのことだ」
紘一は驚いた。「私が、ですか」
「そうだ」稲葉は、頷いた。「道三様は、お前の外交手腕を高く評価している。小山領の件、そして先の戦いでの働き。それらを見て、お前を信頼している」
広綱も、複雑な顔をした。本来なら、広綱自身か、広信が出席すべきだ。だが、道三は紘一を指名している。
「この会合は、重要だ」稲葉は、続けた。「東の領主たちは、まだ道三様の傘下に入っていない。彼らを説得し、同盟を結ぶ。それが、この会合の目的だ」
紘一はその重要性を理解した。斎藤道三は美濃の統一を進めている。そのためには、東の領主たちを味方につける必要がある。
「お前なら、できる」稲葉は、紘一を見た。「道三様は、そう信じている」
紘一は広綱を見た。広綱は少し考えてから、頷いた。
「田邊、行ってくれ」広綱の声は、複雑だった。「これは、神崎家にとっても、重要な機会だ」
「承知しました」紘一は答えた。
稲葉は、満足そうに頷いた。「会合は、十日後だ。場所は、稲葉山城。準備をして、来てくれ」
稲葉が去った後、広綱と紘一は二人きりになった。
「田邊」広綱が、口を開いた。「お前、道三に気に入られているな」
「はい……そのようです」紘一は複雑な思いだった。
「それは、良いことでもあり、危険なことでもある」広綱は真剣に言った。「道三に気に入られれば、神崎家の地位は上がる。だが、同時に、道三に利用される危険もある」
紘一は頷いた。その通りだった。
「気をつけろ」広綱は警告した。「道三は策略家だ。お前を使って、何かを企んでいるかもしれない」
「分かっています」
「だが、断るわけにもいかない」広綱はため息をついた。「これが、小領主の辛いところだ」
紘一は広綱の苦悩を理解した。小さな領主は、大きな大名に従うしかない。逆らえば、滅ぼされる。だが、従えば、利用される。
「殿、私は、神崎家の利益を最優先に考えます」紘一は誓った。
「ああ、信じている」広綱は微笑んだ。
その日の夕方、紘一は平吉と話をしていた。
「田邊さん、また稲葉山城に行くんですね」平吉は心配そうに言った。
「ああ」
「大丈夫ですか。道三様は、怖い人だって聞きます」
「確かに、怖い人だ」紘一は正直に答えた。「だが、それ以上に、賢い人だ」
「賢い……」
「ああ」紘一は続けた。「道三様は、感情で動かない。すべてを計算して、最善の選択をする」紘一は窓の外を見た。「そういう意味では、予測しやすい」
「予測、ですか」
「ああ。道三様は、必ず利益を求める」紘一は説明した。「だから、こちらも、道三様にとっての利益を提示すればいい」
平吉は感心したように頷いた。「なるほど」
「だが、油断はできない」紘一は警告した。「道三様は、裏の裏まで読む。こちらの意図を見抜こうとする」
「怖いですね……」
「ああ」紘一は苦笑した。「だが、それが政治だ」
その夜、紘一は一人、部屋で考えていた。
十日後の会合。そこで、何が起こるのか。道三は何を企んでいるのか。
紘一は予測した。おそらく、道三は東の領主たちを同盟に引き込もうとしている。そして、その交渉役として、紘一を使おうとしている。
なぜ、紘一なのか。それは、紘一の外交手腕を評価しているからだ。小山領を、戦わずして臣従させた。その実績が、道三の目に留まった。
だが、それだけではないだろう。道三は紘一を試している。紘一が本当に信頼できる人間かどうか。道三の役に立つ人間かどうか。それを、この会合で確かめるつもりだ。
「失敗は許されない」紘一は呟いた。
失敗すれば、道三の信頼を失う。それは、神崎家にとって、大きな損失だ。
だが、成功すれば、神崎家の地位が上がる。道三との関係が強化される。それは、神崎家の安全につながる。
「やるしかない」紘一は決意した。




