十七(第二十四話)
露台のナユタナはコルベが作った小さな椅子に座り、足をぶらぶらとさせていた。
「今日は剣をなさらないので?」
唇を尖らせたナユタナは椅子から立ち、隅に立て掛けていた木の棒を手にすると、ダランの尻尾をつまらなそうにつついた。
「激しく動いて、夜中じゅう腹を空かせて、眠れんようになっては困るではないか……」
昨夜のナユタナは、ユトロの手土産に備えて夕餉の量を減らしていた。
そうしてダランと稽古をしながら待っていたのだが、ユトロは現れなかった。
フォルトナの空はよく晴れ、星が瞬いていた。
腹の虫を鳴らしながら部屋をうろつくナユタナへ、ダランが干し肉を差し出し、彼女はそれを噛みながら、日々の見聞を紙にひとつずつ記して過ごした。
「ユトロはやられてしまったのだろうか……」
呟くナユタナに眉を寄せたダランは、尻尾で弾いて棒を奪い取った。
返せと手を差し出す彼女に、ダランは返さず、ムッとしたナユタナは尻尾に飛びつく。
「人族に混ざっての遠征です。抜け出せぬ時もあるのでしょう」
ぶら下がった森人を振り払おうと、ダランは左右に大きく尻尾を揺すったが、ナユタナはそれを面白がって、なおもしがみついていた。
「……おや、ユトロ様がお帰りになられました。
では、私めはこれにてお暇──」
「待つのだ、ダラン」
露台の手摺にひょいと飛び乗ったユトロが、荷物をダランに投げ渡す。
「それをハスロに焼いてもらってこい。食事がまだだ」
ユトロの腹の虫がぐうと鳴った。
ダランの尻尾が消え、ナユタナは床にぽてりと落ちる。
「おお、無事に帰ってきたのだな。
やられてしまったのかと思ったぞ」
露台に下りたユトロの周りを、ナユタナはくるくると歩き回った。
男は森人に足を引っ掛けぬよう注意して歩く。
「雨に降られて動けなくてな。ナユタナは元気であったか?」
「うむ、こっちは晴れていた。
怪我はしておらんか? 血の匂いがするな」
ユトロは部屋へ入り、窓際の小卓を露台に出し、椅子を運んだ。
「中で食べたらよかろう」
「おぬしが寝る部屋を汚したくないからな」
ナユタナは、ユトロの靴が泥にまみれていることに気付く。
「湯浴みをしたらどうだ? 私が魔法で手伝ってやるぞ?
服も洗ったらどうだ? こっそり干しておくぞ」
「おぬしも一緒に入るのか?」
「私はもう入った」
ナユタナは部屋から巻いた紙を持ってきて、小さな椅子から大きな椅子へ軽やかに飛び移り、小卓の上に地図を広げた。
フェルデン王国の地図であった。
「ダランに借りた地図の写しだ。
あなたは今日は、どこまで行ったのだ?」
ナユタナは冒険の話を待ちわびていた。
ユトロは嬉しくなり、今日までの歩みを指で辿り、ひとつひとつ説明した。
耳をぴんと立て、ナユタナは身を乗り出して聞き入る。
話の途中、赤いインク壺を持ってきたナユタナは、ユトロの歩みを魔法の線で地図に記す。
楽しげなナユタナに反し、ユトロはその線を目に、四日もかけて進んだ距離の短さに、ため息を漏らす。
「おお、ついにコンヌビアに入ったのだな!
向こうは寒いのか。
目的地はこの辺だろうか……?」
「うむ、ここより肌寒いな。
翼竜の巣は、以前この辺りの谷にあった」
「黒竜の奴めは、ここの山におりましたよ」
いつの間にか、食器を運んできたダランが、二人の間に立っていた。
ダランは地図の上の何もない場所を指さす。
ナユタナは眉を寄せて顎を撫でた。
「そこは……何も描かれておらぬぞ?」
「省略されているのです。
この付近で最も目立つ山ですから、行けばお分かりになるかと。
ただ、今もそこにいるかはわかりません」
ダランの見立てでは、翼竜の被害はユトロの示した位置よりもっと南で起きているという。
黒竜の討伐依頼が同時に上がっていることから、翼竜は黒竜に追われて住処を移動したのだろう、と。
東西と北には大型竜の巣があるため、移動するなら南になると見たのである。
「もしや黒竜は、卵を温めているのではないか?
子育て中の獣は神経質であろう?
翼竜の餌を横取りしながら、子育てをしているのかもしれん」
ナユタナは目を輝かせたが、ダランは首を横に振った。
「色付きの竜は卵を温めませんよ。
適当な場所に産み落とし、放置され、生まれた幼体は自立して行動します」
「なんと……母竜は卵を温めぬのか。
酒瓶を抱くことを、“竜の抱卵”と呼んでおったぞ」
ナユタナが魔法で酒を作り変える様子を、森人たちはそのように呼んでいた。
決して邪魔をしてはならない、という意味である。
「“母竜”という考え方がそもそもありません。
竜同士は、生まれた時から互いに敵です。
卵は雄と雌で作ることもありますが、我々は単体でも生み出せます。
強い個体ほど、その方法を選ぶのです。
己の力だけで成し遂げる──
それこそが、竜のあるべき姿ですので」
ナユタナはそれを聞いて、ダランを見つめる。
ユトロもまた、奇妙なものを見る目を向けていた。
「お前も、卵を……?」
「すごいなダラン……」
二人の視線に、ダランは小さく咳払いをした。
「雌は卵巣で卵を作りますが、雄の場合は魔法を組む手順で体外に生成するのです」
「おお……それは、ダランの分身になるのか?」
ナユタナはさらに目をきらきらとさせ、身を乗り出す。
ダランはわずかに後退した。
「複製の個体にはなりますが、記憶の継承はありませんので、私め自身とは異なります」
複製を己の分身と捉え、死の前に残す竜もいるが、ダランとしては自分以外は別の竜として扱っている。
「ほう……やはり永遠に死なぬとはならんのか」
「ええ、不死ではございません。
ですが、黄金竜であれば、あるいは──」
ダランはそこで言葉を切り、料理を取りに部屋を出ていった。
屋敷に巡らせた魔法により、厨房の様子を感じ取ったのだ。
ナユタナは黄金竜の伝説を少し知っている。
竜の頂点に立つ者が、稀に黄金の鱗へと変わるという話である。
精麗族に伝わる古い歌にもあり、森の民なら誰もが知る話だ。
「ナユタナ、今日の土産だ」
ユトロが荷物から酒瓶を取り出すと、ナユタナはもう目の前にいた。
「ユトロよ……そんな大事なものを隠しておったのだな?」
一番最初に出さないとは憎いことをする──ナユタナはユトロをそうなじった。
さらに空になった蜜酒の瓶も渡され、ナユタナは目を丸くする。
「おぬしがくれた酒は、冒険者どもに飲まれてしまった」
「そうなのか? 皆と仲良くやっているのだな」
ナユタナは、ユトロが酒を振る舞ったのだと思い、微笑ましく感じた。
部屋に入り、新しい瓶を抱えて戻ってくる。
「昨日、ペリカの酒を買ってもらったのだ。
ユトロに一本渡しておこう。皆で仲良く飲んでくれ」
ナユタナはペリカ畑へ行ったことや、コルベと林の小屋を修復している話などを楽しげに語った。
話を聞きながらユトロは、その輪の中に自分がいられぬことを、どこかつまらなく感じていた。
「そうであった。ダランがメルグリスから伝言をな……
おお、跳獣の肉ではないか!」
運ばれてきた料理に、ナユタナは破顔した。




