十五(第二十二話)
ナユタナと別れ、夜中にカリネス村の野営地へ戻ったユトロは、川の仕掛けから魚を獲ってきて、火の番をしていた者に差し入れた。
「酔い覚ましに出たと聞いたが、ずいぶん長かったな」
「近くの川まで行ったのだ。
仕掛けを作り、魚が入るのを見ていたら、少し眠ってしまった」
「ほう、夜目が利くのだな。
立派なガーネスだ。いただこう」
野営は四台の馬車を囲む形で組まれており、その外側に馬が二頭繋がれていた。
ユトロはさっそくナユタナから貰った魔石を使い、体のにおいを消した。
ユトロが戻ってからそわそわしていた馬は、次第に落ち着いていった。
馬の様子を気にしていた見張りたちも、ようやく緊張を解いた。
バルグロスによって班分けされたユトロの班には、カイルスを含め弓使いが多い。
バルグロスの班は僧侶と女性を含み、幌馬車を守っている。
他は、戦士で固めたモルバスの班、特級戦士を擁する弓使いと魔法使いの班、特級弓使いを中心とした弓使いの班──合計五つの班に分かれている。
夜番は五つの班から一人ずつ選び、火の番一名と見張り四名で、夜明けまで四交代制としていた。
「川へ行ったようだが、水に入ったのか?」
馬車のそばを通ると、バルグロスに声を掛けられた。
なぜそんな事を聞くのかとユトロは思ったが、魔石の効果で匂いが消えているからだった。
すぐそばの焚き火では、モルバスがこちらを一度ねめつけるように見据えたが、バルグロスが短く何かを告げると、舌打ちして立ち上がり、別の見張りの様子を見に行ってしまった。
「ああ、酔い覚ましをしたのだ」
「夜はかなり冷えてきている。
この先の村はもっと寒いから、気をつけるのだぞ」
ユトロが行こうとすると、バルグロスは隣を歩き出した。
「初めて聞いた時には驚いたが、皆お前の声にはもう慣れたようだ。
気を遣って静かにしているようだが、冒険者は肝が据わっている。
気にせず話してくれていい」
そう言ってバルグロスはユトロの肩を軽く叩くと、幌馬車へ戻った。
遠征隊の人族はここまでの道中、何も問題を起こしていない。
仲間内で喧嘩になることもなかった。
物腰の柔らかなバルグロスが、細やかな気遣いをしているからだろう。
ユトロは男に長としての資質を感じた。
夜更けまで眠ったユトロは、最後の見張りに就く。
暁の時刻まであと一刻となると、ユトロは気配を薄め、人狼特有の“姿を隠す歩み”で仲間に気付かれぬよう持ち場を離れ、村の北へ向かった。
すると、誰かが自分をつけているのに気付いた。
そのまま走り去ってもよかったが、相手の堂々とした気配が気になり、ユトロは足を止めた。
「おはようございます。毎朝お早いですね」
現れたのは、白い外套を纏う初老の僧侶だった。
カイルスに白鉱石の効能を教えた男である。
“毎朝”と言われ、これまでずっと見られていたのだと知る。
この男は、バルグロスの幌馬車で休んでいたはずである……
「とても速く走られるので、追いつけませんでした。
いえ、途中までは拝見しておりましたが──獣を追い払い、穴の開いた道を塞いでいらっしゃいましたね。
次の村までの道を確かめておられるのでしょう?
ユトロ殿とおっしゃいましたか。ヴァードラン領の“英雄”の」
僧侶のにおいは確かに人族のものだった。
だがユトロは──“違う”と直感した。
「何が言いたい」
暗闇の中、微笑む男を警戒して見据える。
「あなたの行いは、確かに冒険者の皆さんを安全に導くもの。
それは立派なことです。ですが──
その懐にあるカルヴァン鳥の羽です」
僧侶は聖杖の頭をユトロへ向けた。
ユトロはナユタナにもらった羽飾りを服の上から握る。
「王都で弓使いを雇い、二羽のカルヴァン鳥を射ちましたね?
そして翌日はリュサール鳥を三羽……
あなたの屋敷ではガロを飼っておられるとか」
ユトロは何の話か分からず聞いていたが、どうも男は“鳥”について言っているようだった。
僧侶の声が震える。
「度し難い愚行です……その行いを、私は見過ごせません。
これ以上か弱き鳥たちを殺めるのでしたら、バルグロス殿にあなたの正体を明かしましょう」
僧侶の怒気は本物だ。
だが、踏み込みも気配も軽い。
ユトロは一瞥するだけで、この男が戦いに不向きな種族だと悟った。
それでもその眼差しには、恐れの色が一切見られない。
その度胸が、どこから来るものなのか──
噛み合わぬ感覚に、ユトロは僅かな苛立ちを覚えた。
「貴殿への配慮が足りず、すまなかった。
ガロは屋敷の者が生きるために必要なのだ。
だが狩りは……魚を獲るのは構わんのか?
俺は嫁にする娘に贈り物をせねばならん。
それを止める権利はお前にはあるまい」
ユトロは人族らしく丁寧に返し、終わりにはささやかな威嚇を示した。
「もちろんです。ご伴侶となる方への貢ぎ物を否定はしません。
どうぞ魚を贈りなさい。
人族の命を守るためにガロが要るというなら、そこは目を瞑りましょう。
弱き人族には、強き者が譲らねばなりません」
僧侶はにこやかに微笑んだが、その笑顔がユトロの神経を逆撫でした。
「お前が人族を守っているとでも?」
僧侶は静かに首を振る。
「ただ、そばにいて“見届ける”だけです」
ユトロは鼻を鳴らし、朝霧の中へと走り出した。
その背を見送りながら、僧侶は両手を組み、祈りの言葉を捧げる。
「貴方のマルナ・ネルタに、ウルラ様の光があらんことを」
△ ☽ △
カリネス村から北のスカルデンの町へ、ユトロは向かった。
スカルデンはカルドレア領の南に位置する大きな町であり、そこは遠征の目的地のあるコンヌビア地方である。
道は悪く、町へ向かって僅かに傾斜していた。
大きな窪みを埋める以外は時間が掛かると判断し、ユトロは途中で諦めた。
近くに魔物の森はあるが、二日間の新月で魔素が薄まり、森から出てくる気配はない。
しかし、天候が気になった。
町の様子を遠くから眺め、高い石塀と南門を確認する。
これ以上偵察すれば、朝の点呼に間に合わない。
ユトロは引き返した。
狩りのできそうな森を通り、魚のいそうな小川を見つけておく。
今日は獣を仕留めたいが、罠を作る時間はない。
魔石のおかげで下見でにおいを残すこともないので、夕方に直接仕留めようと考えた。
無薫魔石とは、実に厄介な物をナユタナは作ってくれた。
だが……使える。
ダランが金貨を出そうとしたのも頷けた。
カリネス村へ戻ると、出発の準備が終わっていた。
遅れてやって来たユトロはそのまま列の後ろへ向かったが、バルグロスに引き止められた。
「ユトロよ、フェノルから聞いたぞ」
その名に、ユトロはぞっとする。
フェノルとは──今朝の僧侶の名であろう。
「道の様子を朝早くから調べていたのだな。
弓使いのカイルスも、お前の足がとても速いと褒めていた。
よほど先まで見てきたのだろう?
それで、今日はどこまで行った?」
笑顔のバルグロスを見て、ユトロは胸を撫でおろした。
ユトロの不在を問われ、二人はそう答えたのだ。
「うむ……道は悪い。
十五リグほど先に魔物の森があるが、落ち着いていた」
スカルデンまで行ったとは言わず、道の状態だけ伝える。
バルグロスは歩きながらその話を聞き、それから幌馬車に入り、ユトロを中へ招いた。
狭い馬車の中には低い台が置かれ、バルグロスは屈んで地図と報告書を広げる。
「次の町からユトロにもこの報告書を見せておこう。
先行しているマルヴェナからの報告だ。
宿泊先の宿屋かギルドに預けてもらっている。
ただ、一週間ほどのずれがあるため、正確とは言えんのだ。
ブランヴェルからカリネスの道も悪かったと書かれていたが……
まさかユトロが直して歩いたのではあるまいな」
バルグロスは道が整っていたことを不思議に思ったが、それは冗談として笑った。
「さて、スカルデンの町へ着くまで天気はもつだろうか」
ユトロはマルヴェナの報告書に目を通した。
道の悪さが書かれており、魔物の森にも注意すべきと記されている。
一週間前であれば下弦初期であり、魔物は活発だったはずだ。
しかし月の満ち欠けと魔素について、魔法使いのサリネは知らないようだった。
ユトロは根拠を示せぬため、その点は黙しておく。
「雲は厚く、湿気も多い。まもなく雨が降るだろう」
雲はカルドレアからこちらへ流れてくる。
スカルデンの北の空は暗く、星も見えない。
風のにおいから山間で雨が降っていると感じ、まもなくこちらに雨雲が来ると確信した。
「そうか。場合によってはスカルデンの前で野営だな。
野営に適した土地はなかったか?」
ユトロは狩りをする予定の森を指した。
地図ではスカルデンのすぐ側だが、道の傾斜を考えれば、そこで休む方が適している。
「ほう、そんなところまで行ったのか。
視界を塞ぐほどの雨なら、そこで休もう。
無理に進めば動けなくなる」
「うむ。あまり急ぐべきではない。
道の状態がかなり悪いのだ」
雪の季節を前に、荷馬車の往来が増えたせいだろうとバルグロスは言った。
山間の天候は変わりやすく、雨のあとにぬかるんだ道を馬車が行けば、道はすぐ荒れてしまう。
言ったそばから、馬車が大きく揺れた。
「これでは車輪がすぐに壊れるな」
バルグロスは苦笑した。




