十四(第二十一話)
マルナの眼鏡は硝子の加工に二、三日かかるらしく、コルベの返事と合わせて、また工房へ赴くことになった。
「コルベがいなくなったら、不便ではないのか?」
「使用人の出入りは、いつものことですので」
ダランはナユタナにそう返すと、俯いて歩くコルベに声を掛ける。
「お前がドルガンの工房へ行くのであれば、功労金も出そう。
私は奴の店を贔屓しているからな」
コルベは顔を上げたものの、ダランの周囲に言い表せぬ何かを感じ取り、怯えてまた俯いた。
鎚を握ってから、コルベの目には、これまで見えていなかったものが映るようになった。
肌にも、感じたことのない違和感が、まとわりついている。
「ダランよ、今朝の無薫魔石の話だが」
ダランの肩に乗っていたナユタナは、朝の取引のことを思い出していた。
ダランはナユタナの作った魔石を金貨で買い取ると言ってくれ、新たに魔石の注文もしていた。
ただ今は屋敷に現金が不足しているため、支払いは待ってほしいという話であった。
「金貨ではなく、私に剣の稽古をつけてはくれないだろうか?」
頭にしがみつくナユタナが、こそこそと耳元へ囁く。
「私めは剣を使いませんが」
「そうかもしれんが、剣で向かってくる相手とは戦ったことがあろう?」
ナユタナは気付いたのだ。
ユトロが自分を竜退治へ連れて行こうとしないのは、守り切れぬと案じているからである。
ならば──ナユタナ自身が、竜の攻撃を避ければよいのだと。
そして、その稽古に最適な相手が、目の前にいた。
「ヤーッ!! ……ていっ!」
尻尾は右へ避け、ナユタナの攻撃は空を切った。
「てやーっ!」
今度は左へ。やはり届かない。
「ィヤーッ!! ぬあっ!」
真っ直ぐ突っ込んできたナユタナは、尻尾にはじき飛ばされた。
屋敷に戻ったナユタナは、さっそくダランに稽古をつけてもらっていた。
庭で拾った棒切れを手に、ダランの尻尾へ打ち込む練習をしている。
執務室の腰掛に座ったダランは、帳簿をつけながら、尻尾だけを器用に動かして応じていた。
これが金貨数枚の代わりというのだから、ダランとしては、なんとも楽な仕事であった。
本来なら、竜の攻撃を避ける稽古をすべきなのだが──
ナユタナは、どうしても剣にこだわってしまった。
先ほど工房で剣の打ち直しを見たせいである。
長剣を握り、竜へ立ち向かってゆく自分の姿を夢想してしまったのだ。
避けるだけでなく、一撃入れられれば、冒険への近道になると思い込んでいた。
また、この激しい動きには、夜の食事を二回取っていることへの、ささやかな罪滅ぼしの意味もあった。
それは誰にも言えぬことであった。
「ふぅ……ふぅ……
夕餉のあとで、また頼むぞ、ダラン……」
「承知しました」
稽古を終えたナユタナは、よろよろと執務室を出た。
ダランは顎を撫で、わずかに眉を寄せながら、ナユタナの小さな背を見送った。
廊下では、汗まみれのナユタナを見て、マーヤがぎょっとしていた。
△ ☽ △
「──と、こういうことなのだ」
ナユタナが、ダランとの剣の稽古に至った経緯を伝えると、ユトロは静かに頷いた。
焼いたマナスを食べながら、ナユタナは今日一日の出来事を話していた。
「ほれユトロよ。酒も飲んでくれ」
「うむ……」
ナユタナが差し出したカリネス村の地酒を口にしたユトロは、その味の変化に目を見開いた。
先ほどナユタナが歌いながら手を加えたことで、酸味が消え、口当たりが良くなり、雑味は程よい余韻となって残った。
魔法に時間をかければ、もっとまろやかに美味しくできるという。
「おぬしは、引く手あまたの銘酒の作り手であったか」
「そうではないぞ。私は“作り変える”のが得意なのだ。
自分で最初から作ってもいいが、誰かが作ったものをさらに良くするほうが好きだ。
違った味が作れて楽しいし、種類が増えれば取引がしやすいからな」
薬も酒もナユタナにとってはよく似ていた。
ここを伸ばせば美味しくなる、より効くようになる──といった具合に、味わいや効きめの加減を少しずつ整えてゆく。
時間をかければかけるだけ良いものになり、知識が増えれば細かな効果も増やすことができた。
誰かの銘酒をさらに良くしてしまったのであれば、酒の作り手はつまらないのではなかろうか。
集まった者の中には、ナユタナに文句を言いたい者もいたかもしれぬ。
ユトロは顎を撫でる。
美味い酒を作る者が「いい女」であっても、他人の酒を作り変えたナユタナは、果たして「いい女」と見なされるのだろうか……
「ナユタナが使うのは“介”の属性であろう?
森人は皆、この属性を使うのか?」
「それがな、どうも私だけしか使えぬようなのだ」
ナユタナは、皆その魔法を使っているものと思っていたが、周囲の反応を見ていると違うと気付いた。
森人の得意な属性は土と水である。
それに加えてナユタナには、介という珍しい属性が使えた。
「人狼族も“介”を使うぞ。狼になる時に使うのだ。
……俺には無理であったが」
「おお、では私はクゥルバになれるだろうか」
ナユタナは獣化の魔法に胸を躍らす。
両手を掲げて全身と周囲の魔素を集め、丹田で練り、クゥルバになろうと試みた。
──しかし、何も起こらなかった。
介属性は、魔法構築時の属性付与の段階で作用する、特殊な属性だった。
火、水、土、風の四大属性は扱いに制約はないが、魔素の変質に関わる光と闇の属性に対しては、介属性を通じてのみ魔法へ転用できた。
ただしその転用にも、種族や個人で制限があった。
「獣化には純粋な血統が必要だという。
その種族であるという認識と血によって、体を作り変える事ができる。
つまり、混じりものの俺にはできんのだ」
「ふむ、森人の祖先はクゥルバではなかったということか」
ナユタナは用意していた小さな包を広げ、ユトロの焼いたガーネスの切り身にリュナクの白脂を乗せた。
朝餉に出たものを、こっそり隠していたのだ。
手を擦りながら、それが溶けゆく様子を眺める。
「落葉の良い香りがするな」
火鉢の縁に、魚に詰めていた落ち葉や苔が温められ、その香りが露台に漂っていた。
森のにおいをナユタナは胸いっぱいに吸い込む。
稽古のおかげで体は軽く、焼き魚は酒とともに小さな腹へとすべて収まった。
ナユタナはユトロに、カルヴァン鳥の羽に無薫魔石を付けた飾りを渡した。
「遠征隊には馬もいるのだろう?
きっとあなたは風下を歩くしかないのではないか?」
馬がダランに怯えたのを見たナユタナは、ユトロも困っているのではないかと思った。
「これに魔力を少し流せば、においが消えるようにしてみたのだ。
風を使って体に纏えばよい。
範囲を調節すれば、いろいろと使えるぞ。
人のにおいで寝れぬ時もあるのではないか?
あなたは鼻が利くからな」
ユトロはそれを受け取って、試しに魔力を流してみる。
焼き魚の香りが消え、においのない空間となった。
「それは周囲のにおいを消す効果だ。
次は身体に魔力を流しながら、石へも通わせるように使ってみてくれ」
「……何も変わらぬが」
言われた通りに魔力を流すが、焼き魚の香りが戻り、ユトロは首を傾げた。
「それはな、ユトロのにおいを消しているのだ。
面白いであろう?」
ナユタナは楽しそうに笑う。
ユトロは、血の気が引くのを感じた。
それは獣にとって、恐ろしい魔石であった。
敵とする者にこれを使われでもしたら、一瞬の遅れが命取りになりかねぬ。
ナユタナはそこまで考えてはいないようだが。
「……これを売るのか?」
「それはユトロのために作った。
他は厠の臭い消しと、夜食のにおい消しだ。
厠の方はダランが買い取ってくれるのだが、剣の稽古代にしてもらった」
これでマーヤに気付かれる心配もないだろうと、ナユタナはご機嫌であった。
「ナユタナよ、これはあまり作るな。良からぬ事に使われる」
「そうなのか? お腹の空気が出てしまった時にも便利だが」
言われてユトロはナユタナのにおいを嗅ぐ。
ナユタナは目を細め、今は出ておらん、と男の鼻を摘んだ。




