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二(第二話)



 ユトロが門の前に立つと、植物の意匠が施された美しい鉄扉が、静かに開いた。

 模様にはめ込まれた魔石に気付いたナユタナは、目を輝かせて、その仕組みに思いを巡らせる。


 屋敷の中から、誰かが魔法で動かしたのだろう。

 これは魔道具ではなく、人の手による操作らしい。

 屋敷の奥からこちらを見て、頃合いを計って開けたに違いない。


 だが、わざわざそんな面倒な真似をするだろうか。


 ならば、屋敷の外まで視覚を伸ばす──

 巣穴から外界を窺う竜のような、遠隔操作の使い手がいるのかもしれない。


 石の階段を上り切ると、彫刻を施した重厚な木扉が、またも静かに開き、屋敷の内部がユトロを迎え入れた。


「お帰りなさいませ」


 現れたのは、燃えるような赤髪と、冷たく光る黄金の瞳を持つ男だった。

 黒衣に身を包んだその姿は重々しく、襟元から靴先まで、隙なく整っている。

 身分の高い人族が好む、けばけばしい衣装とも違う。


 まるで人ではなく、黒衣を纏った影そのものが、そこに立っているかのように見えた。


 ナユタナは思わず身を縮め、巨木のようなユトロの陰に隠れた。

 蛇のような男の視線が、彼女を射抜く。


 その顔を、ユトロが鷲掴みにした。


 あまりの唐突さに、ナユタナは目を瞬かせた。

 ユトロは不機嫌そうに、執事を睨みつけている。


「何を笑っている?」

「滅相もございません。私めは、もともとこういう顔なのです」

「いつもより、目が卑しいぞ」

「失礼なことをおっしゃいます」

「俺が小人を連れて帰ったのが、そんなに可笑しいか?」

「思い過ごしでございましょう。それに、小さな方の前で、暴力はよろしくないかと」


 ナユタナは、魔封じの首輪をユトロが素手で壊したことを思い出す。

 太い腕に浮き上がった筋を見れば、いまも力を込めているのは明らかだ。


 だが、黒衣の男はびくともしない。

 人族の頭は、あの重い首輪よりも丈夫なのだろうかと、彼女は妙に感心した。


 ユトロは、赤い絨毯の敷かれた廊下を、ずかずかと進む。

 上着を脱ぎ、腰の武器をはずし、次々に放り投げた。


 執事はそれを難なく受け止め、脇の棚や壁際に、手早く収めてゆく。


 手を放されたナユタナは、その様子を眺め、黒衣の男の俊敏な動きに、またも感心した。

 頭は丈夫で、魔力操作に長け、身のこなしも器用。


 門を開いたのは、この男に違いなかった。



 △ ☽ △



 広間の椅子にどかりと腰を据えたユトロは、ナユタナを手招きし、抱き上げて片側の膝に座らせた。


 ユトロの膝は石のように硬く、ナユタナは息を詰めた。

 背後と正面から注がれる視線に、ますますこわばる。


「これはナユタナという。今日から俺の嫁候補だ」

「ほう、小さいですね。候補……ですか。他にもいらっしゃいましたか?」


 執事は肩をすくめるように、広間を見回した。


 やはり嫁にされるのだ。

 この大男の子を産むことになれば、小さな自分の体では、到底保たぬのではないか……

 ナユタナの背筋は冷たくなった。


「ナユタナの了承がないのだ。今はまだ候補であろう。

 分かったのなら、丁重に扱え」

「ほう、奴隷に了承でございますか」

「“奴隷”ではない。ナユタナはガナン大樹海の住民だ。

 人族どもが勝手に連れてきて、勝手に商品にしただけ……」


 声は低く、地の底でうねる嵐のようであった。


 ナユタナは震えた──そして、自分は怒りを抱いていたのだと悟った。


 森人である彼女も、“奴隷”というものの意味は理解していた。

 森域にはない文化だが、精麗族(せいれいぞく)の友人から聞いたことがある。

 人族は同族や異種族を物や家畜のように、鎖で繋ぎ、扱うことがある──と。

 友人はそれを野蛮だと非難していた。


 実際、奴隷商人から受けた扱いはその通りだった。

 立ち振る舞いを直され、言葉遣いも矯正された。

 服はぼろに替えられ、靴も奪われ、裸足になった。


 変わらぬはずの自分なのに──胸の奥に、静かな悲しみが広がった。

 人族の土地に足を踏み入れた実感を、ようやく苦々しく思い知らされた。


 奴隷商での日々を思い出し、ナユタナは疑わしげにユトロを見つめる。


「……本当か? 本当に奴隷ではなくてよいの……ですか?

 あんなにたくさん、金を払ったではないか……」


 心を縛られているわけではない。

 だが、人族の土地で彼らの決まりに従うだけで、自由な気持ちは奪われてしまう。

 森域では決して味わうことのなかった、理不尽で屈辱的な感覚だった。


 それでも、ユトロというこの男もまた、人族の決まりに従うことに、不満を抱いているのだろうか。

 彼の言葉には、人族らしからぬ響きがあった。


「あれはだな、奴らがなかなか諦めんからで、たいした額では……

 なくもないが……そうだな、俺の誠意のようなものだ」


 ユトロは真っ黒の髪をがしがしと掻き、取ってつけたように言った。


 ナユタナはますます首を傾げた。

 誠意という言葉は知っている。

 だがなぜ、今ここで誠意なのか──どうにも腑に落ちなかった。


「それでユトロ様、手持ちでは足りなかったと、戻ってこられましたよね。

 いくらだったんです?

 メルグリスから、代金は返してもらえるのでしょう?」


 執事は金の話と聞くや否や、間へ割って入った。


「俺が払うと決めたのだ。返してもらう必要はあるまい」

「ナユタナ様を自由にするのは、あくまで自分だとされたいわけですか。

 で、おいくらで?」


 しつこく食い下がる執事に、ユトロは奴隷譲渡の証文を投げ渡した。


 獣皮紙(じゅうひし)を広げた執事は目を丸くして、素っ頓狂な声を上げる。


「ちょ、ちょっと待ってください、ユトロ様?

 こりゃ何て額です……

 え、まさか、この屋敷は売れませんよ?!」


 屋敷を担保に金を借りたのではと青ざめる執事に、ユトロはなぜ屋敷の話になるのかと首を傾げる。


「金庫の白金貨を全部使った。それと、お前のやつもだ」

「ぜ、ぜんぶ? 私の……え?」

「お前がいつもこそこそやっている、あの妙な棚にあったやつだ。

 面白い魔道具だが、俺は鼻が利くからな」


 投げ渡された空っぽの袋を握りしめ、青筋を立てた執事は、体を小刻みに震わせた。


 ナユタナは、男の哀れさを思わずにはいられなかった。

 だが、その金のおかげで、ここに来られたのだ。

 複雑な気持ちで、彼女は胸を押さえる。


「しばらく真面目に働けば、金のことは心配あるまい」

「私の大切な白金貨はどうなるのです!

 今からでもメルグリスに返してもらいましょう」

「ならん。飯代くらい、すぐに稼げるはずだ」

「飯代ではなく、私の白金貨ですッ!」


 剣幕そのものの顔で詰め寄る執事に、ユトロは視線を細めた。


「妙なことを言う。あれは本当に、お前のだったのか?」

「ええと……コホン。

 それにですよ、これからはナユタナ様の分も稼がなくてはなりません。

 使用人の給金に、屋敷の維持費……ご存知でございましょう。

 ですから、金は戻していただかねばなりません!」


 譲るまいとする形相でまたも迫るので、ユトロは証文を丸めてその口にねじ込んだ。


「ならばこの屋敷を出ればよかろう。もとより広すぎる家だ」


「っ……ぶへぇっ?!」


 その言葉に執事は紙を吐き出すと、必死に言葉を継いだ。


「せっ……セルヴァン・ヴァードラン・トストニフが、なぜ、この別荘にあなたを住まわせているか、わかっていらっしゃらないので?」


「娘を救ったことへの褒美であろう。

 家と年金を差し出し続けている、律儀な男だ」


 ふんぞり返るユトロを前に、執事は頭を抱えて大きくため息をついた。


「ああ、何という……」


 言いかけた言葉を呑み込み、再びため息。

 これ以上は面倒だと、執事は諦めた。


 執事はナユタナをちらりと見やり、やがて考えを切り替えた。

 そして、彼女の前に膝をつく。


「私めはこの暴君の哀れな下僕、ダランと申します。

 ユトロ様の花嫁候補とあらば、私めにとってナユタナ様は主人も同然」


 ユトロを動かすには、この娘を使えばよいのではと、ダランは胸の内で算段した。

 競売で支払った金を取り戻すよう、ナユタナの口からユトロに願い出ればよい。


「ナユタナ様から先ほどのことを、お話ししていただけないでしょうか」


 背後の低いうなり声に震えつつ、ナユタナは眉を寄せた。

 ダランが何を求めているのか、首を傾げそうになる。


 嫁候補とされている以上、簡単には森域へ帰れそうもない。

 今はナユタナにも、協力者が必要だった。


 ナユタナはダランを味方につけるべく、頭を捻った。

 そして、ダランの代わりに話の筋を通し、この男を納得させればよいのだと思い至る。


 この屋敷はトストニフという者の別荘であり、ユトロのものではないらしい。

 そして問題は、その者がなぜ、ユトロを屋敷に住まわせているのかである。

 ユトロとダランの解釈には、違いがあるようであった。


 二人の会話、また、今日までに知り得たことで、ナユタナが思いつく理由は一つだけだ。


 ナユタナは、荷馬車から見た高い石塀を思い出す。

 森域に守られている森の民とは違い、領地を塀で囲っていた。

 人族の町は、地表にむき出しなのだ。


「この土地は、魔物の被害を受けやすい……のですか?」

「俺や警備兵が守っている。心配はいらん」


 ナユタナはダランに聞いたが、ユトロが後ろから得意げに答えた。

 ダランは何の話かと首を傾げたが、「そうです」と頷いた。


「ユトロ様はとても強い……のでしょう?」

「うむ。俺は竜にだって負けぬぞ。だから、お前は俺といれば安全だ」


 ユトロは胸を張ってナユタナを見つめた。

 後ろの視線に怯えつつ、ナユタナはダランにもう一つ尋ねた。


「それでトストニフというのは、この土地の長……なのですか?」

「ええ、ヴァードラン領の領主でございます」


 ナユタナがどうも勘違いをしていると気付いたダランは、己の目的へ辿り着けるよう言葉を添えることにした。


「トストニフの一人娘が攫われたその折に……

 たまたま、ええ、本当に偶然にも赤竜が暴れておりまして、ユトロ様がそれを倒され──

 結果として、娘も無事だったのでございます」


 事の全貌が見えてきたナユタナは、はっと思い至り、ユトロに顔を向けた。

 ようやく彼女がこちらを向いたので、ユトロは機嫌をよくする。


「ではユトロ様がトストニフに貰ったのが、“英雄”という称号……なのですね?」

「うむ、そうだ」


 ユトロの返事とともに、ダランは手を合わせて力強く頷いた。


「ならば、トストニフがユトロ様をこの屋敷に住まわせている理由は……

 魔物から領地を守るため……で、ございましょう!」


 慣れない口調でナユタナは丁寧に伝えたが、ユトロは首をかしげ、口を開けたまま固まっていた。


「……そうだったのか?」


「そのとおりでございます! あの時の礼とは別ですよ、ユトロ様。

 トストニフは、この地にあなたを住まわせることで、領地警備をしているのです。

 年金も、屋敷も、その報酬と言って差し支えないかと」


 ナユタナが要領よく伝えたので、ダランは笑顔で続けた。


「対価を得ている以上、領民のためにも簡単に出て行ってはなりません。

 つまり屋敷の経費は今後も要る。となれば、メルグリスから白金貨を……」


 しかしユトロの顔は、じわじわと怒りの色に満ちてゆく。

 怒気に押され、ダランとナユタナは喉を鳴らしながら顔をこわばらせた。


「じゃあ何だ?

 あいつは娘を助けた礼を、食えもせん称号なんぞで済ませたということか?」


 声を荒げるユトロに、ナユタナは縮こまり、震えながらうつむく。

 ダランが慌てて間に入った。


「どうぞ、お落ち着きください。小さい方もご覧の通り、縮んでおります。

 ええと……トストニフからは、相応の謝礼も受け取っているではありませんか」

「ううむ……確かにもらった気がするな」


「じ、人族にとって、称号は……大きな価値のあるものだと……」


 ナユタナも消え入りそうな声で、必死におだてあげた。


「そうですよ、ユトロ様。

 ただの赤竜より、“血宴の赤竜”のほうが、強くて価値が高いではないですか」


 ユトロはナユタナとダランの言葉に考えを改めた。


「ふむ……確かにそうだな。強くはなかったが」

「ぐ……ともあれ、“英雄ユトロ”と、ただのユトロでは、格が違います」

「ふうむ……ナユタナも、そう思うか?」


 ぶるぶると震えていたナユタナは、びくりと跳ねた。


「……は、はい。英雄ユトロ様の方が……威厳がございます」

「そうか。なら、まぁいい」


 気を良くしたユトロは、首にできた小さな腫れをぼりぼりと掻きむしった。

 いつの間にか、痒みのある赤い腫れができていたのだ。


「……ダラン、虫がいるぞ」


「掃除はきちんとしております。この屋敷に虫など……おや、おりますね」


 ユトロのそばを、小さな血吸虫(シリュマ)がぴょんぴょんと跳ねていた。

 ダランの背中から出てきた赤く太い尻尾が、それをばちんと叩き潰した。


 ナユタナはその光景を見て、思わず息をのみ、慌ててユトロの膝から飛び降りた。


「ここへ虫を入れたのは、私……です。

 檻の中で縛られて過ごし、髪の中に棲みついてしまったの……です」


 ナユタナの体には虫刺されのあとが無数にあり、体の汚れに紛れていて、ユトロはそれに気付いていなかった。


「頭もずいぶん刺されておりますね……髪がごわごわで、全部はよく見えませんが」


 床に落ちた虫を尻尾で潰しながら、ダランがナユタナの長い髪を覗き込む。


「その程度なら俺が……いや、教会に治癒師がいると聞いた。そちらが確かだろう」


 病に疎いユトロは、町の教会に治癒師がいることを思い出した。

 領主への怒りなどすっかり忘れ、ユトロはナユタナの傷を睨みつける。


「ともあれ、まずは湯浴みでございましょう。

 治療の前に虫を退治し、体を清潔にすべきです」


 ダランが呼び鐘を鳴らして使用人たちを集める。


 ナユタナは赤く染まる窓の外を仰ぎ、ユトロにそっと願い出た。


「あの……湯浴みの前に、庭を見せて……いただけないでしょうか。

 それから……」



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