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十一(第十八話)



 鳥を食べ終えたユトロはナユタナに別れを告げ、再びブランヴェルの宿へ戻った。

 宿札を出すと、鍵番はちょうど灯に油を注ぎ足していたところで、ユトロに気付くなり慌ただしく立ち上がる。


「はいはい、今開けますよ……」


 雑な手つきで油壺を片づけ、吊り灯を揺らしながら階段を上ってゆく。

 踏み段の軋む音が二階の廊下に響き、戸口の前で鍵を探る金具の音が続いた。


 ガチャリ、と戸が開く。

 その物音に、部屋で寝ていた者たちがむくりと身じろぎし、寝ぼけまなこで咳払いをして不満を示した。


 ユトロは鍵番の脇をするりと抜ける。

 気配を消し、足音ひとつ立てず、まるで影のように寝台へ向かった。

 床板は軋みもせず、戸も揺れぬ。


 闇に紛れるように身を沈めると、部屋はしんと静まり返った。

 さきほどまで鍵番の音に不満を漏らしていた者たちも、無音の大男の気味悪さに身を縮め、そっと目を閉じた。


 ユトロは胸を撫で下ろした。

 竜討伐について来たがるナユタナに、「あなたは弱いのだな」と告げられずに済んだ。

 「つまらないので森へ帰りたい」などと言われるのではないかと、内心怯えていたのである。


 ユトロには、ナユタナを守り切る自信がないだけだった。

 気を失うのは当然として、意識のない彼女を抱えながらでも倒せる相手であれば、連れてゆくこともできる。


 しかし黒竜は、色付きの中でもひときわ大きいと聞く。

 魔法の手数も攻撃の範囲も測れぬ相手だ。

 見誤れば、取り返しのつかぬ事態になりかねない。


 ナユタナの願いを叶えてやれぬ自分を、男は歯がゆく思った。

 ナユタナの夫となるには、もっと強くならねば──


 自らの弱さを思えば、この遠征で死人を出すまいと決めるのは当然だった。

 人族を守りきることができぬなら、冒険心の強い森人を守ることなど到底できぬと思ったのだ。

 面倒に感じていた遠征隊での討伐も、よき鍛錬になると考え直す。


 「クゥルバ」などと言い、おかしな構えをしていたナユタナの姿を思い出し、ユトロはふっと口元をほころばせた。

 ナユタナがくれた酒を大事に抱きかかえ、そのぬくもりに包まれながら、静かに眠りに就いた。



 △ ☽ △



 まだ闇の濃い早朝、ユトロは次の宿泊地であるカリネスの村へ走った。

 道の状態がやや悪く、馬車の車輪がガタつきそうな所は、ついでとばかりに足で踏み均しておく。

 問題が起こりそうな場所はないか、目を光らせた。


 馬が怯えそうな獣がいれば追い払い、村の様子を確かめる。

 周辺に不穏の気配もなく、村は静かだ。

 朝焼けのにじむ空は、今日の天候の良さを物語っている。


 ブランヴェルへ戻る途中で、狩りに良さそうな森を見ておく。

 大きな川があったため、魚を捕る仕掛けもひとつ残しておいた。


 町の近くの平原まで戻ると、サリネが魔法の練習をしていた。

 他にも、体を動かしている者たちの姿が見える。


「お、おはようございます、ユトロさん……」

「何をしておるのだ?」

「その……魔法の調子が悪くて……」


 ユトロは顎に手を当て、サリネの魔法を眺めた。

 風で小さな渦を作っている。

 サリネは杖を大きく振りながら詠唱し、魔素をそこへ集めようと必死だ。


 体内で魔力を錬成できない人族は、周囲の魔素に頼るしかない。

 半分人族であるユトロも、体外の魔素を用いることは多い。

 だが“(かい)属性”が使えるため、不便を覚えるほどではなかった。


「今は新月だ。魔素が足りなくて当然であろう」

「……え?」


 サリネはきょとんと目を瞬かせ、それから鞄から紙束を取り出し、その中から数枚を選んでユトロに差し出した。


「で、では、この日と、こ、この日も、新月のせい……なのでしょうか?」


 細かな文字で埋められた記録を、ユトロは眉を寄せて見つめる。

 男は細かい字を読むのが苦手だ。

 すぐに紙をサリネへ返した。


「新月は十四日の巡りで戻り、二日つづく。

 そのあいだは地上の魔素が薄れる」


 サリネは慌てて木炭筆を走らせた。

 頬を染め、興奮を隠しきれない。


「ず、ずっと不思議でした……なるほど!

 魔素の量は、月の満ち欠けと関係がある、と……?

 そ、そうかもしれません……!」


 彼女はそれをユトロ独自の見解だと思い込み、嬉しそうに何度も頷いている。

 ユトロにとっては、母から教わった当たり前の話であった。


 ユトロは、サリネの使っている石付きの杖に目を留めた。

 それは人族のものではない。

 サリネの耳の形も、においも、気配も人族であり、異種族とは思えぬ。

 だが杖だけは別だ。


「お前は、精麗族(せいれいぞく)の混血か?」


「え……わ、私は人族です。

 こ、この杖は、下宿先のお茶屋さんに忘れられていた物で……

 や、やはり、風人(かぜびと)のものなのでしょうか……」


 “風人”とは精麗族の通称だ。

 杖へ注がれるユトロの視線に、サリネは居たたまれなくなる。

 忘れ物を無断で使い続けていることに、ずっと罪悪感を抱いているのだと告げた。


「貰ってしまっても構わんのではないか?」

「そ、そんなことはできません……持ち主に、お返しするつもりです。

 ……あの、この杖はやはり……良い物なのでしょうか?」


 サリネは涙目になり、口籠った。

 聞くまでもない。

 この杖が良いものだと、自分でもわかっているのだ。


「大事なものであれば、探しに戻ると思うが」

「お、お店のご主人も、そうおっしゃいましたが……

 ゆ、ユトロさんは、この杖が何で出来ているのか……わ、わかりますか?」


 差し出された杖をまじまじと見る。

 木製であることはわかるが、木の種類まではユトロにも見分けられなかった。

 石にも心当たりがない。

 森人のナユタナなら見抜きそうだが、そこまでする義理もないだろう。


 杖をサリネへ返すと、ユトロは場を離れ、宿屋へ食事を取りに向かった。



 遠征隊はブランヴェルの町を出発した。

 空には薄い雲が流れていたが、天候は崩れず、道も不思議と整っており、夕暮れには無事カリネスの村へ辿り着いた。

 小さな村ゆえ、今夜は周辺の平地にて野営となる。


 バルグロスの号令で馬車を囲い、班が振り分けられた。

 馬は二頭を見張りに残し、三頭は村の厩で休ませることになった。


 食事は村の酒場でふるまわれ、ユトロはそこで地酒を二瓶分けてもらった。

 同じ班にはカイルスがいたため、最後の見張りを引き受けると約束し、「酔い覚ましの散歩だ」と言い残して村を離れた。

 酒場の奥では、地酒を切らしたと聞かされてモルバスが腹を立てていた。


 日がすっかり暮れたため、鳥を狩るのは諦め、ユトロは川底に仕掛けた罠を覗き込む。

 大きなガーネスが一匹、マナスが三匹かかっていた。


 ユトロはその場で腸を抜き、血合いを洗い落とす。

 川辺で拾った香りの強い落ち葉と、岩肌に生えた香苔を腹へ詰め、仕上げに酒を振りかけて縄で縛った。

 開けたついでに味見をしたカリネス村の地酒は、ナユタナの蜜酒には遠く及ばぬ、荒く酸っぱい味である。

 これを土産と呼んでよいものか、ユトロは少し悩んだ。



 その夜は、屋敷の露台でナユタナが待っていた。

 夜更けに自分を待つ者など、これまでなかったことだ。


 今夜は驚いて気絶せぬよう、ナユタナはしっかりと心構えをしていた。

 ダランを傍らに置いていたというが、ユトロが姿を見せた途端、竜の従者は音もなく姿を消したらしい。

 ユトロは怪しむように周囲を見渡す。

 広い露台は、どこまでも片付いている。


「稽古をしておったのだ」

「稽古だと……?」


 ナユタナは棒切れを握りしめていた。

 先ほどまでダランから、剣の手ほどきを受けていたという。

 それを聞き、ユトロは眉を寄せた。


「奴は剣技を使わぬであろう」

「ダランは“的”の役をやってくれたのだ。

 尻尾をな、こう振ってもらってだな……私はそれと戦ったのだが、何度も弾き飛ばされてしまった」


 ナユタナは埃まみれで、額にはこぶまで作っていた。

 ユトロは荷物を置くと、ゆらりと立ち上がり、指の関節を鳴らす。

 ナユタナはびくりと身を竦め、後ずさった。


「……奴をどうにかせねばなるまい」


「ま、待つのだ……ダランは私を鍛えてくれたのだぞ?

 私が竜の攻撃から身を守れるようになれば、あなたも安心して私を竜退治に連れていけるであろう……?」


 ユトロは黙り込んだ。

 怒りが鎮まったのを見て、ナユタナはほっと息をつく。


 だが次の瞬間、男は握りしめた拳を己の顔へ叩き込み、ぐらりと崩れて膝をついた。


 ナユタナは目を丸くする。


 自分に自信がないせいで、ナユタナ自らが強くなろうとしている──そう思えてならなかった。

 理には適っている。

 だがそれは、ユトロの理想とは違っていた。


 この森人は、じっとしている質ではない。


 露台の端で怯えながら、ナユタナは倒れ伏した男を眺めた。

 静かになってしまったのが気がかりで、棒の先でそっとつつく。


「ユ、ユトロよ……大丈夫か?

 疲れているのではないか……?」

「……すまん。手土産だ」


 俯いたまま、ユトロは荷物を差し出した。

 ナユタナはちらちらと男を気にしながら、中身を確かめる。


「……おお、ガーネスではないか! 立派な大きさだ。

 マナスも三匹おるな。脂が乗っていて美味そうだ。

 稽古で腹が減っていたのだ。

 ……おお? こ、これは……北の酒ではないか?!」


 乳白色の陶瓶に気付いた途端、ナユタナの笑みがぱっと咲いた。

 瓶を掲げてユトロに見せる。


「カリネス村の地酒だ。

 魚の下処理に使ったが……味が良いとは言えん」


 質の悪さを気にしていたユトロの心配をよそに、森人は酒瓶にしがみついた。


「私はこの土産がいちばん嬉しい!」


 そのひと筋の光のような明るさに、ユトロはようやく顔を上げる。

 胸底の重しが、静かに和らいだ。


「さぁユトロよ、魚を焼いてくれ。

 私は酒の準備をするのに、このとおり、動けんからな。

 あなたが明日も無事に帰って来るよう、歌でも歌おう」


 ナユタナは酒瓶を抱いたまま歌い始めた。

 ユトロは火鉢を据え、炭を熾す。


 ナユタナの歌声は、決して美しいものではない。

 だが、どこか心をあたためる。

 その歌は、「明日の酒は私を驚かす」と歌い出される、手土産への期待を込めて紡がれた詩であった。


 炭火が赤く揺れるたび、調べもまた微かに揺らぎ──

 その温かな響きは、ユトロの耳に長く残った。



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