十(第十七話)
「“呪い持ち”は、魔法を使える者に、稀に現れると聞く。
良い効果は天から賜った“加護”とされるが、生きるのに支障をきたすものは“呪い”と呼ばれる。
旦那様のあの恐ろしい声や雰囲気は、それではないかと思う。
人の輪に入りづらく、苦労もあったのではないか」
ナユタナは、あれを種族の性分と思っていた。
だが、人狼が皆そうとは限らぬ。
もし人族の特性で“呪い”が現れるというのなら、ユトロの声はそのせいなのかもしれない。
「だが、ユトロは町でずいぶん慕われていたぞ?
屋敷の者の方が、怯えているように見えるが」
競売のあと、ユトロは町の人々に囲まれていた。
無愛想なユトロに、多くの者が笑顔で話しかけており、屋敷の使用人たちよりずっと親しげだった。
「屋敷の使用人にも旦那様を慕っている者は多いぞ。
小便を漏らした私の息子のような馬鹿もいるがな」
「おお……あれはドロナの子であったか」
“狼の印”によりひっくり返った者たちは、ナユタナを軽視する者だと、ユトロは言っていた。
つまりそれは──ナユタナを嫁候補とするユトロをも軽んじているのだと。
「慕っている者は皆、近寄りがたいと感じているだけだ。
雇ってもらった立場だからな。
主人に対し、気さくに接することはできん」
雇い雇われの関係は、単なる手伝いとは違うのだとナユタナは理解している。
それは、労力を金と取引した関係だ。
ユトロが偉そうにしているのは、雇っている立場だからなのだろうか。
金を出す側と労力を出す側は、対等ではないのだろうか──
ナユタナは顎を撫でた。
彼女の疑問を察し、ドロナは話を続けた。
「この屋敷は領民にとって、最後の受け皿になっている。
使用人を見て分かるだろうが、普通には雇ってもらえない、体の不自由な者が多い。
彼らに食事と屋根のある寝床を与えていることが、旦那様が領民に慕われる理由の一つだな」
労力を提供する側に欠陥がある、ということらしい。
しかし片腕の男は、器用に靴を履かせてくれた。
両手があっても、同じようにはできぬ者もいるだろう。
ナユタナは目を細め、再び顎を擦った。
「ナユタナ様には不思議かもしれんが、人はどうしても見た目で選んでしまうのだ。
足を引きずっていれば、その者は速く走れないと考える。
大勢の中から選ぶなら、普通に歩ける者を選ぶ。
そうしてどこにも選ばれない者たちが、ここへ集まった」
暮らし向きの定まらぬ折、ユトロがたまたま拾った者の話が広まり、雇ってくれと頼みに来る者が増えたという。
ユトロはそうした頼みを断ることがなく、あるとき屋敷は使用人で溢れた。
ダランが使えぬ者を容赦なく解雇したが、屋敷の周りには行く当てのない者が集まってしまった。
使用人たちがユトロの許可を得て外の者に炊き出しを行い、それがさらに人を呼び寄せた。
そうした中、奴隷商人がかねてから温めていた奴隷制度の改革案を領主に上申したことで、最下層の貧民の暮らしは安定したのだった。
それは、奴隷制度を利用して貧民を保護する仕組みである。
ナユタナは、自分が奴隷商の庇護下にあったことを思い出す。
「ふむ……メルグリスのことか。
奴隷制度で貧しい者を救うのか? 私には妙な案に聞こえるが。
しかしこれは、優柔不断なユトロのせいで、ダランが大変な思いをしたという話だろうか」
ナユタナの指摘に、ドロナは吹き出して笑った。
「まあ、どちらもその通りだな。
いかんな、旦那様の良いところを伝えるつもりが、印象を悪くしてしまったか」
“呪い”により怖がられ、孤独であるがゆえに、頼られると断れないのだろうか。
血が混ざっているために、人族にも人狼族にも馴染みにくいのかもしれぬ。
ナユタナは、ユトロが人の輪に入りたがっているように思えた。
「だがな、旦那様のそういうお人柄が、ヴァードラン領を住み良くしたのも事実だぞ。
領主様と奴隷商だけでは、こうはならなかっただろう。
当時は路頭に迷った者が、町の路地裏で盗みを働くようになっていてな。
環境の悪さもあって病も広まった。
そうした中、旦那様の行動が奴隷商を動かし、領主様も動かざるを得なくなった」
メルグリスの考えは、今ある余分な労働力を必要な時にまで据え置く、という方法であった。
上申したその新制度により、まず、奴隷の命の安全が保証され、鞭を打つことが禁じられた。
また、領民に対しては庇護契約という新たな仕組み、準奴隷という新たな身分が設けられ、路地裏や屋敷周辺の行く当てのない者を登録させた。
登録された者は、その日から奴隷商の施設で最低限の暮らしを保障され、病の者は教会の治療施設に送られた。
それは、弱い者を放り出さぬ仕組みとして、ようやく形になった制度だった。
この制度によって、準奴隷は奴隷商からの貸与労働者となり、商業ギルドに口座を持てるようになった。
契約満了を迎えると、借り主の支払いの一部が準奴隷に与えられる。
彼らはその口座に金を貯め、自身を買う自贖の資金と、奴隷身分を抜けたあとの生活費を蓄えることができた。
また、貸し出されない期間は施設で教育を受け、肉体労働に不向きな者は教官の道も開かれた。
発端となったユトロの行動が、ここまで大きな流れを生んだのは、この屋敷が前領主の本邸であったことも大きく影響している──
英雄が貧民を、立派な屋敷に受け入れている。
その屋敷は、前領主の格式ある本邸だ。
その庭にあふれるほどの貧民を住まわせ、炊き出しを行っている。
それはやがて歌にもされ、領民の支持を集め、期待を高めた。
現領主トストニフ子爵は、奴隷商の案を採用し、治安の改善に踏み切らざるを得なかった。
「魔物から領を守る英雄が、治安をも立て直し、今も弱者の受け皿になっている。
それでいて嫁探しには苦戦していたからな。
旦那様は風貌は怖いが、憎めぬ人物と思われているのだろう──」
ドロナから聞くユトロの話は、ナユタナにとって興味深いものだった。
面白さの大半は、メルグリスの考えた制度の話であったが、ともあれ、領民からユトロが慕われている理由が、ナユタナにもようやく理解できたのだった。
ナユタナの腹が鳴ると、ドロナが女中を呼び、食事が部屋に運ばれた。
肉しかなかった最初の夕餉とは違い、今は野菜と穀物を中心とした料理である。
食事を終えると、ナユタナはリーナの様子を診て薬による治療を行い、再びユトロの部屋へ戻った。
ドロナはリーナの治療のあと、従者棟へと帰っていった。
△ ☽ △
窓の外には群青の星空が広がっている。
今宵は月の姿はない。
月が隠れる二日のあいだ、森人たちは休息を取る。
新月の夜は魔素が静まり、日中には地上の魔素が空へと昇り、地表が薄くなる。
体外の魔素を扱う大仕事には、この二日間は向かない。
魔法が使えぬわけではないが、ゆっくりと酒を飲み、休むべき日とされていた。
アピルの蜜酒を抱え、魔法で中身を掻き回す。
薬と同じ手法で味を調えていたナユタナは、そこでふと良いことを思いつく。
「そうだ、これは手土産に良いな……ん?」
酒瓶を眺めていると、急に影が差した。
顔を上げたナユタナは、黒く大きな闇が窓を覆い、光る目を揺らして室内を覗いているのを見た。
それは口から枯葉を吐き、手から草を散らす──
森に言い伝えられる巨人、“クゥルバ”であった。
森人は恐怖に身を引きかけ、好奇心で踏みとどまろうとした。
だが、やはり恐怖が勝り、意識を手放して椅子から崩れ落ちた。
夜風に焼いた鳥の匂いが漂い、ナユタナの鼻をくすぐった。
「……はっ! クゥルバはどこだ?!」
意識を取り戻したナユタナは、勢いよく起き上がり、両手を掲げて指を絡めた。
「クゥルバ……? その構えは何だ」
その指の形は、クゥルバに出会ったときにするものだと、集落の子供たちが言っていた。
敵意のないことを示す合図らしい。
誰もクゥルバを見た者はいないが、子供たちはそうして遊ぶ。
ナユタナは差し出された鳥を受け取った。
それがリュサール鳥であるとわかり、先ほどの“クゥルバ”は、鳥を咥えたユトロの姿だったのだと悟る。
「……あなたは、コンヌビアへ向かったのでは?」
昨晩と同じ場所で、同じ問いを口にする。
「ああ。王都より北へ進み、ブランヴェルに着いたところだ。
人族の歩みは非常に遅い。
つまらんので、ナユタナの顔を見に来たのだ」
足が速いというのは、実に便利だとナユタナは思った。
焼けたばかりの鳥を、ふうふうと息を吹いて冷ます。
「……明日もまた、こうして来るのか?」
「困るのか?」
昨晩と同じ景色の中で、ナユタナは鳥を食べた。
淡泊な肉汁が口に広がる。
リュサール鳥は上品な肉質である。
ユトロは小皿に酒を垂らし、ナユタナに渡した。
「こうしてあなたと鳥を食べるのは楽しいぞ。
私は鳥が好きだからな。それに、跳獣も好きだ。
焼いた鳥を食べながら、北の地の酒も味わってみたいものだ」
「そうか。次は酒を買ってこよう」
ナユタナはドロナの話を思い出し、ユトロの顔を眺めた。
室内の灯りにわずかに髪が照らされるほかは、男の顔は暗い影となってよく見えない。
「ユトロよ、黒竜と戦う日に、私も連れて行ってはくれないか?」
「俺を見てひっくり返るようでは、黒竜を拝むこともできんだろう」
目を細めて口を尖らせたナユタナは、鳥にかぶりついた。
「行ってみないことには、わからないではないか。
緑竜や地竜は、遠くから見たことがあるぞ?」
「その二色は穏やかな竜だ。
おぬしが倒れることは、行かずともわかる。
……この酒は、こういう味であったか?」
ユトロは口にしたアピルの蜜酒を見つめた。
ナユタナはそれを聞いて喜ぶ。
「美味いであろう?
私に酒をよこせば、味を良くしてやれるぞ。
ユトロよ、ちょっと耳を貸してくれ……」
怪しい顔をしたナユタナは、ユトロが傾けた耳に口を寄せた。
「あのな、瓶二本のうち一本をこうして返す取引をしてもいいと思うのだが、どうだろうか?」
ナユタナは森で行っていた酒を増やす方法を、ユトロにひそひそと耳打ちした。
ユトロはその小さな声をくすぐったく感じながらも、話を聞いて眉を寄せた。
「このような力こそ、人族は欲しがるのだ。
攫われて、一生酒を造らされることになるぞ。
取引をするなら、人族以外にしておけ」
「ふむ、あなたやダランとなら、良いということか」
喜んだナユタナは部屋に入り、袋を抱えて戻ってきた。
それはユトロの部屋に置かれていたもので、小さな魔物の核が小石のように詰まっている。
「この魔石は何かに使うのか?
酒の残りをやるから、私に少し譲ってほしい」
「何かに使うかもしれんと思って取っていた物だ。
酒は貰うが、部屋にあるものはナユタナの好きにするといい。
そのくらいで嫁になれとは言わん。
留守にしている獣のねぐらだ、遠慮せずに使え」
気前の良いことを言うユトロに、ナユタナは目を細めた。
「私の思う“良き夫”は、竜退治に連れて行ってくれる者だぞ」
ユトロはふんと鼻を鳴らす。
「俺の思う“良き夫”は、おぬしの安全をいちばんに考える者だ」
ナユタナは歯をぎりぎりと鳴らした。
その仕草が何を意味するのか、ユトロにはわからなかった。




