八(第十五話)
夕刻、フォルトナの屋敷へ戻ったユトロは、ダランの指示に従い、宵時まで自室で独り待たされた。
その後やって来たナユタナを、ユトロは不本意にも気絶させてしまうのだが、目を覚ました彼女に贈り物のカルヴァン鳥を食べてもらい、二人はひと時を共に過ごした。
ナユタナは鳥を美味しそうに食べていたが、もっとも喜んでいたのは、酒を受け取った瞬間であった。
鳥も酒も、自分の手で用意できなかったことが、ユトロには悔やまれた。
自ら狩った獲物に喜ぶナユタナの姿を思い浮かべ、次こそは納得のゆく贈り物を用意せねばと、ユトロは心に決めた。
ユトロの胸は落ち着かぬまま思考を巡らせ、気付けば王都へと辿り着いていた。
宿では、戸を叩くと中から閂の外れる音がした。
開けてくれた相部屋の者に睨まれつつ、狭い寝台に身を横たえる。
ナユタナのくしゃくしゃの顔を思い出し、男は愉快な気分で眠りについた。
翌朝、暁の鐘の音で目を覚ましたユトロは、宿を出て北門へ向かう。
朝三度の鐘までにはまだ時間があり、朝霧に紛れて、最初の宿泊地であるブランヴェルの町へ先行した。
ブランヴェルは王都の北に隣接する、ルガート領の町である。
道は整っており、道中に危険な森もない。
町を囲う塀は高く、南の門ではまだ薄暗い中、門番がしっかりと立っていた。
ユトロは人目を避けて林を抜け、塀に飛び乗って町の様子をうかがう。
フォルトナに似た大きな町であり、特におかしな気配もにおいも感じられなかった。
朝の鐘が鳴る前に、再び王都の北門へ戻って待機する。
広場にはすでに幾人かの者が集まっていた。
ユトロの姿に気付いたバルグロスが近づき、金属でできた青い円形の徽章を手渡す。
「ヴァードラン領のユトロだな。
これを体の見える位置につけてくれ。遠征隊の印だ。
太陽をかたどった青の徽章は黒竜討伐まで行く者、月形の緑の徽章は翼竜討伐の後に帰還する者と定めている」
ユトロは剣帯にそれを付けた。
バルグロスは次々と徽章を配り歩く。
全員の顔を記憶したのか、青と緑の徽章を迷いなく渡していた。
「国より命を受け、これより赴く北方竜討伐は、先行隊を含め総勢五十三名。
想定より少数ではあるが、特級冒険者五名を含む精鋭で臨む。
まず翼竜討伐だ。
道中、被害地へ立ち寄り、これを速やかに鎮める。
次の討伐対象たる黒竜は、すでに三つの村と町を壊滅させ、北の大鉱山町エルサンも失われた。
被害をこれ以上広げぬためにも、必ずや討ち取らねばならぬ。
心して当たってくれ。
なお、教会より僧侶三名が治癒師として同行する。
治療を受けたくば──食事には十分気を付けることだ」
朝の鐘が、間を置いて三度鳴り響く。
遠征隊はバルグロスの指揮のもと、王都を出発した。
ユトロは、ぞろぞろと進む一行の最後方を歩きながら、馬たちが自分のにおいに驚かぬよう、風下に回って位置を取った。
隊列には四台の荷馬車が挟まれ、御者付きの幌馬車が二台。
御者は冒険者が交代で務める。
重装備を運ぶ荷馬車には馬が二頭。
食料と物資を運ぶ小型の荷馬車に一頭。
医療用の幌馬車に一頭。
地図の確認や記録を行う幌馬車に一頭──合計五頭の馬がいた。
天候も良く、道にも問題はない。
予定どおりブランヴェルまで進むだろうとユトロは見立てる。
ただし、歩みの鈍さにはもどかしさを覚えた。
もしこの隊が人狼の群れであれば──
ユトロはつい、そう考えてしまう。
だが、男が人狼の群れに加わることはない。
「おはようございます、ユトロさん。
後ろにいらしたのですね」
隊列の中ほどにいたカイルスは列を外れ、手を振ってユトロを待った。
その隣には、魔法使いの女の姿もある。
「昨日は宿へ戻られたのですか?」
ユトロは頷いて返した。
カイルスの革の胸当てには緑の徽章が、魔法使いの外套の襟には青の徽章がつけられている。
「お前は黒竜討伐まで行くのだな」
ユトロの低い声にびくりとして、サリネは小さく頷いた。
「僕も驚きました。サリネさんは優秀な魔法使いなのですね」
二人の視線に、サリネは真っ赤になって俯く。
「い、いえ……その……支援をできればと思いまして。
こ、黒竜の素材が、欲しいのです……」
サリネは黒竜に有効な攻撃魔法を使えないため、遠征では後方支援を担当する予定だ。
購入が難しい竜の素材を得るには、討伐に同行するのが彼女にとって最も確実だった。
「竜の素材ですか。何か作るんですか?」
「つ、杖を……杖を作りたいのですが、そこまで大きな素材は、なかなか……」
それを聞いたユトロは、ナユタナに杖を贈るのもよいかもしれぬと思う。
人族のように体外の魔素を練り上げる者にとって、杖は有効な補助具である。
しかし、体内で魔素を扱える自分たちには、さしたる必要もあるまい──そう結論づけた。
「素材といえば、コンヌビア地方へ行くなら白鉱石を買ってこいと、妻に言われています」
「白鉱石……ですか?
ぶ、武具には脆くて、不向きと聞きますが……」
「いえ、磨くと貝のように輝くそうで、それで作る装飾品を身につけると幸運になるのだとか」
前を歩いていた白衣の僧侶が、にこやかに振り返った。
「白鉱石には浄化の作用があります。
身につけることで、子が健やかに育つとされているのです。
──まもなくご家族に、小さな光が加わるのですね」
僧侶の言葉に、周囲から祝福の声が上がった。
カイルスは頭を搔いて礼を言った。
「そうとも知らず、お恥ずかしい。
てっきり、彼女自身の耳飾りでも作るのかとばかり思っていました。
子のためとあらば、買わないわけにはなりませんね」
カイルスの妻は確かに身重だった。
男爵家の次女である彼女は、作法や身なりにうるさいところがある。
白鉱石も、自分のために買ってこいと言われたのだと、彼は思っていたのだ。
サリネは思い切って口を開いた。
「き、金の鎖も……魔除けや幸運を呼ぶものとされています。
売っても役に立ちますし……その……冒険へ向かうカイルスさんを、思ってのことでしょう」
サリネがこう口を添えたのは、道中、妻から贈られたそれについてカイルスがぼやいていたのを、そっと耳にしていたゆえである。
身重になってから小言が増えた妻に少し手を焼いていたカイルスは、彼女を改めて愛しい人だと感じた。
△ ☽ △
ブランヴェルの町に到着すると、隊の全員に夕餉代と宿が与えられた。
夕刻まではまだ時間があるが、今夜はここで足を止めるらしい。
ユトロはバルグロスを睨みつける。
黒竜のもとへ先に行き、倒してしまおうか──
そんな衝動を、辛うじて抑えた。
今回の目的は金を稼ぐことにある。
問題を起こしてギルドの信頼を失うわけにはいかない。
町の市場を歩きながら、ユトロは時間をつぶした。
ヴァードラン領へ戻るには、まだ日が高い。
領内ではすでに自分の不在がギルドを通じて領主の耳に届いているはずだ。
出発したはずの遠征隊の一員が戻ってきたとなれば、面倒なことになる。
人狼の血が知られ、追放されるかもしれない──
そう、ダランにきつく言われていた。
ユトロにとってフォルトナの町は、ようやく身を落ち着けた場所なのだ。
屋台で食事を済ませ、露店に並ぶ鉱石を眺める。
碧晶を喜んでいたナユタナには、鉱石を贈るのもよいかもしれない。
カイルスが話していた白鉱石もあったが、もっと北の町の方が質が良いように思えた。
以前、女中に鳥を贈ったときは、悲鳴を上げられた。
だがナユタナは、露台に置いた鳥を贈り物だとすぐに察し、焼いた鳥にも迷いなく手を伸ばしていた。
今日は、カルヴァン鳥より良い肉を贈らねば──
ユトロはさっそく町の外へ出て、森に入った。
鳥はねぐらに戻る時刻だが、その前に腹を満たすはずである。
ユトロは耳をそばだてて小川を探し、静かに風下へと向かった。
樹木の枝で休む小さな鳥ではない。
狙うなら、大きく味の良い鳥だろう。
低木の向こうの流れに、リュサール鳥が数羽見える。
川底の虫をついばみながら、銀白の羽を揺らして警戒していた。
細い脚をもつ、優雅な鳥である。
ユトロは小石を拾い上げ、獣のにおいを染み込ませてから、風上へ向かって高く放った。
石が水面に落ちると、銀の羽が一斉に舞い立ち、鳥たちはばさばさと音を立てて、水面すれすれに逃げた。
木陰に潜んでいたユトロは、一羽目の首を掴み取り、続けざまに二羽目を蹴り上げて三羽目にぶつける。
川に落ちた二羽を捕らえ、まとめて首を落とすと、小川の流れが赤く染まった。
川で体を洗ったユトロは、人の通る道を避け、暗い森や林を抜けてフォルトナへまっすぐ戻る。
屋敷の敷地に入ると、ダランが自分の気配を察したのを感じたが、放っておいた。
一階の灯りはダランの執務室で、二階の灯りはナユタナのいる部屋だ。
月光を恐れる人族の部屋は、新月であっても固く閉ざされている。
今夜もナユタナが自室にいるとわかり、ユトロの胸は温かくなった。
まるで自分の帰りを待っているようなその部屋に、音を殺して近づく。
ナユタナ以外の者の気配を探るため、鳥を一羽口に咥え、片手に二羽を持ち、窓枠にもう片手を掛けて室内を覗き込む。
──途端、大きな物音がした。
窓辺の小卓に酒の瓶が光り、床には、青い顔で倒れるナユタナの姿があった。




