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七(第十四話)



 フェルデン王国の王都フェルディナにある中央ギルドを訪れたユトロは、ダランから渡された依頼の写しと、金色のギルド証を受付に差し出した。

 ギルド証は小さな金属片で、所属領と個人番号が刻まれ、端には小粒の魔石が嵌め込まれている。


 大男の気迫にも慣れた様子で、窓口の娘はにこやかに微笑んだ。

 彼女にとって、それは日常の範囲だった。


「と……特別差遣任務をご希望の上級冒険者様ですね。

 少々お待ちください」


 だが、ユトロの放つ気迫に、ほんの一瞬だけ言葉を詰まらせた。

 娘はわずかな怯みを隠しながら、棚から紙束を取り出し、ギルド証の番号を確かめる。


「ヴァードラン領でご登録の、上級冒険者ユトロ様でお間違いありませんね?」


 ユトロは黙って頷いた。


「では、奥の部屋へどうぞ。

 詳しい説明を担当の者がいたします」


 中央ギルド一階の受付は、いつも通りの混雑ぶりだった。

 依頼の貼り出された掲示板の前には人だかりができ、窓口には列が伸び、壁際では仲間を待つ者の姿もある。

 大半は人族の屈強な男たちで、女の姿はちらほらと混じる程度だった。


 ユトロは受付横の通路を抜け、奥の一室へ通された。

 部屋には冒険者たちが集まっており、時間を区切って説明が行われているようだった。


 ユトロが入ると、ざわめきがぴたりと止み、やがて囁きが広がる。

 席はすでに埋まっていたため、ユトロは後ろの壁に寄りかかった。


「特級か?」

「いや、あいつは上級だな」

「ヴァードラン領の英雄様だろう?」


 その言葉に、周囲の冒険者たちから嘲笑が湧いた。


「それは奴の渾名さ。国王陛下から賜った正式な称号じゃない」


 王都周辺の冒険者の間では有名な話だった。

 “英雄”の称号は、王の名においてのみ授けられるもの。

 子爵トストニフが「ヴァードラン領では英雄として扱う」と言っているにすぎない。

 ユトロもそれは承知していた。


 もっとも、ユトロにとってそれはどうでもよいことだった。

 この瞬間も、男の思いはナユタナに向いており、土産に何を選ぶべきかと考えている。


「あ、あの……ここをどうぞ」


 ユトロの前に座っていた若い弓使いが、立ち上がって席を譲った。

 上級になりたてらしく、魔石入りのギルド証を細い金鎖に下げている。

 背後に立つユトロの眼光が怖く、落ち着かなかったのだ。


 ユトロが不要だと首を振った、そのとき──新たな男の登場に、場が一斉に沸き立った。


「モルバスだ」

「あいつがいるなら黒竜まで行けそうだな」

「他にも特級はいるだろうか」


 ちょうど、ユトロの前の席が空いていた。

 モルバスと呼ばれる大男は、ずんずんと進み出て、大剣を下ろし、どかりと腰を据えた。

 席を立った弓使いは何も言えず、ユトロの横に立つしかなかった。


「おい、これをそこへ立て掛けておけ」


「……え、僕ですか?」


 モルバスは大剣を弓使いに押し付けた。

 受け取った弓使いは重さに耐えきれず落としそうになり、面倒を感じたユトロがそれを軽々と持ち上げ、壁に掛けてやる。


「あ、ありがとうございます……」


 目も合わせぬユトロに、弓使いは帽子を取って礼を言った。


「フン、お前はあれだな。

 単騎で赤竜を討ったという、ホラ吹きの偽英雄だろう」


 モルバスが笑いながら煽ったそのとき、黒の三角帽子に外套を纏う女が、ぱたぱたと駆け込んできた。

 続いて銀髪の男が戸を閉め、場を見渡した。

 女は室内をきょろきょろと見回し、空いている壁際のユトロたちを見てびくりとし、俯いて隣に並んだ。


「部屋がいっぱいになってしまってすまない。

 この時間が一番多かったようだ。

 しかし、これだけの人数が集まって何よりだ。

 モルバスも来てくれたようだしな」


「黒竜が殺れるとあらば行くぞ。

 やつの竜核は俺が頂く」


 モルバスが笑ってユトロを振り向く。


「邪魔はするなよ」

「先に取った者が頂く決まりであろう」


 ユトロの低い声が響いた瞬間、部屋は凍りついた。


 隣の魔法使いは青ざめて震え、弓使いも体を強張らせる。

 室内の者たちは皆、その声に潜む“何か”を感じ取って黙り込んだ。


「ほう……妙な術だな。お前、呪い持ちか?」

「そういったところだ」


 生まれながらに魔力を発し続ける者を、“呪い持ち”と呼ぶ。

 ユトロの声は人狼族特有の術のひとつで、本来は意識して発するものだ。

 だがユトロには、それを解くことができなかった。

 感情が昂ると、“狼の声色”は否応なく強くなる。


 ユトロの場合、声がこうなったのは生まれながらではない。

 幼いころ、母の遠吠えを真似してから、直らなくなった。

 遠吠えを得た代わりに、声に掛かる“狼の声色”が解けなくなってしまったのだ。


 “狼の声色”は敵を怯ませて隙を作るための術であり、同時に、無益な戦いを避けるための威嚇でもある。

 しかしユトロにとっては、誰も寄りつかなくなるという厄介な呪いでしかなかった。


「話をしているところ申し訳ないが、遠征の説明に移らせてもらう」


 部屋の前方に立つ銀髪の男が、二人の会話を遮った。


「私は特級冒険者の戦士、バルグロスだ。

 今回の遠征では隊長を務める」


 バルグロスは、一拍置いて言葉を継いだ。


「道中の隊を率い、黒竜戦の指揮を執るのは私だ。

 翼竜戦は特級弓使いのマルヴェナが担当することになっている。

 彼女は状況把握のため、二名の弓使いとともに先に出発している」


 遠征隊は明朝、王都北門に集まり、朝の鐘が三度鳴ったのち出発する。

 ルガート領からカルドレア領へ抜け、翼竜討伐の地への到着は七日後を予定している。

 最初の宿泊はブランヴェルの町で、翌夕までの到着を見込む。

 その先の小村では宿が足りず、野営となる。

 宿泊費は一定額をギルドが負担し、上等な部屋を望む場合は自己負担となる──


 バルグロスによる細々とした説明が終わると、ギルドの用意した宿の札と食事代が配られた。

 ユトロは手にした札と銀貨を眺め、遠征費がかさむ理由を悟った。


「夕餉代まで出してくれるとは、至れり尽くせりですね!」


 さきほどの弓使いが嬉しそうに言った。

 特別任務を受けるのは初めてらしく、待遇の良さに浮かれている。

 胸元で揺れる金鎖に、ユトロは眉を寄せた。


「ギルド証はしまっておけ」


 突然の忠告に、弓使いは驚きつつギルド証を上着に収めた。


「……そ、そうやって下げていると……

 引っ掛けてしまうので……

 その……武器が、多いですから……」


 ユトロを挟んだ向こう側から、魔法使いの女が控えめに口を開いた。

 実際には“目上の冒険者に絡まれやすい”ことへの忠告だったが、場を荒立てぬよう言葉を選んだのだ。


「なるほど、ありがとう。

 僕はネヴァリ領のカイルスです。

 見ての通り、上級になりたての弓使いです」

「わ、私はサリネ……王都を中心に活動している、魔法使いです」


 二人の視線が向けられるなか、ユトロは無言のまま部屋を出て行った。


「あ、あの方は……ヴァードラン領のユトロさんです。

 い、いつもお一人で……声の、せいではないかと……」

「気を遣わせてしまったのかな。

 おっかない人かと思ったけど、親切だった」


 胸にしまったギルド証に触れながら、カイルスが呟く。

 サリネも同意するように頷いた。


「せ、赤竜をお一人で討ったお話が有名です。

 とても……お強いのでしょう」

「それはすごい!」


 立て掛けてあった大剣を背負い直したモルバスが、二人の会話を聞いて笑った。


「お前たち、竜退治は初めてか?」

「カイルスです、モルバスさん。

 翼竜なら何度か。群れは今回が初めてです」

「なら、黒竜戦まで来るといい。

 “色付き”がどんなものか、遠くからでも見ておけ。

 単騎で仕留めたなどという戯言は、一度見れば嘘だと知れるだろう」


 モルバスが鼻で笑うと、バルグロスが残っていた者たちに部屋を空けるよう指示した。

 次の説明の準備が始まっていた。



 △ ☽ △



 宿を確認したユトロは、店で食事を済ませると、王都の市場をぶらついた。

 装飾品や果物を遠くから眺め、ナユタナが喜びそうなものを探す。

 森人の彼女が喜びそうなものは、まず酒だ。

 だが、扱っていそうな店が見当たらない。


 今朝のナユタナは、陶瓶を抱えたまま小卓の上で眠っていた。

 まるで酒豪のような姿だったが、瓶の減りは少なかった。

 小さな体とあって、大酒飲みではないらしい。


 用意していた酒器は大きすぎたようで、木の実の入れ物にされていた。

 パンから木の実をほじり取り、つまみにしていたのだろう。

 そしてパンを載せていた小皿を、杯代わりに使っていた。

 床には、見るも無残なパンの残骸が散らかっていた。


 女中はその惨状に顔をしかめていたが、森人は木の実の殻などを床に落とすのが常である。

 食事の後は土や水の魔法で、きれいに片付けるのだ。


 ユトロは昔見た、森人たちの暮らしを思い出した。

 彼らは自分たちの家に、小さな道具をきちんと揃えて持っていた。


 人族の道具は、森人にはどれも大きい。

 ナユタナの腕に抱かれた酒瓶は、まるで樽のようであった。


 まずは、酒を飲むための器を贈るのがよさそうだ。


 ユトロは陶商の店へと入った。

 不意に今朝のナユタナの寝姿が思い出され、ユトロは堪えきれず吹き出した。

 傍にいた商人が、びくりと肩を震わせた。


「──あ、ユトロさん!」


 外から店内を覗き込んだのは、先ほどギルドで出会った弓使いの青年だった。

 棚に顔を伏せている大男を、不思議そうに眺めた。


「……土産探しですか」


 ユトロが手にしていた小さな酒器を見て、カイルスは気さくに声をかけた。


「お子さんに……?」

「これは酒器だ。女に贈ろうと思ってな」


 その答えに、カイルスは器を見つめて眉を寄せた。


「……他に候補はないのですか?」

「酒を探しているのだが、店の場所がわからん」


「酒屋なら、東門へ向かって三つ目の角ですよ」


 陶商の言葉にユトロは酒器を置き、外へ出た。


「その……酒を贈るのは、ご年配の女性なのですか?」


 カイルスは用心深く尋ねた。

 ユトロは、ナユタナが年上かどうかを考える。


 森人の年は大雑把で、人族のように見た目では測れない。

 彼女の様子を見る限り、ナユタナの生きた年数は、自分より長いと思われた。

 だが、森人は数百年は生きると聞く。

 となれば、心の成熟は、人と同じにはならぬだろう。

 ユトロの目に映るナユタナは、自分より少し年下の娘のようであり、少し年上の女のような気もした。


「ユトロさんの恋人ですか?」

「……嫁になってくれと、昨晩伝えたばかりだ」

「ということは……よい返事を頂いているんですね?

 酒でいいのですか?」

「返事はまだだ。ナユタナは酒好きだからな」


 ユトロが答えると、カイルスはさらに眉をひそめた。


「返事がまだなら、酒器や酒はやめた方がいいですよ。

 いくら好きなものでも、女性にとっては恥になるかもしれません」


 ユトロはぎょっとした顔でカイルスを見た。


「僕の妻は、見栄えのよい菓子か花しか受け取りません。

 『酒は女が男に用意するもの』だと教わりました。

 周囲の目もありますし、女性に恥をかかせてはいけないのです」


 カイルスは、自分の経験を語っているようだった。

 ユトロは真剣な面持ちで耳を傾ける。


「返事を待っている今は、特に注意が必要でしょう。

 遠征の帰りは、ひと月後ですよ? 

 久々に会って酒を渡すより、花束の方が喜ばれます。

 花をもらって嬉しくない女性はいません」


「……ふむ、そうか」


 ユトロは、遠征の終わりに花束を買って帰ることを心に刻んだ。


 そのとき、ユトロの耳がぴくりと動き、空を仰ぐ。

 カルヴァン鳥の群れが遠くを横切っていた。

 カイルスも男の視線を追い、思わず顔をほころばせる。

 カルヴァン鳥は吉兆の象徴とされているのだ。


「あれは遠征の成功を告げる印ですね!」

「お前、カイルスといったな。

 ──あれを落とせるか?」

「えっ……?」


 たった今、幸運をもたらす鳥を見上げていたカイルスは、ユトロの言葉を疑った。


「カルヴァン鳥ですよ? 吉兆の鳥を……?」

「一羽、銀貨四枚でどうだ。二羽落とせば十枚出そう」

「や、やりましょう!」


 上空を横切る群れを見て、カイルスは弓を構え、狙いどころを定める。

 その瞬間、ユトロは彼を片腕で軽々と抱え上げ、そのまま門の外へと駆けた。

 あまりの速さに、カイルスは声も出ない。



「……この辺でいいか?」

「とんでもない人だ……」


 平原に降ろされたカイルスは、鳥の群れがこちらへ向かってくるのを見て息を呑んだ。


 ユトロは跳んで掴み取ることもできたが、弓使いの腕を試してみたかった。


「では──カルヴァン鳥が絶えぬよう、雄を二羽、落としましょう」


 カイルスは矢を二本、同時に放った。


 美しい鳥が二羽、くるりと反転して落ちてくる。

 鮮やかな射だ。

 だが、静かに墜ちてゆくその光景を、カイルスは複雑な面持ちで見届けた。


「見事だ。二羽とも頭を射抜いておる」

「ユトロさん、目がいいんですね」


 ユトロは腰袋から金貨と銀貨を一枚ずつ出し、カイルスの手に握らせた。


「ギルド証のことだが……金の鎖に繋げて見せびらかすのはやめておけ。

 たちの悪い連中に目をつけられる」


 突然話が変わり、カイルスはきょとんとする。


「え……そういう意味だったんですか。

 これは、妻が昇級祝いに作ってくれたもので……

 確かに、ギルドで視線を感じていました」

「皆、お前に注意せねばと思っていたのだろう」


 昇級に浮かれていたカイルスは苦笑し、肩をすくめた。

 男爵家の三男坊である彼は、冒険者の中では少し浮いた存在で、小綺麗な身なりの青年だった。


「……あれ? ユトロさん、銀貨が一枚余分です」

「うむ。俺はこのあと用があるのだ。

 ──すまんが、王都へは入り直してくれ」


 そう言い残し、ユトロは鳥を拾って走り去った。

 一緒に宿へ戻るつもりでいたカイルスは、はっとして振り返る。


「……えぇっ?!」


 遥か遠く、王都の門が見える。

 自分がどれほど運ばれたのかを悟り、弓使いは愕然と立ち尽くした。



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