9話 洋服売り場の前で
二章スタートです。
今日は土曜日だ。俺は今日、家の近くにあるショッピングセンターに足を運んでいた。一人ではない、妹の琴葉もいる。俺がここにいるのは、親に頼まれたおつかいと琴葉の付き添いだ。
「お兄ちゃん、これどっちの方が似合う?」
琴葉は両手に似たようなスカートを持っていた。正直違いがわからないのだが、馬鹿正直にそれを言うと睨まれるので、俺は先に目に入った右の方を指差した。
「……右?」
「え、右はダサくない?いやまぁ、予算を考えるとこのくらいしか買えないんだけど」
ダサいと思っているなら聞くなよ。そう思いつつも、声に出さなかった。琴葉はまだどちらを買うのか迷っているようだ。早く帰りたい。俺は無言で念を送った。
「……お兄ちゃん、帰りたいと思っているでしょ」
さすが妹。心でも読んだかのような正確性だ。ただ素直に認めるのは、なんとなく癪だった。
「別に帰りたいとは思っていない。ただ、いい加減両手が痛い」
「あー……そういや持たせてたんだった」
悪びれた様子もなく、琴葉は俺の手に目を向ける。そこには、大量の買い物袋が垂れ下がっていた。
「お母さんも頼みすぎだよね。日用品がなくなったからって、こんなに一気に頼むことないじゃん。ショッピングセンターにお使いさせるし」
「そう思うなら少し持ってくれ」
「え、やだ。重いじゃん」
もはや文句を言う気力もなく、俺はその場を去ろうとした。琴葉が慌てて文句を言う。
「少し待ってよ。どっち買うか迷っているのに〜」
「……買わない選択肢はないのか?」
「ない!たとえ懐が寂しくても、余計なものだと分かっていても、ついつい買ってしまうのが人の性でしょ?」
「お前だけだよ」
えぇ、と琴葉は口を膨らませた。来年から高校生だというのに、子供っぽいのはどうにかならないものか。
そんなことを考えていると、ふと視界の片隅に見覚えのある美人がいた。屋上に入り浸る俺の友達、橘凛音だ。凛音もこういうところで買い物するんだな、と俺は感慨深くなった。
「………………いや待て凛音!?」
視線の片隅にいたのは間違いなく凛音だ。驚いて素っ頓狂な声をあげてしまった。
「ちょっ!お兄ちゃん!? 大きい声出したらお店に迷惑だよ!」
琴葉に咎められ、俺はなんとか冷静を保つ。
しかし、それでもなお俺の心臓は高鳴っていた。
「そこに誰かいるの? お兄ちゃんの知り合いでも……」
琴葉は凛音の方に視線を向けると、愕然と目を見開いた。辿々しく動かした口から吐息が漏れる。
「……お兄ちゃんの知り合いって女の人の方? 男の人じゃなくて?」
「男の人? 俺の位置からだと凛音しか見えないんだが……もしかして、凛音は誰かといるのか?」
「……挨拶してきたら?」
ふと琴葉はそんなことを言ってきた。質問したのは俺の方なのに、答える気がないような――答える余裕なんてなさそうな口ぶりだった。
「挨拶、挨拶か……でも凛音も別の人といるんだろ?なら、俺が今行くのも迷惑になるだろ」
嘘だった。そう思う心がないわけではないが、実際のところは、凛音が他の男といる事実を認めたくないだけだ。
琴葉はそんな俺を黙って見つめ、覚悟を決めたように深呼吸をした。
「な、なら、わたしが行ってくる!」
「は? いや、待てお前が行くのはおかしい――」
琴葉は手に持っていたスカートを元の場所に丁寧に戻すと、スタスタと早歩きして、凛音の方に向かう。もはや放置もできず、俺は琴葉のあとを、重い買い物袋を抱えながら追う。
「待て、俺も行く」
「……ありがと。正直、気まずい」
琴葉の声が潜んだ。気まずいからやめとけよ……と思ったが、引く様子はなかった。そんなやりとりをしていたら、凛音がこちらを見た。
「あれ? 太郎だ。お買い物中? 暇なの?」
「それはお互い様だろ。……その、なんだ。彼氏とデート中なのか?」
俺は凛音の隣の男に視線を送る。年齢は俺や凛音より五歳ほど上で、身長も高い。
そしてなんというか、裏組織の幹部を務めていそうな、法に触れる危険物を持ち歩いていそうな、そんな雰囲気の男だった。
普通に生きている中で近づかない類の存在。そんな人と凛音が一緒にいる意味を脳が考えるのを拒否している。
「彼氏?……あ、この人は兄さん」
その言葉に安心すると同時、困惑して首を傾げた。兄さん?――え、それって凛音の昼食を作っているあの人か? え、この見るからに怪しい人が、凛音の?
「……お兄さん、二人いるとか?」
「いや、兄さんは一人しかいないよ。ところで……」
凛音は、俺の後ろに隠れている琴葉に視線を向けた。
「そちらの子は、彼女さん?」
凛音の声音がやや低くなった。その声に身震いがして、俺は慌てて琴葉を紹介する。
「こいつは俺の妹だ。名前は――」
「――佐藤琴葉です。その、お姉さんはお兄ちゃんの友人ですか?」
俺の声を遮り、琴葉が恭しく頭を下げた。挨拶できるなら最初からそうしろ。気まずくなって俺の後ろに隠れていたのに、急に真面目になるな。
「妹……えっと、琴葉ちゃん? 初めまして、私は橘凛音。太郎の友達だよ」
「え、お兄ちゃん友達いたの!?」
驚いている琴葉には悪いが、一番驚いたのは俺だった。
「……え、俺たちって友達だったのか?」
「うん。太郎が言い出したんじゃん」
『私と太郎って友達なの?』
快晴のあの日の凛音の声が、まだ耳に残っていた。確かに改めて友達になろうとはしたが、あっさり認められるとは思っていなかった。
「……なんか、兄のラブでコメな気配を感じる。すごい、お兄ちゃんってこんなにキモいんだ」
「――奇遇だなぁ嬢ちゃん。俺も可愛い妹が、クソガキに狙われていて殺意が込み上げてきているなぁ」
聞き馴染みのない声がする。本能的に恐怖を感じる声だった。恐る恐る声の主を見ると、そこにいたのは苛立ちを隠さない凛音の兄。
「え、いやその……あ、キモいっていうのは言葉の綾で、いや、嘘でもなくて……!な、なんて言いますか、わたしはえっと……」
隣で琴葉が手をバタバタさせた。横目で見ると、顔が赤い気がする。我が妹ながら普段態度が悪いのに、ここまで動揺するか?……まさか、一目惚れじゃないだろうな?
「――わ、わたし佐藤琴葉です!そ、その……れ、連絡先!教えてください!」
場の時が止まった気がした。俺は思わず正気を問う。
「えちょ、琴葉!?急に何を言い出すんだ!?」
「に、兄さん……未成年に手を出すのは犯罪……」
「すげぇな。心当たりがなさすぎて逆に何も言えねぇ」
凛音の兄は、少し考える仕草をし、少しだけ優しい口調で琴葉を見た。
「嬢ちゃんが誰かは知らねぇが……ま、面倒ごとに巻き込まれるのはごめんだ。さっさと諦めるんだな」
彼は凛音に目で合図を送った。彼女は視線を彷徨わせ、小さく、ごめん、そう呟いた。
「そ、そういえば太郎に勉強を教えてもらう約束だった。おすすめの参考書教えてよ。あ、兄さんまたあとで連絡する。――よし、太郎。行こ?」
「え、あちょ凛音!?」
俺は凛音に手を引かれ、早歩きと走りの間くらいの速度で動いた。凛音の意図はわかる。わかるが、強引さに開いた口が塞がらなかった。それに凛音には悪いが、妹が怪しい男と関わるのは、兄として避けたい。
……まさか、それを考慮しての「ごめん」なのか?
俺はため息をついた。この決断が悪い方につながらなければいいのだが。




