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雨上がりに君と出会えたのなら  作者: あまの
第一章 雨上がりの出会い
8/22

8話 晴れの日

 昼休み、屋上に行くと俺は幸せな気分になれた。雨の日や学校行事の日は、凛音に会えないから、天気にも関心を持つようになった。


 雨が降っていなければ、凛音は屋上にいる。

 

 国語教師の長ったるい説明を耳半分に聞きながら、俺は教室の窓から天気を伺った。今日は雲の量がやや多い。雲量が八割未満なら晴れらしいが、今日の天気はどちらとも言い難い、絶妙な様子だった。

 

 どちらにせよ雨ではないから、凛音は屋上にいるのだろう。きっと凛音は待ちきれないようにお弁当を眺めながら、俺を待っていてくれるんだ。

 ――そんなふうに考えられる人間なら、俺にも何人かは友達がいただろう。


 四限の終わりを告げるチャイムが鳴った。昼休み開始の合図だ。俺はさも当然のことのように足を動かし、屋上に続く階段の前まで移動した。


 凛音に謝りたい。けれど、今だけは彼女と話していたくない。自分が悪いとわかっていても、気分は良くない。

 

 四限が終わって廊下に生徒が出始め、徐々に人が増えてきた。うだうだと階段の前で考えられる余裕はなさそうだ。同級生に会わないためにも、一階分だけ登った。


 二階にも何人かいたので、さらに上へと足を運んだ。


 嫌いな先生が、人気者の生徒会長が、顔も知らない女子のグループが――会いたくもない人たちが多くいたので、その度に俺は階段を登った。


 気づけば、屋上の扉の前に俺はいた。


 心臓の音がうるさい。ドアノブに手を掛けたのは良いが、捻る勇気はなかった。


 怯える心がドアノブから手を離し、階段の方に視線を送らせた。逃げてしまいたい。俺は選択を間違えたんだ。何の役にも立たない愚図だ。


 何度も何度も、心の中で自分を呪った。

 

 ふと、初めて屋上に行った時もこんな理由だったと思い出した。

 

 あの日の俺は、精神的に限界に近かった。ただ人目がつかない場所に行きたくて、衝動的に屋上のドアノブを捻った。

 そこで、凛音に出会った。


『誰か知らないけど、屋上に来るなんて暇なの?』頬張ったおにぎりを飲み込み、初めて出会った凛音は俺を睨んだ。

 

『……あ、す、すいません……人に会いたくなくて、あの、ここにいてもいいですか……?』

 

『……好きにすれば?』

 

 第一印象は、無愛想な美人。思い返せば、あれは口いっぱいにおにぎりを頬張っていたところを見られ、照れて冷たく当たってしまったのだろう。

 

『また来たんだね。そうだ、君の名前教えて。私は橘凛音だよ』

 

 お決まりの挨拶ができ始めた頃、凛音に名前を聞かれた。俺は躊躇いがちに答えた。

 

『佐藤太郎。変な名前だろ』

 

 俺がいじめられる原因となった名前。誰かが俺に言った、『適当な名前なんだね』という言葉が頭から離れなかった。

 

 どうせ、凛音にも笑われるだけだと思っていた。しかし、彼女は笑わなかった。『じゃあ太郎って呼ぶ』と、あまりにあっさり、そう薄く微笑んだだけだった。


 俺は、この日初めてくだらない劣等感を忘れられた。この名前を揶揄う人が多かったし、そうでなくとも大多数の人は、「珍しい」と反応する。俺はそれがすごく嫌いだった。


 だって、俺の名前には親の愛情は込められていない。

 

『男の子じゃなくて、女の子が欲しかったのよ。名前? そんなの適当に決まっているでしょ』と、妹の琴葉に話していたあの光景が脳裏に焼きついている。


 変わった名前や、ありふれた名前。意味と愛情が込められているなら、それだけで羨ましい。他の家の「太郎」にも、きっと親の愛情が込められている。しかし俺は……


『私は、呼びやすいから太郎って名前好きだけど、太郎は自分の名前好き?』


 凛音の問いが、いつもの笑顔が、気の抜けてしまうマイペースな性格が、俺の救いだった。


 友達だって思っていた。少なくとも、『私と太郎って友達なの?』と凛音に言われるまでは、ずっと思っていた。


 いや、違う。もし今まで友達ではなかったのなら――


「……今、友達ではないなら、今日から友達になればいい」


 そのためには、まず謝らなくてはならない。そして、全てを打ち明けよう。俺は深く呼吸をして、ドアノブを捻った。


 だが、重いドアを半開きにしたとき、俺の意気込みは崩れ去る。中から、凛音の話し声が聞こえた。

 

 凛音以外の姿は見えないため、誰かと電話でもしているのだろう。出鼻を挫かれ、俺は立ち尽くす。そんな俺に、凛音の張り上げた声が、はっきりと耳に届いた。

 

「だから、仲直りの仕方を教えてって言ってんじゃん。なんでそんなに笑ってんの?」

 

 気づけば、俺は迷うことなくドアを開け放っていた。驚いたような凛音と視線がぶつかる。先に口を開かないといけないのは俺だ。凛音に聞こえるよう、できるだけ声を張り上げて言う。

 

「凛音、俺が悪かった」

 

 凛音は目を丸くし、手を振って慌てて見せた。凛音はそれにより、スマホを落としそうになる。驚きと困惑に視線を彷徨わせる姿に、俺はタイミングの悪さを反省した。驚かすつもりはなかった。


 だが最低なことに、ちゃんと謝れて、逃げなくて良かったと思う。


 凛音は何かを言おうと口を開くが、スマホの先から音が聞こえた。そういえば電話中だった。凛音は一瞬だけ俺とスマホを交互に見ると、結果的に俺の方に手を差し出して、スマホを耳元に当てた。待ってくれということだろうか。

 

「に、兄さん一旦切るね……うん、そう。また後で」


 凛音はスマホを乱暴にポケットに突っ込んだ。そして、わざとらしく口を尖らせて、俺に視線を向けた。

 

「別に、怒ってない。……だから、また屋上に来て欲しい。一人だとご飯美味しくないし」


 凛音の足元には、袋に入ったパンがそっと置いてあった。俺を待っていてくれていたのか、そう思うと凛音の優しさに目元が熱くなった。

 

「……良かった……嫌われたかと思った」

 

「――太郎のことは嫌いにならない。……友達だもん」

 

 最後の付け足したような声は、俺の耳に届かなかった。しかし、聞こえてきた部分だけでも、十分俺の心を救ってくれた。

 

 俺は腹を括った。凛音にはちゃんと話そう。

 ――凛音を、他の誰かのように扱うのは凛音に失礼だ。

 

「俺の名前なんだけど、両親が適当に決めた名前なんだ。ほら、キラキラネームの人でさえ、親の気持ちが入っているだろ? 俺はそれさえないから、何となく劣等感があって……八つ当たりして本当にごめん」

 

 一息で言ったから、心臓がうるさい。肺の空気を一気に吐き出したせいだ。

 

 反省と後悔に内心悶えていると、凛音は俺から目を逸らした。空を見ながら、俺に言葉をくれた。

 

「……生みの親の気持ちなんて、私にはわからない。それに意味がないなら、自分で作っちゃえばいいと思う。少なくとも、私はその名前が好きだよ。太郎」

 

 凛音も一息で言ったが、その言葉はちゃんと届いた。

 

 ――少なくとも、私はその名前が好き。

 まるで全てを肯定されたかのような気がして、俺は凛音に感謝を伝えようとした。


 俺の視線の先にいる凛音。彼女の流れるような長髪が、大きな瞳が、優しい笑顔が――いつもより、太陽の光に反射して美しく見えた。

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