21話 優等生な少女
「国語大っ嫌い。登場人物の気持ちってなに? 問題作成者の匙加減で変わるじゃん……もうやだ……」
「わかりますわぁ……なぜ、日本人は漢字を使うことにしたんですの? まず問題文が読めませんわぁ……」
凛音と南谷さんは頭を抱え、呻き声を漏らした。
現在の時刻は十六時頃。俺たちは、凛音の住むアパート――正確には凛音の兄、樫崎さんの自宅で勉強会を開始していた。
開始してまだ三十分もかかっていない。それなのに、凛音たちは限界を迎えていた。
「南谷さんは帰国子女だからまだわかるが……凛音……」
「やめて。私のヤバさは私が一番わかっているから」
凛音は机に広がる国語の教科書をしまった。「うん。国語が悪いと思うんだ」と、英語の教科書を開いたが、それもすぐに「日本人だからわからないのは仕方がないよね」と言って閉じた。
日本人なら国語をどうにかしろよと思うが、他の教科もさほど変わりはないので、俺は見て見ぬふりをした。
「凛音さん。わたくしも日本人ですが英語はできますわよ? むしろ、国語がわかりませんわ……」
「私も英会話ならできる。リスニングとかは得意だし。でも文字にした瞬間、なんかキモいなって拒否反応が……」
「日本語よりはマシでしてよ」
「なあ、会話はいいからとりあえず勉強しよう。期末テスト来週だぞ?」
二人は「ひぃぃ」と涙ながらにペンを握り、またすぐに悲鳴を上げた。俺は二人を横目に、悶々と英語の勉強をしていた。俺のノートを覗き込んだ凛音が言う。
「あれ、太郎って英語苦手じゃなかったっけ? 普通にスラスラ解けているじゃん」
「定期テストは教科書がまんま出るからな。教科書を暗記してしまえば、ある程度の点数は取れる」
南谷さんが驚いたように口を挟む。
「ある程度って、前回のテストは何点でしたの?」
「八十八点。これだけやっても英語が一番低いんだよな」
勉強時間と点数は比例しない。一番時間をかけているのに、英語は常に点数が低かった。
ため息をついた俺を見た二人は、ギリギリ俺に聞こえない声量で話を始める。
「前回のテスト、平均点いくらでしたの?」
「たしかプリントに……待って。前回の英語のテスト、平均四十点なんだけど。え、もしかして私たち喧嘩売られている?」
「ありえますわね。というより、英語が一番低いなら、他の教科は何点だったのでしょうか?」
「ねぇ太郎。前回のテスト、他の教科は何点だったの?」
凛音の声がいつもより低く聞こえた。彼女たちの笑顔の圧にたじろぎながら、俺は記憶を辿る。
「たしか低い順に、英語が八十八点、国語が九十点、理科と社会が九十五点、数学が九十八点だったな」
英語以外は満点もありえた。馬鹿なケアレスミスで失点をし、勉強不足を親に叱られた。だから今回のテストは、一教科だけでも満点を取りたい。
「佐藤さん。わたくしはそれを煽りと認識しますわよ」
「もう二度と勉強ができないだなんて言わないでほしい」
だが俺の後悔を聞く二人の視線は険しい。
――煽ったつもりもないし、勉強ができるとも思ってないんだけどな。だって、妹の琴葉に比べたら――
「……とにかく勉強しよう。そういやもう十六時だけど、二人は門限とかあるのか?」
劣等感から目を背け、俺は言った。
「露骨に話を逸らしましたね。……そうですわね。わたくしは迎えを呼べるので門限は特に……あ、ですが今日は用事がありますので、わたくしはこれでお暇させていただきますわ」
南谷さんは私物をまとめて立ち上がり、「お邪魔しましたわ」とそのまま部屋から出ようとした。
その姿を見て、俺は内心祈りを捧げていた。
――頼む。行かないでくれ。さすがに一人で女子の部屋に居座るのは気まずい。
というより、樫崎さんに見られた時が怖い。用事があるのはわかる。――でも、もう少しここにいてくれー!
そんな祈りが届いたのか、南谷さんは振り向いてくれた。
「そういえば忘れるところでしたわ。連絡先を教えてくださいまし。それと、明日こそ授業に出なさい」
「え、やだ……あ、でも連絡先はいいよ。じゃあ、また明日」
「……また明日ですわ」
そんな短いやり取りのあと、南谷さんはもう振り返ることなく帰宅してしまった。
俺だけ連絡先を聞かれなかった悲しみと、部屋に残された気まずさと、ここにいない樫崎さんの殺意をどこからか感じ、耐えきれずに俺も帰ることにした。
「俺も今日は帰る」
「え、帰っちゃうの? このままだと赤点と追試が確定している私を放置して?」
やめてくれ。そんなことを言われたら帰りにくいじゃないか。
「ほら、男女が二人きりでいるのはよくないだろ?」
「屋上でも二人きりだったよ?……あ、待って電話。兄さんからかな……?」
凛音は廊下に出て行く。完璧に帰るタイミングを失った。いないはずの樫崎さんの殺意を感じて、俺はとにかく勉強に励んだ。――ならせめて、この時間を有効に使おう。
<視点変更 南谷美咲>
凛音の家での勉強会から車で約三十分。南谷美咲とある家に向かった。
車から降りると、夏が近いのだと嫌でも意識させられた。普段、車で通学している美咲がこう思うなら、徒歩で登下校している他の生徒はもっと夏を感じているだろう。
そんなことを考えていた美咲の耳に、つんざくような怒号が聞こえた。
「……けるな! 俺を…………って……」
男の怒鳴り声だ。全ては聞き取れないが、恐らくは彼女の父親だろう。彼女の兄の可能性もあるが、声の荒さが、その可能性を打ち消していた。
美咲は、玄関チャイムを鳴らした。
すぐに家の怒鳴り声は聞こえなくなり、その数十秒後にようやく玄関のドアが開いた。
「……何でここがわかったのかしら」
「わたくし独自の情報網がありますの。先週、学校で出会ったきりですわね。久しぶりとでも言うべきですの?」
美咲は手にかけた袋を彼女に差し出しながら言う。
「会社が経営不振とは聞いていましたが、ずいぶんと酷い有様ですわね。――東野友里」
彼女――東野友里は、額に汗をかきながら、長袖の上着を羽織り、渡された袋を黙って見つめた。




