19話 冤罪の少女
「何もない屋上に来るなんて、暇なの?」
「凛音にだけは言われたくないな……じゃなくて、その人は?」
昼休み、屋上にて。お決まりの挨拶が場に飛び交う。
そこにいたのは、数学の教科書を広げた凛音。そして、隣にいるのが――
「あら、橘さんのお友達ですか? 初めまして。わたくし、南谷美咲ですわ」
いかにも、お嬢様といった風体の少女だった。金色の豊かな髪を縦に巻き、宝石のように輝く瞳を持っている。華のある容姿のせいか、制服を着ているのが逆に違和感を覚える。
「……えっと……佐藤太郎です……」
俺はなんとか言葉を繋いだ。俺の安心できる唯一の場所に、緊迫感が漂っている。
「私の友達だよ」
凛音はペンを握り、眉を盛大に顰めた。
「この問題何言っているかわからない。教えて」
凛音には、初対面の俺たちを気にかける様子はない。その天然さが今だけは憎かった。
「いや、気を遣われる方がしんどい……よな?」
無理やり自分を納得させるが、その思いは凛音には届かない。
「ねぇ、教えてってば。期末試験、来週からなのに何もわからない」
「何もって……何が一番やばいんだ?」
「どれもやばいけど、強いて言うなら国語。登場人物の気持ちとかわかるわけがない」
俺はため息をついた。呆れたわけではなく、国語を教えることの難易度に嫌気が刺した。文法ならともかく、文章題となると何を教えたら良いのかわからない。
「待ってくださいまし」
俺が考え込んでいると、無言を貫いていた南谷さんが青ざめた顔で口を開いた。
「……期末試験、来週って本当ですの?」
「そうだよ」
凛音はあっさりと肯定。南谷さんはそっと凛音の教科書を覗き込み、冷や汗を浮かべながら言う。
「何を言っているのか、全くわかりませんわ。これ、本当にテスト範囲ですの? 何かの冗談ではなくて?」
「うん。これ全部テスト範囲」
南谷さんは固まってしまった。やがて、深く酸素を吸い込んで、額に手をやって口を開いた。
「――この世の終わりですわ! 何も勉強していませんのよ!?」
その様子に、俺は思わず口を挟んでしまう。「……いや、まだ一週間ありますし……なんとかなるのでは?」
「わたくし転入生ですのよ!? それも、アメリカから! こっちと向こうじゃ範囲が全く違うんですのよ!?」
怒鳴られた。常人でも怖いのに、美人の怒った顔となるとなおさらだ。俺はサッと目を逸らした。
「あれ、転入生だったの?」
「え、もしかして把握していませんでしたの? わたくしたち、同じクラスですのに」
凛音は首を傾げた。屋上に引きこもっている凛音が知らないのも無理はない。だがそこで、ふと疑問を抱く。
「二人はいつ知り合ったんですか?」
二人はほとんど同時に答えた。
「今朝ですわ。追いかけ回されて怖かったですの」
「朝だよ。なんか知らないけど、逃げ回っていた」
俺は口を閉ざした。二人の主張をまとめると、南谷さんが凛音に追われていると勘違いしたのだろうか。言葉足らずな凛音のことだ。どちらに非があるのか、俺には判断がつかなかった。
「つまり、朝知り合ってそのまま仲良くなったんですか?」
「ううん。仲良くない。この人、私の机に落書きした犯人らしいし」
「――落書き?」
文字通りに捉えるとしても、穏やかではない。俺は南谷さんを一瞥した。南谷さんは、俺の視線に口を膨らませた。
「何度も謝ったでしょう。……騙されたんですのよ。綺羅と麗華様に、日本だと親しくなりたい人に机にメッセージを書くと言われたんですの。……それが犯罪だなんて、知らなかったんですのよ」
南谷さんは口を尖らせた。悪気があったわけではない――まるでそう言いたげに。
だが彼女には悪いが、俺は後半の内容のほとんどを聞いていなかった。
今、彼女は『綺羅と麗華様』と言ったのか?
西田と前原が、凛音をターゲットにした?
そういえば、今日は西田と前原にいじめられることはなかった。東野が休みだからだと思っていたが、凛音にターゲットを移したからだったのかもしれない。
「……なら何で凛音を狙ったんだ?」
口にしながらも、理由なんてわかりきっていた。
土曜のショッピングセンター。これはあの日の報復だ。
俺は汗が止まらなかった。蝉の声が聞こえ出した夏の暑さのせいだと思いたい。
俺があの日、凛音と一緒にいたからこんなことになった。
俺のせいで、凛音が傷つくのだけは耐えられなかった。
そんな俺の思いとは裏腹に、凛音は特段変わった様子もなく、南谷さんに声をかけていた。
「何度も謝られて逆に面倒くさかったけどね。挙げ句の果てには、損害賠償するとまで言い出すもん」
「当然の報いですわ。悪いことをしたのなら、誠心誠意謝らなくてはいけません。そして、正当な罰を受ける。当然の話でしょう?」
――謝罪をして、罰を受ける。
南谷さんの言葉が胸を揺さぶった。正体の掴めない違和感に、ただ首を傾げる。まるで何かが引っ掛かっているかのように。
「……凛音は、南谷さんを許したのか?」
気づけばそんなことを聞いていた。
聞いといてだが、どんな回答を求めているのかは、俺にもわからなかった。
ふと目を向けると、南谷さんは唇を硬く結んでいた。まるで、目を細めた凛音の次の答えに怯えるように。
落ち着かせるように深呼吸して――凛音は、それでも抑えきれない怒りを露わにしながら言った。
「……私、もう何度も気にしていないって言ったんだけど。逆に嫌がらせでしょ。目が合う度に謝るとか」
「だって、本当に申し訳ないんですもの……」
「まぁ確かに。キモいとか、ブスとかは心にきたけど。言われ慣れてるけどさ、気分は悪いよね」
南谷さんをまともな人だと認識しかけていた分、その発言は眉唾だった。――そして、許してはならないものでもあった。
「――そんなことを書いたのか?」
自分でも驚くほど低い声音で、南谷さんに視線を向ける。彼女は萎縮したように、目を逸らす。けれど、彼女は不思議そうに眉を顰め、「……何の話ですの?」と困惑した様子で前を向き直した。
「本当に何の話ですの?」
沈黙に耐えきれず、南谷さんは不安げにもう一度尋ねた。それは、とぼけているわけではなく、本当に心当たりがない人の反応だった。
「だから、私の机の落書き。……あ、証拠もあるよ」
凛音はスマホを操作し、俺と南谷さんに画面を見せつけた。たしかにそこには、容姿や性格を否定する言葉が机を埋め尽くしていた。
「……何だよこれ」
その惨状はまるで、普段の俺の机のようだった。まさか本当に、いじめのターゲットが凛音に移ってしまったのか?
「……知りませんわ。わたくしが記入したのは、そこの右端のメッセージだけですわ。それに、わたくしが記入した時には、こんなメッセージなかったですわ」
南谷さんの言う通り、字の癖からして書いた人が複数人いるのは明白だった。
俺は写真を見直す。南谷さんが書いたというのは、ここのお嬢様口調の字だけか?
「あれ、そうだっけ。今朝、私の机を見ていなかった?」
「わたくしは、あなたの机の上にあった奇妙な人形しか見ていませんでしたわ。あまりに変でしたので、それ以外には目がいかなかったんですのよ」
俺には内容はよくわからなかったが、ふたりの間に誤解があるのは伝わった。
俺は凛音のスマホを凝視した。何度も嫌がらせを受けているから、俺にはわかってしまった。
――それは、西田と前原の字だった。




