17話 誰よりも可愛い笑顔で
<視点変更 佐藤太郎>
西田と東野から距離をとり、俺たちは樫崎さんの車の前まで移動していた。琴葉と樫崎さんを待っている間、凛音はおもむろに聞いてきた。
「あの人たちって友達?」
冷たい声音からは、静かな怒りが伝わってくる。
「いや……あいつらは、あまり仲良くない。ただのクラスメイトだ」
「そっか。ならいいや」
凛音はそれだけ言い、それ以上は彼女たちについて言及をしなかった。俺も彼女たちについては話したくはなかったし、凛音に話させたくもなかったので、何も言えない時間が続いた。
「……ねぇ、琴葉ちゃんと連絡つく? 兄さんにはさっきからメッセージ送っているんだけど、全く返信が来ない」
「いや、既読さえつかないな。スマホ見てないのか?」
「なら、もう少し待って……それでも連絡なかったら探しに行こう」
俺は黙って頷いた。凛音を見ると、彼女は手に握ったハンカチを大事そうに眺めていた。淡い桃色の、少しくたびれたハンカチ。
凛音が何も言わないのなら、聞くべきではないのかもしれない。それは優しさだとわかっているが、疑問を抱えたままあやふやにしておくのもどうなのか。
逡巡の末、俺は覚悟を決めた。
「そのハンカチ、大切なもの……なのは見てたらわかるが……誰からもらったんだ?」
「――――――」
凛音はハッと目を見開き、視線を逸らした。聞くべきじゃなかったのかもしれない。言葉を撤回しようとしたが、凛音は黙るだけ。
やがて、凛音はふっと息を吐き、手先を動かしながら言う。
「先に言っておくと、私にとってはもう終わった話。だから、絶対に同情はしないで。変に気を遣われるのが一番しんどいから」
腑に落ちない言い方だが、俺は「わかった」とだけ答えた。凛音は少しだけ安心したように俺を見つめた。
「私さ、今の父親と血の繋がりはないんだよね。私の生みの両親は交通事故で亡くなって」
――変に同情しないで。
先に釘を刺されてなければ、俺は慰めようと必死になっていたと思う。
同情するのがダメなら、俺にできるのは最後まで聞くことだけだった。
「それ自体はまぁ……わりとどうでもよくて。ちょっと複雑な家柄でね。なんていうか……顔も知らない親戚が亡くなったときみたいな感覚? 繋がりは確かにあるんだけど、実感はできない。そんな感じだった」
誰かにとって大切な人でも、自分にとっては他人。それは関わりがなければ、仕方のない話だと思う。
でもそれが実の両親となると、俺には想像ができない。
凛音は淡々と言葉を続ける。
「なんか、私の生みの親は膨大な遺産を持っていたらしいよ。それなのに『凛音には一円も相続しない』って、遺書に書かれててさ。だからまぁ……親戚の間でたらい回しになって」
凛音の親戚の気持ちがわからないわけでもない。一円も持たない他人の子を、引き取る余裕はない。金銭的な意味でも、精神的な意味でも。そう考えるのはわかる。
それでも――そんな事情のせいで、凛音は大人たちの苦い顔を見続けることになったのだろう。彼女は一体どれだけ傷ついたのか。
何も知らない俺には、それを語る権利はなかった。
「なんかしんどいなーって思ってた頃に……あ、話が逸れたね。えっと……たしか、ハンカチの話だったね。これは誕生日に、妹がくれたんだ」
「――凛音にも妹がいるのか?」
「うん。多分もう会えないけど。……あの子は遺産全部もらったから、親戚に人気で……どこに引き取られたんだろうね」
言っている内容の食い違いに、理解が追いつかなかった。凛音は一円も貰えなかったのに、凛音の妹は遺産の全てを――?
当然、俺の知らない事情があったのだろう。それでもあまりに不公平に思えてしまう。
そこで気がつく。凛音は、自身に関わることをまるで他人事のように話している。表情に出づらいだけで、普段の凛音は感情豊かだ。辛すぎて、苦しすぎて――もしくは、自分とは無関係と切り離して考えるようになったのではないか?
そんな浅い考察を見透かすように、凛音は強くハンカチを握りしめて言う。
「私さ、生みの親のことはどうでもいいって思っているんだけど、妹は大切なんだ。
このハンカチも、もらったときは綺麗だったんだよ。大切にするなら、使わないほうが良かったんだろうね。
でも、あの日からあまりに時間が経ったから、もし妹に偶然出会っても気づけないかもしれないじゃん。
でもずっと持っていれば、このハンカチを目印に……妹が気づいてくれるかもしれない。私はそう思うんだ」
踏まれ、糸もほつれているそのハンカチを、大事そうに胸に抱えた。その姿に、俺は胸を締め付ける。
「――俺は、凛音の味方だ」
気づけば、俺はそんなことを口走っていた。キョトンとした様子の凛音に、俺は燃え上がる感情に動かされるまま言葉を続ける。
「だから俺にも、妹さんを探すのを手伝わせてほしい」
凛音は目を見開いた。パチパチと瞬いたあと、「なにそれ」って小さく笑った。でも、言葉を取り繕うなんてことはしなかった。
それはきっと、俺の知らないところで何度も何度も傷ついた凛音に、少しでも幸せだと思ってほしい――そう、願っているからだ。
「……なら、お願いしようかな」凛音は意地悪そうに口角を上げた。
「私の妹の名前、鈴音って言うんだ。今の苗字はわからないんだけど、名前は鈴音。もし見つけたら……うーん、どうしよ。とりあえず元気か聞いてあげて」
「顔もわからないのに?」
「うん、なんか雰囲気で見つけて」
「無理難題すぎだろ。なんだ、一目見てわかるほど、顔が似ているのか?」
「いや、かけらも似ていない。顔のパーツの全てがまるで他人。そうだね。逆にわかったら、うわぁってなるかも」
「とんだ理不尽だ!」
凛音はくすくす笑った。そういえば、こんな笑い方をするやつだった。特に俺を揶揄う時とかに、堪えきれなくなったかのように笑うんだ。
「はぁ、本当に凛音は……」
気づけば、俺も自然に笑みを浮かべていた。東野に気づかれてから……いや、樫崎さんと出会ったころから生まれた緊張感が、たしかに緩んでいく。
その時、凛音と俺のスマホがほとんど同時に鳴った。確認すると、琴葉から『ちょっといろいろあって連絡遅れた汗汗 今から向かう!( ̄^ ̄)ゞ』とのメッセージ。
「琴葉はもうすぐ来るって」
「私も兄さんから来た。迷惑かけちゃったな。……あ、そうだみんなにお礼言わないと」
凛音は、俺の服の袖をちょんとつまんで引いた。その仕草に、思わず息を呑む。けれども、凛音には微塵も気にした様子がない。
「ハンカチを探してくれてありがとう!
あ、それとその時、私を庇ってくれてたこと、話を聞いてくれたこと、いつもお昼を一緒に食べてくれていること、勉強教えてくれていること、友達になってくれたこと――全部、ありがとう!」
凛音は、屋上で見せる時よりも遥かに、優しく笑って見せた。
「……あれ、どうかした?」
「い、いや……なんでも……むしろ、俺の方がいつも……」
なぜだか、凛音の顔を直視できない。心臓がバクバク鳴ってうるさい。
いつもは気にならないはずのことが、気になって仕方がない。チラリと視線を向けると、凛音は首を傾げている。その仕草が、普段よりも可愛い。
『お兄ちゃんってさ、好きな人とかいないのー? 暇だし、恋バナでもしてよ』
琴葉の言葉が、脳裏によぎった。あの時、あいつはなんて言っていた? たしか――『特定の人を見ると、可愛く見えたり、苦しいくらいドキドキしたり! そういうのないのー?』
俺は、もう一度凛音を見た。
「さっきからキョロキョロしてどうしたの?」
やっぱり可愛い。そして、心臓が高鳴って苦しい。
今まで、経験がなかったからピンとこないが、もしかして俺は――凛音のことが好きなのか?




