16話 星空のやり直し
約束当日。真歩は今までにないぐらいには浮かれていた。昼前の集合だというのに、会社に行く時間と違わない、早めの時間に目覚めてしまった。しかし、時間を持て余すかと思えばそうでもなく、朝食を作る手が不意に止まったり、アウターとパンツを合わせるだけで部屋を散らかしたりと、散々時間がかかった。身支度を終え、時計へ振り返ればそろそろ出発しないとまずい時間。一瞬縮み上がった心臓も、平常心を意識して無理やり落ち着ける。遅れている訳ではない、予定が遠ざかることもない。真歩にとって不都合はまだ何ひとつ起きていない。霧島に会える興奮と焦りは、嫌なぐらい身動きに滲み出てしまい、スニーカーに足を通すだけでインソールが引っかかる。『一旦落ち着いて』と言われているのではないかと苦笑した。
ふと、玄関に置いてある姿見に自身が写って動きを止めた。室内施設に行くからと、両の手が空くボディバッグを引っ掛け、脱ぎ着しやすい上着の下は少しラフにしてみた。鏡は、期待で浮かれている子供の様な真歩を写すばかりで、幼い印象を持たせる自分の顔が少し嫌になった。
「どうしたら、霧島みたいに余裕ある顔なれるかなぁ……」
記憶の中の霧島の顔を思い出す。いつだって余裕に笑い、たまにおどける様に〝態と子供の様なあざけた言葉を使う〟。どうやったっておれがやるとカッコつかなくなってしまう。それならばと、真歩から見てカッコよく写った霧島の真似をすれば良いのでは。頭の中の霧島は、どんな声で、どんな顔で真歩を見ていただろうか。
『諦めるにはまだ早ぇんじゃねぇか?』
『心配しなくても、その2人はちゃんと幸せになれたよ』
記憶の中の霧島は、甘ったるい顔をして、溶かす様に、淡い色をして静かに微笑んでいる。――再会した時も、恋を自覚させた時も。いつだって霧島は、おれの事を真っ直ぐ見て優しく笑っていた、気がする……?
弾き出された答えに一気に頬が熱くなるのがわかった。……こんな顔を惜しげもなく向けられていた、なんて。本人も無自覚に行なっているであろう慈愛に、言葉をなくした。自宅だから誰も見ていないのを知っているが、顔を隠してしまいたい。
嗚呼、これからその熱源と会わなくてはいけない。億劫と楽しみが混じり合って、吐いてしまいそうだ。泣けるなら泣いてしまいたいが、時間は刻一刻と迫っている。ひっくり返りそうになる動悸を叱咤して玄関を開ければ、街には雲ひとつない冬晴れが広がっていた。真歩の赤面を正しく写し出すのにお誂え向きな綺麗な青空だった。
「(晴れがこんなに憎らしいのは、初めてだな……)」
でもどうしてだろうか。真歩の心は青空よりも、霧島と見られる星々のことばかりを考えている。灯が鳴りを潜めた、真っ青なスクリーンをひとつ睨んで、玄関を施錠した。アパートの階段を踏みしめる様、ゆっくりと降りる自分はさながら、敵地へ攻め入る傭兵のようだった。
「(霧島にバレないといいなぁ)」
真歩の休みに合わせてもらった休日だからか、各駅停車しか停まらない駅でも人通りは多い。月に2、3回程度霧島と何処かへ出かけているが、こうも人が多いとすぐに合流ができなくて困る。かと言って、平日の度に有給が取れるほど真歩の職場環境が良いとは言えず、休日を必死の思いで謳歌する訳だ。
霧島から指定されている改札出口は、家族連れやカップル、待ち合わせの人々で溢れかえっている。縦横無尽に交差していく人の波に視線を取られて、大本命の霧島がなかなか見つからない。改札を間違えたか、と不安になりLMINを呼び出すが、矢張り出口は合っている。物陰の多い駅だから、どこかの裏側にいるのだろうか……。霧島へ連絡を入れようと、スマホを指でなぞる。
「着いたよ。今どこ?」
ぽん、と軽い音を立てて送られたメッセージに、霧島からの既読はすぐに着いた。霧島もスマホを開いて待っててくれたようだ。たったそんだけの偶然が嬉しくて、早く会いたいと気がせってしまう。霧島からの返信見たさに、どこか立ち止まれる所をフラフラと探していれば……。
「――ッ!?」
突然、足元の死角から飛び出してくる子供に、ぶつかりそうになり歩調を乱す。なんとか当たらず済んだが、人通りの多い道で隣を歩いている誰かにぶつかりそうになった。
「――っあぶ……!」
グッと、逆張りした重力に体を支えられる。知ってる掌の温度が、性急に真歩の腕を掴んでくれたようだ。感じたことある温度なのに、知らない衝動に瞠目しながら後ろを振り向けば、聞き慣れた低い声が真歩のすぐ頭上で聞こえた。
「っぶねぇ〜」
「……霧、島?」
焦っていた真歩とは反比例するほど、爽やかな表情をさせている霧島が後ろにはいた。
「やっほ〜」
転びそうになったピンチを救ってくれた、という補正ありきでも悔しくなるぐらいかっこいい表情をした霧島に面食らってしまった。当の本人は何を気にする素振りも無く、ただ真歩と合流しただけでしかないようだ。
急な接触に、移動中必死に押し込めた羞恥心が顔を出し、会えたことの嬉しさ以上に、助けてくれた、探し出してくれた事が途轍もなく嬉しい。合流前に練習していた〝再開する時のなんでもない表情〟作戦は見事に打ち砕かれて、どうしようもない焦りと、未だ離されない手の温度だけが真歩の体を支配した。
「大丈夫?怪我してね?」
「ぅ……、うん。平気」
雑踏の中、転倒しそうになった事よりも、未だ霧島に腕が掴まれている事が気になって仕方ない。話し声も、駅のアナウンスも、段々と遠くの方に感じられて心臓の音がはっきりと聞こえる。
――うるさい、うるさい。たかがこんだけの事で荒ぶるな。霧島なんて、なんとも思ってないじゃないか。忘れてた思春期を遅れて手に入れたみたいで、心臓が破れそうになる、たったこれっぽっちの出来事に恥じらうなんて……。折角、霧島と会えた午後なのに、顔が見られなくて少し寂しい。
素直に、助けてくれて嬉しかったと言えれば、この胸の痛みも無かったことに出来るのだろうか。しかし、手に入れた恋心はまだ青くて、到底霧島に告げることは出来ない。友人として感謝を述べる以外に真歩は選ぶ事ができず、笑顔をそっと貼り付ける。繋がっていた熱は、真歩の哀しげな笑顔を見ると、元の形へと音も立てずに戻っていった。
駅を出てプラネタリウムへ向かう足は、痛みが酷かった。霧島は大人だ。真歩の荒れた内側を知ってか知らずか、腕を離して友人である事に徹してくれていた。果たしてそれが、真歩を傷付けも救いもしていることは彼は気づいていたのだろうか。
真歩は無理をして話題をたくさん振った。さっきまでの空気が早く過去になればいいと思って。しかし真歩の最近といえば、変わらず社会の歯車になること以外はなく、事無かれに過ごしていた日々を脚色して話すことはとても難しい。霧島だったらそんな当たり前の時を、本に載せるように美しく語れるのだろうか。霧島の内側が気になって仕方なかった。真歩の語った日常がどう映ったのか。そして真歩の蟠りを暴いてしまうのか――。
「そういえば……」
ふと、霧島が革のトートバッグから何かを取り出した。小さな封筒のようなものに包まれていたソレを2枚取り出し、真歩の目の前へ持ってくる。紺と紫が混ざり合った光沢感のある紙の上に、白抜きする様に点々と輝きを見せる星々の写真。中央に洒落た細文字で印字されているのは、向かっているプラネタリウム施設の名前である。
「誘った日に買ったんだ〜。すぐ入れんぜ」
「ありがとうございます、持つべきものは霧島様です」
「現金なやつ」
掌を合わせてプラネタリウムのチケットを拝んだ真歩を霧島はからからと笑う。ヒラヒラと、霧島が振ったチケットが真歩の頭の上にやんわりと落とされる。往年のツッコミを思わせる霧島の動作に2人して笑い、1枚を真歩に持たせた。
「今日見るのは、冬の星座だってよ」
「へぇ、難しそう……」
手に持ったチケットは、なんだか恐ろしく大事なものに見えて、これから星を見に行く浪漫よりも、霧島がチケットを買ってくれていた、という事実が深く根付いた。
早く、霧島と見たいな。ズレていた歩調が合う。ぎこちない会話は、霧島の気遣いによって霧散し、その事に真歩は気づいていない。
チケットを見せて入館した。作り込みがしっかりしている所だったらしく、施設内も紫一色で、所々にある様々な色をしたランプが室内灯になり、足元を照らしてくれている。天井部から下がった星のモチーフがキラキラと反射して、星空を見る前なのに、ちょっとだけ真歩の心を動かした。
売店をそのまま通り過ぎ、客席への列へ並ぶ。開始時刻も迫っていたからか、列は長蛇のものではなく、案外スッと入れてしまう。霧島が取ってくれていた席は、中央通路のすぐそばで2人並んで着席した。
ざわざわと大きな期待を小さな声で交わし合う他の客たちに触発されて、待ち時間がもどかしい。黙った自分にも聞こえそうな心音をどうにか収めたくて、掌を擦ったり、居住いを直したりと忙しなくさせていた。そわそわした真歩を横目に見た霧島は、ふっと笑ってからもう一度座席に深く座り直した。
「ねぇ、神渡……」
突然落とされた言葉に真歩の動きが止まる。やけに静かな霧島の声と、空を捉えたままの霧島の目線がとても不思議だった。まるで、嘘をつかないように居たいが為に、自分自身であるための表情をした霧島から目線が外せなかった。
「……さっきのやり直させてね」
「え?」
突然落とされた照明に、霧島へ向けていた顔を空へ戻す。鉄琴を叩くように響く音に合わせて、小さな星がふたつ輝いた。
「ここは、冬の星の世界――」
凛とした声色が一等星に照らされ、まだまだ暗い世界にこだまする。
――刹那、光の尾を携えて2本の星が一直線に伸びていく。
「夜空はいつだって、貴方を待っています――」
ちらちらと音を立てて、光を伸ばしていった一等星達は、弾けて万点の夜空へと姿を変えた。
わぁ!と周りから幾つもの感嘆の声が上がる。深淵だった世界が一気に星の海に溺れ、希望の色を壊れんばかりに溢れさせている。
呼吸も忘れさせるほどの衝撃を受けた。感動で声も出せずに星空へ、一気に釘付けになる。
……この色は、霧島の色に似ている。計り知れない努力を磨いて鍛えて、やっとの思いで一等星として輝かせ、怠ける事なくまた新たな星を産んでいく。真歩が迎え入れられた彼の世界と遜色ない美しい世界だった。
音楽と共にゆっくりと世界が回っている。名前の知らない星ばかりだが、その輝きは霧島の瞳の中で燃えていたように思う。見知った熱に触れたくて、霧島をそっと盗み見た。霧島も変わらず空へ釘付けになっている。
『……さっきのやり直させてね』
果たして先程の言葉って……。霧島の意図が掴めず、霧島と並んで星を学ぶ贅沢な時間が淡々と過ぎていった。
「これはオリオン座。最も明るい星は、下方にあるリゲル――」
星座の名前こそ聞いたことあったが、それぞれの星の解説を聞くのは初めてで、神話をなぞって解説される冬の灯りに、感動する以上に知識が増える感覚を覚える。
「名前の意味は、〝シャウザーの足〟――。その足で、勇敢に獲物へ向かう姿はきっと、偉大なものだったでしょう」
冬の空の星座にはおおいな意味があるようだ。由来があって、名を付けられ、役割を与えられる。優れた狩人を戦いへ向かわせる勇敢さなど、どう転んでもおれには当てはまらない。
「リゲルの隣で輝いているのは、アラビア語で〝剣〟を意味する、サイフ――」
狩人たらしめる剣も、切り開く力も、おれには何もない。少し間近で星を見つめてしまったから欲が出た。自分も何か出来るんじゃないかって。――自分の宇宙にも、何か輝いてくれるんじゃないか、って。
星を見て怯まない霧島が羨ましくなった。でも、己の怠慢の積み重ねが今の自分しか作れなくなっている。小さい頃から、星を磨いていた霧島こそ、名を与えられる星座の一端に相応しい気がした。
「綺麗だな」
「……うん」
声をかけてくれた霧島へ、直ぐに応えることができなかった。模倣した星空に感動したから、そんな簡単な理由ではない。星空を見て、霧島の隣に並ぶ自信がなくなってしまったからだ。
「……俺」
もう一度、ゆっくりと背もたれへ態勢を預けた霧島が、静かな声で真歩へ語りかける。心の中を占領する憧れが、真歩の喉を締める。
「神渡と来られて、良かった」
元々の目的を辿れば、武灯の資料集めだった。しかし、それまでに振り回された感情は、霧島への思いを募らせ、諦めさせるには充分過ぎた。
でも、他でもない霧島が真歩を選んでくれたように感じたのは、都合が良すぎるだろうか。1人で来る選択も、他の人を連れて来る事もできた。でも結局選ばれたのは真歩で、今真歩自身が星空を見上げている事以上の事実は存在しない。
ふと、小指が何かに触れる。控えめに縁をなぞる温度に、過激なロマンスを想像してしまう。
「(霧島の手が、当たっただけ、だよな?)」
真歩の存在を肯定してくれた霧島へ顔を向けるには、羞恥があり過ぎて直ぐには叶わなかった。
固定された席で狭くしているのではないか、と腕をずらそうとするが、再度指を突かれる。控えめだった主張が、意思を持って真歩の小指を絡めて取ろうとする。一瞬強張った体は、肯定も否定もできなくて、ただ、静かにしなくてはならないドーム内で呼吸が忙しくなっていった。
「どうして」だとか「なんで」だとか、そういった言葉は、今の霧島に向けるには無粋に思えた。なにより、片思いしている相手に手をとってもらえた経験が、あまりにも尊く、苦しくて、身動きがとれない。
「(嬉しくないわけ、無いじゃないか)」
絡んだ指は、薬指、中指とどんどん侵食して、霧島の人差し指が真歩の掌を優しく往復する。とうとう繋がった霧島と真歩の手は、似ているようで違う温度をしていて、冬の星へ夢中にるフリをして、その姿を盗み見ることはできなかった。ただ少し、勇気を持って霧島の顔を一瞬見た真歩は、面食らった。
真歩と同じ色を携えてた霧島は、空いた手で顔半分を覆い、興奮を押し殺して星空を食い入るように見ていたんだから。




