13話 凍芽には余る温度
電車の揺れと座席の温かさが眠りを誘う。日中の静かな車内は休日なのに人は少なく、静かな電車には真歩と霧島のささやかな息遣いだけが聞こえている。背後の大きな窓から優しい日光が差し込み続け頬や髪を温める。
端の座席に座っていた真歩はポールへ体を預けて揺れを感受する。不規則な揺れは母親が揺らしてくれている揺り籠のようで瞼が勝手に降りていく。ふわふわのダウンで包まれた体が毛布に包まれている様で意識が段々遠のいていく。
ふと、頭が反対側へ傾いた。固いステンレスを枕にしていた真歩の頭は肌触りの良いジャケットへ吸い込まれる。誰かに包まれているみたいでひどく温かくて、タバコと安心する匂い。
力が入りにくくなった右手が何かと重なった。真歩の物より一回り大きくて節だった掌、だと思う。グッと力が入ったかと思ったら急に緩めてを繰り返している。形が、存在が其処にあるか確かめる様に何度も握りなおされる手を真歩から握り返した。そしたら節だった掌の圧迫が止み、指を絡めてからは電車の揺れに身を任しているようだった。
温かくて、愛おしくて、離しがたい今この時は一体何だったのか。眠気に浮かされた真歩の頭は思考よりもその場の快楽を選んだらしく、ゆっくりと淡い眠りへ落ちていった。
「神渡?神渡……」
嗚呼、誰かがおれを呼んでいる声がする。でも今のこの微睡を手放したくなくて一度顔を埋める。何度も繰り返される呼び声が小さく笑いながら愛おし気に名前を呼び続ける。
「…真歩?」
「――え?」
――ハッとさせられて真歩の目が開いた。相変わらず閑静な電車の隅っこで、霧島と並んで座っている事実だけは変わらず、下車する予定の駅までもう少しの所を霧島に起こされたらしい。
「やっと起きた?神渡?もーすぐ降りる駅だぞ」
一気に覚醒した意識が平常心を取り戻し始める。さっきの肩を預けた先と言い、掌の感触といい、あれはなんだったのか。何より霧島から下の名前を呼ばれたかもしれない事実が、どうも夢の延長の様でまるで現実感がない。
先程まで暖かさを分け合っていた右手は伽藍堂に変わり果て、室内まで入り込んでくる冬の冷たさに熱を奪われていく。温度も重みも心地よさも何もかもが滑り落ちた様に無くなっていることに一抹の寂しさを覚えながら、起こしてくれた霧島に礼を言い2人で列車を降りた。
霧島の最寄駅からさらに都心の方へ。30分程電車に揺られていた訳だがうたた寝をしていたら片道などあっという間の出来事になってしまった。
人通りが多く賑わっているこの街は、車よりも徒歩の人が多く簡単にふらっと訪れることができる店が多く並んでいる。服屋に始まり、ゲームセンターや菓子専門店など多岐に渡る道路の一角。
真歩が霧島に「休日に付き合って欲しい」と頼んでから、小さなスマートフォンで一生懸命に探し出した小さなカフェへ歩みを進めていた。レビューを見た限り、読書をするのに利用する人や、仕事の資料制作など長時間に渡る滞在にもかかわらず、来店を拒否したりしない特性を持ったその店。ローテーブルと肘掛けまでついた柔らかそうなソファ、優しいスタンドライトの灯りの雰囲気が良くて霧島と読書の為に訪れたいと思っていたのだ。
休日だから賑わっているかも知れないが、こればっかりは行ってみないとわからない、と自分を納得させてリサーチ不足すらを霧島との体験として楽しもうと真歩は考えていた。
「へぇ、そんなカフェあるんだ」
「うん。そこならゆっくりできるかなって」
「ついでに昼ごはんも食べない?」真歩からの問いかけに霧島は1つだけ吹き出し笑いをして、「頼みすぎんなよ?」と釘を刺す。普段の大食漢な真歩を当たり前に知っている霧島からの当たり障りない一言が何だか妙に心を掻き立てる。自分の目論見を当然の様に言い当てる霧島。知らないうちに見透かされている事実に、彼の当たり前になれ始めている事に気付いてしまいそうだ。
程なくして到着したカフェは昼ピークを過ぎたからか疎に人が何組かおり、皆一つのテーブルを囲んで楽しそうに談笑している。休日ということもあり、レビューの様に穏やかな空間ではなく、どちらかといえば楽し気な世界が広がっており、誘った時間帯を間違えたかと真歩は密かに冷や汗をかいていた。
しかも、辺りを見てもカップルや女性客同志で訪れている客ばかりで、男2人でなんている客は他にはいなかった。レビュー写真を見た限りシックだと思っていたカフェだったが、かなり女性が集まる場で面食らう。霧島とおれで寄るなんて、嫌がられても仕方ないかもしれない。
「へぇ〜洒落てる」
「う、うん」
他の来店客が織りなす雑音を気にもしない霧島は店内を一周見回すと「イイトコ知ってんのね」なんて軽々しい口調で真歩に話しかけていた。
雑談している女性客を筆頭に駆け寄って来た店員すらも霧島の顔の良さに目を奪われている様で、前髪を直したり会話すら小声に切り替えた様で、ヒソヒソと話されている言葉を耳が拾いたがる。
「あの人、ちょっとかっこよくない?」
「黒髪の方でしょ!わかる〜!」
「私、リップ直してくる!」
確かに見た目もスタイルも整った霧島を女性陣の中へ放てばこうなる事は予想できた。予想できたのにも関わらず!霧島とお洒落なカフェにきてしまった!真歩の頭の中は混乱と自己嫌悪と天使と悪魔の言い合いが交わされていく。
『なんでこんなタイミングで霧島を女性陣の中に連れて行ってしまったんだ!』
『仕方ないじゃないか!この時間帯にこんなに人が多いなんて知らなかった!』
『言い訳したって、今たくさんの女性の目をハートにさせている事実には変わらないだろ!』
『おれだって、わかってたらこんな事しなかった!』
不愉快だと、真歩はそう思った。静かに本を読む算段が上手くいかなかった事が。そして何より沢山の女性の注目を浴びている霧島を見なくてはならないことが、1番嫌だった。
焦る気持ちと苛立つ気持ち、2つを混ぜこぜにした気持ち悪い感覚を覚えながら、声の高い店員に席に案内される。お冷のグラスを置いて綺麗な一礼をして去っていく女性店員へ礼を言う霧島を視界に入れたくなくて、さっさとメニューを睨みつけていた。
「神渡、何にそんな迷ってんの?」
「眉間すっご〜い事になってる」そう言いながら、人差し指で真歩の額を伸ばすように触れる霧島。節だったその指は先ほどまで外に居たとは思えないほどあったかくて、懐かしい感覚に襲われた。先程、行きの電車の中で触れた不安そうな掌の感触と似ていた。苛立った気持ちが少し落ち着いて、何事もなかったかのように努めようと苦笑いする。
「あ、いや。ホットサンドと季節のパスタ……。どっちも美味そうだなって」
「んなもん、どっちも頼めばいーじゃん。俺片方食べるし」
「はい!決定〜!」二つ折りのメニュー表をそのまま奪い取られる。掴もうと焦って手を伸ばしたが、結局は空を掴むことしかできなかった。何食わぬ顔でもう片方の手を上げて店員を呼ぶ霧島の所作があまりにも自然で、更に周りの女性客を騒ぎ立てた。
「なにあれ!見た?」
「見た目だけじゃなくて中身までかっこいいじゃん!」
「本当にね!あーいう彼氏欲しい〜!」
わざわざ聞こえさせたいのか、そんな声量で騒めく女性の声が耳から勝手に離れていく。今は彼女たちへの嫉妬よりも霧島の行動の方が気になって仕方ない。きっと霧島も食べたい料理があっただろうに、注文されたのは何方も真歩が食べたい料理だけ。〝優先された〟その事実が嬉しくて恥ずかしくて注文を言っている霧島の顔を真っ直ぐみられない。とくとくと温かに鳴り出した真歩の鼓動が霧島に聞かれていないか心配だ。
予想外の雰囲気だったカフェで、必要以上の視線を浴びて、あまつさえ自分の食べたいものとは別のものを注文している。でも霧島は愛おしそうに真歩へ笑いかけていて、歯を見せるように笑っている。真歩が思っていた不安も憤りも全てを包み込むような笑い方をする霧島に毒気を抜かれて、代わりに羞恥を注ぎ込む。
なんでそんなに楽しそうなんだと不思議に思っていれば、メニューを畳みながら霧島はポツリと答えた。
「――俺の本」
意表を突かれて霧島の方を見る。目線は合わされる事なく、窓の外をぼぅと見つめる霧島の宇宙は、窓から差し込んだ光を蓄えて星を瞬かせていた。
「読んでくれるんだろ?今から」
「なんで、知って……?」
「本屋であんな顔してりゃわかる」
息が一瞬詰まる。本屋で?あんな顔?頭の中が混乱して答えを導き出すのが難しかった。もしかして、盗み見られていた?おれが本を選ぶところを?
本屋での行動が反芻して一気に顔が赤くなる。もしかしなくても霧島はあの光景を見てたんだ。埃を立てないようにゆっくり本屋を巡って、ふと霧島の本を見つけたおれを……。極め付けは、霧島の本を見つけて、嬉しくなって笑ったおれを――。
「……デザートにパフェ頼むから」
「ぶふっ!神渡らしくていいじゃんね」
苦し紛れの抵抗すら、吹き出し笑いで肯定してくる彼に落ち着く素振りもない赤い顔を見せることができなくて、携えていた本が入った紙袋で視界を覆う。
――幸せって、こんなあったかさかも。長い長い冬の終わりは想像よりもすぐ近くにあるかもしれない。しかし、名称の付きかかった感情の温度は、真歩にはまだ熱すぎた。




