第93話:絹糸
軍隊蜂の縄張りを抜けたと判断した俺は、ウサ太とニャン吉と共に周囲を警戒しながら、森の中を進んでいる。
「ウサ太、人や魔物が移動しているような音は聞こえるか?」
「きゅーう」
「よしっ、大丈夫そうだな。ニャン吉も変な気配は感じていないよな?」
「ニャッ」
「わかった。それじゃあ、このあたりを詳しく調べてみよう」
近くに危険はないみたいなので、森の中を入念に観察してみることにした。
まずは証拠が残りやすそうな地面を確認してみるが、怪しい痕跡は見られない。
固い土に足跡のようなものはなく、周囲には葉が散らばっているだけだった。
しかし、少し顔を上げてみると、明らかに不自然な部分が目に留まる。
「この枝、妙に切り口が綺麗だな……」
まるで、刃物で切り落としたかのようにスパッと切れていた。
今まで魔物が爪で切り落としたり、噛み砕いたりしてできたような痕跡をいくつも見てきたが、こんなに鋭利な切り口は見たことがない。
さすがにこれを魔物の爪痕と考えるには、無理があるような気がした。
疑問を抱いた俺は、周囲の木々をよーく観察する。
すると、同じような刃物でつけられた目印のような跡を発見した。
「サウスタン帝国の騎士が、近くまで来ていたみたいだな。これは思った以上にマズい状況かもしれない」
そんなことを考えていると、急にニャン吉がソワソワして、周囲をキョロキョロと見回し始める。
思わず、俺も警戒して周囲をよーく観察してみると、遠くの方にある生き物を発見した。
ニャン吉よりも一回り大きい猫の魔物、シルクキャットである。
「ニャン吉。あそこにいるのは、もしかして……」
遠くの方に発見したシルクチャットを指で差そうとした時だ。
近くに生えている枝に手が当たってしまい、ガサッと葉が揺れる音がなってしまう。
「ニャッ!」
「ニャッ!?」
「ニャニャッ!!」
臆病なシルクキャットを刺激してしまったみたいで、彼らは振り返ることもなく、一目散に逃げ出していった。
やってしまった……という気持ちはあるものの、これで同じく臆病な性格のニャン吉が同行した理由を察する。
「あれはニャン吉の仲間たちか?」
「ニャウー……」
悲しそうに泣くニャン吉の姿を見れば、群れから逸れていたんだと容易に想像が付いた。
魔物かサウスタン帝国の騎士に追われたニャン吉は、追手を振り切ろうとして、軍隊蜂の縄張りに逃げ込んだんだろう。
しかし、今度は軍隊蜂に追われることになってしまい……、最終的に俺たちと出会うことになったんだ。
ひょんなことからテイムしたとはいえ、ニャン吉に戻る場所があるのであれば、飼い主として、そこに戻す義務があると思う。
「ニャウー……」
本人が寂しがっているのであれば、なおさらのことだ。
しかし、シルクキャットの様子を思い返してみても、ニャン吉と引き合わせることは困難を極めるだろう。
かといって、近くにサウスタン帝国の騎士がいる可能性が高い以上、このまま放っておくこともできない。
「何とかニャン吉がいることを伝えられるといいんだが……そうだっ! 木に絹糸を結びつけて、居場所を知らせればいいんじゃないか?」
シルクキャットの特性として、絹糸を自由自在に操るだけでなく、それを生成する能力が存在する。
この特性をうまく利用することで、サウスタン帝国の騎士に悟られることなく、シルクキャットだけにニャン吉の存在を伝えることができるような気がした。
問題があるとすれば、まだまだ子供のニャン吉に絹糸を生成させ続けるのは、難しいこと。
作業に時間がかかった分、脅威にさらされる可能性が高まるため、迅速に対応する必要があった。
「俺がウサ太の能力を使えるのであれば、おそらくは……」
手に意識を向けた俺は、ニャン吉の糸が生成できないか試みる。
無から有を生み出すなど、人智を超えた能力のようにも思えるが、ここは地球の概念に縛られた世界ではない。
スキルや魔法が存在する異世界であれば、できないことはないだろう。
ウサ太の能力で魔力の扱いには慣れているから、大丈夫なはずだ。
そのままニャン吉が作り出す絹糸をイメージしていると、腕に少しムズムズした感覚が芽生える。
すると、手元から白い絹糸を生成することに成功していた。
「おっ! やっぱりできたわ」
「……ニャ?」
「きゅー?」
なんで? と言いたげなニャン吉と、わからないよ、と言いたげなウサ太が顔を合わせている。
それをうまく説明する自信は俺にもないので、生成した糸を枝に結びつけて、目的を話すことにした。
「こうしておけば、ニャン吉がいた痕跡を残すことができるぞ。さっき仲間たちも、これなら気づいてくれるんじゃないか?」
「ニャ、ニャウー……」
うーん……と悩み始めるようにニャン吉が目を細めているため、糸が細すぎて見えにくいのかもしれない。
かといって、何重にも糸を巻きつけていたら、このあたりに来るサウスタン帝国の連中に怪しまれる恐れがある。
「生成する糸を太くして、見落としがちな高い枝に巻きつけてみるか」
今度は、三つ編みのように編み込むイメージをしながら、絹糸を生成する。
「意外に難しいな……。まあ、できないことはないか」
少し時間がかかったものの、無事に太めの絹糸を作成することに成功した。
魔力が流れている影響か、頑丈な糸に仕上がっているみたいだ。
これだったら、ある程度離れた場所でも目立たせることができるだろう。
「問題は、シルクキャットだけにわかるように設置する方法、か。やっぱり絹糸を人為的に結ぶとなると、怪しい痕跡になるんだよな……」
先ほど結んだ細い絹糸を見ても、明らかに不自然だった。
どうしたものか……と頭を悩ませていると、ニャン吉がウサ太を向く。
「ニャニャウ」
「きゅー?」
「ニャウニャウ」
「きゅーっ!」
何か考えがあるみたいなので、近づいてきたウサ太に太めの絹糸を渡す。
すると、糸をくわえたウサ太が木を登り、枝に糸を固定し始めた。
それを確認したニャン吉は、身軽な体を活かして、糸を木に巻きつけていく。
地面から木へ、木から枝へ、枝から枝へ飛び移り、絹糸が小さめの木の実くらいの大きさになったところで、ウサ太が糸を結んだ。
「きゅーっ!」
「ニャウー!」
あんな高い場所であれば、サウスタン帝国の連中も、人間の仕業だとは思わないだろう。
逆にいくつも作っておけば、シルクキャットの習性だと誤解させることができるかもしれない。
「よしっ。じゃあ、この作戦でシルクキャットの仲間を湖に誘導するぞ!」
「きゅーっ!」
「ニャウー!」
作業に集中しすぎないよう、周囲も警戒しながら、俺は糸を作り続けていくのだった。