第83話:山の洗礼
同行することが決まったフィアナさんとロベルトさんに、身支度を整えてもらっている間に、俺は街に出かけて買い物をしていた。
アーリィたちの食料も含めて、今回は五人分の主食を調達する必要がある。
さすがに荷物がかさばるため、焼いてあるパンではなく、その材料となる小麦粉を持ち帰ることにした。
調理システムであれば、きっとおいしいパンを焼いてくれることだろう。
調査に時間がかかることも想定して、多めに買っておくとしよう。
その結果、街の入り口で合流した俺たちは、不思議な集まりと化している。
肩に荷物袋をぶら下げるロベルトさんと、大きめのトートバッグを持つフィアナさん、そして、大量の小麦粉を抱える俺。
三者三様の準備を終えて、軍隊蜂の縄張りへと向かっていくのであった。
***
そんなこんなで山の麓に訪れると、早くも洗礼と言わんばかりに羽音が聞こえてくる。
ブーンッ
ここからは命の危険に関わる恐れがあるため、慎重に行動する必要があった。
「軍隊蜂が来たみたいですね。とりあえず、二人とも不用意な行動は控えてください。敵対心を持っていないとわかれば、すぐに受け入れてくれますので」
「わかりました」
「それくらいのことであれば、お安いご用ですな」
二人に簡単な注意事項を伝えると、タイミングよく十数体もの軍隊蜂が現れる。
警戒心の強い彼らは、眉間にシワを寄せて、品定めするようにフィアナさんに近づいてきた。
「……」
意外に度胸のあるフィアナさんは、動揺する様子が見られない。
逆に目をキラキラと輝かせて、軍隊蜂を観察するくらいの余裕があった。
疑っていたわけではないが、ルクレリア家は本当に軍隊蜂のことを平和の象徴だと思っているんだろう。
その思いが軍隊蜂に伝わったのか、アッサリと見逃してもらっていた。
一方、平然とした表情を浮かべるロベルトさんは、かなり警戒されている。
騎士であることを見透かされているのか、険しい表情を浮かべる軍隊蜂に武器を向けられてしまう始末だった。
これはマズイ状況なので、さすがに俺が仲介に入るしかない。
「ロベルトさん、無意識に殺気とか出していませんか?」
「いやはや、これだけ警戒されていますと、こちらも自然と対応しようとしてしまいますな」
ロベルトさんの立場を考えれば、かなり酷なことをさせているとは思う。
なんといっても、彼はフィアナさんを守る護衛であると同時に、国と敵対している魔物と対峙しているのだ。
無防備な状態をさらけ出し、敵対しないようにするというのは、彼の職務に反する行為と言える。
そんなロベルトさんの心を乱すかのように、軍隊蜂は一段と大きな羽音を鳴らして、警戒を強めていた。
「呑気なことを言っていないで、心を落ち着かせてください。このままだと、置いてきぼりになりますよ」
「ぬう……。軍隊蜂を甘く見ていたのかもしれません。羽音に含まれる魔力で心が乱れ、敵対心をあぶり出そうとしているようですぞ」
なるほどな。軍隊蜂が羽音を鳴らす行為は、ただの威嚇行動ではなくて、検問みたいな機能が備わっていたのか。
縄張り内の花を荒らすような輩をふるい落とすため、悪事を働きそうな者や敵対しそうな強者に対して、厳しいチェックを行なっているんだ。
自分たちに従うのか、ここで退くのか、はたまた一線を交えるのか。
ロベルトさんの心に問いかけて、白黒ハッキリさせようとしているんだろう。
国から派遣されている以上、ただの爺さんではないと思っていたが、ここまで軍隊蜂が敵視するとも思わなかった。
下手に軍隊蜂を説得するより、ロベルトさんに乗り越えてもらった方がいいのかもしれない。
「軍隊蜂と敵対することは、今回の目的に反します。まずは心を落ち着かせて、軍隊蜂と向き合ってください」
「さすがに限度がございます。戦場で武器を持たぬまま、敵に囲まれているような状態ですぞ」
「軍隊蜂を敵と認識している時点で、彼らが受け入れてくれるはずがありません。ここには、戦いに来たわけではありませんよ」
「なかなか手厳しい指摘ですな。軍隊蜂にいじめられている老いぼれを見て、可哀想だと思いませんかな?」
「それだけ余裕があるのであれば、大丈夫そうですね。ちなみに、軍隊蜂と戦うこと選択するのであれば、空が見えなくなるくらい増援がやってきますよ」
盗賊たちを襲った軍隊蜂の大軍勢を思い出していると、さすがにロベルトさんは分が悪いと判断したのか、肩の力を抜いた。
それを見た軍隊蜂は、羽音を鎮めた後、何かを話し合うかのように手足を動かしている。
珍しい光景だなーと思ったのも束の間、ほとんどの軍隊蜂が山に帰っていく中、この場に五体だけ残った。
そして、ロベルトさんを監視するように彼の背後に回っている。
「こんなケースは初めてですね。まだ疑いの目を向けられているみたいです」
「いやはや、フィアナお嬢様をお守りする役目があるだけであって、戦うつもりで来てはおりませんぞ。老いぼれた体では、戦闘もままなりませんからな」
ロベルトさんは弱音を吐くものの、これだけの騒動が起きても、彼は汗一つ流していない。
アーリィやクレアの反応と比較しても、明らかにロベルトさんは、魔物との対峙に慣れている印象があった。
一方、別の意味で汗一つ流さなかったフィアナさんは、大きなため息をこぼしている。
「何事にも動じない性格だと思っていましたが、ここまで来ると、長所なのか短所なのかわからなくなりますね」
「そうですね……と共感したいところですが、フィアナさんもかなり堂々としていましたよ」
「私は、軍隊蜂が平和の象徴だと教わっていますからね。怖がるというより、憧れに近い感覚を抱いているのかもしれません」
そう言ったフィアナさんは、ロベルトさんに軍隊蜂の監視がついた姿を見て、少し羨ましそうにしている。
山に貴族令嬢が同行するのはどうかと心配していたが、杞憂に終わりそうな気がした。
「とりあえず、今から山を登って、俺が暮らしている拠点に向かいます。後で説明しますが、絶対に花は踏まないように移動してくださいね」
「わかりました。気をつけます」
「かしこまりました」
軍隊蜂にあまり心労をかけないように、一応、俺もロベルトさんを警戒しながら、山を登っていくのであった。