第81話:カルミアと軍隊蜂
窓の外を眺めるルクレリア公爵は、どこか遠い目をしていた。
「少し昔話をしよう。今でこそカルミアの街は平和なものだが、隣国のサウスタン帝国と国境が近いこともあり、かつては何百年にもわたる大規模な戦争をしていた。この地の豊富な資源を求めて、サウスタン帝国が何度も侵略を試みていたのだ」
イリスさんからは『魔物を敵視している分、人々の争いが少ない』と聞いていたが……。
あくまで少ないだけであって、資源の奪い合いや領土問題は起こっているみたいだ。
「その長きにわたる戦争に終止符が打たれたのは、およそ二百年前のこと。戦争で両国が疲弊した僅かな隙をついて、軍隊蜂が国境に住み着いたことが原因だと言われている」
……ん? 軍隊蜂が、国境に住み着いた?
もしかして、俺はとんでもない場所の居住権を申請しているのではないだろうか。
二百年前から軍隊蜂が生息地を変えていないとすると、俺は国境に居住権を求めていることになってしまう。
普通に考えて、そんなことが認められるはずがない。
ましてや、頻繁に戦争が起こっていた場所であれば、ルクレリア公爵が難色を示すのも無理はなかった。
「当時は軍隊蜂の数が少なかったものの、拮抗した戦いを繰り広げていた両国にとって、脅威的な存在には変わりなかった。国同士の戦いに魔物が入り込んだことで、自然と三すくみ状態に陥り、膠着状態が続いた結果……。そこから一度も戦争が起きることはなく、自然と争いが消滅したよ」
「なるほど。そこから軍隊蜂が繁殖を続けて、縄張りを広げたことで、両国ともに手を出せる状態ではなくなってしまったんですね」
「ああ。その通りだ」
ほんのりと微笑んだルクレリア公爵は、ゆっくりと頷いてくれた。
その姿を見れば、カルミアの街が軍隊蜂と共存する道を選択した理由がわかった気がする。
二百年もの長い間、軍隊蜂が居座り続けることで、カルミアの街は平和というかけがえのないものを手にしているのだから。
「表立って口にすることはできないが、我々ルクレリア家にとって、軍隊蜂は平和の象徴だとしている。あの場に彼らがいてくれることには、大きな意味があるのだ」
軍隊蜂が繁殖を続け、天然の要塞を作り続けている限り、この地の安全は保証される。
そのことを歴史が証明している以上、ルクレリア家が軍隊蜂と敵対することはないと思った。
「しかし、だ。近年の傾向を見る限り、状況が変わり始めている」
突然、ルクレリア公爵が不穏な言葉を口にすると、その話を聞いていたフィアナさんが一枚の地図らしきものを見せてくれた。
「こちらは冒険者ギルドが管理しているもので、魔物の生息域を把握するためのものになります。冒険者たちの声を元に作成しているのですが……。ご覧いただけましたらわかる通り、すでに軍隊蜂の縄張りが街道に差し掛かっていると推測しています」
フィアナさんの言葉を聞いて、俺は頭を抱えてしまう。
軍隊蜂が繁殖を続け、縄張りを広げすぎた結果、領土が侵略されているのと同じ状況が生まれているんだ。
これでは、敵対勢力が変わっただけで、カルミアの街に住む人々の生活に大きな支障を与える恐れがある。
少なくとも、軍隊蜂が頻繁に街道に現れたら、商人は街に立ち寄ることをやめるか、迂回するルートを通らざるを得なくなるだろう。
今後も軍隊蜂が縄張りを広げることを考慮すると、悠長なことは言っていられないような状況だった。
「俺の知っている軍隊蜂の縄張りとも、ピッタリと一致しています。ここまで入念に調べているのであれば、それだけ看過できない問題だと考えている、ということですね」
「概ねは間違っておりません。現状では、軍隊蜂が大繁殖をして生息域を広げているのか、たまたま街道の方に移動してきているのか、判断することができていません。ただ、いずれはカルミアの街を飲み込むと予測されています」
「厄介な問題ですね。人類同士の争いが終わったと思ったら、今度は魔物との領土問題ですか……。今まで不思議に思っていましたが、この話を聞くと、フィアナさんが冒険者ギルドで働いていたことにも納得がいきます」
この世界の詳しいことはわからないが、普通に考えて、フィアナさんのような公爵令嬢がギルドで働くことはない。
公爵家の人間として、領地経営や勉学に励み、もっと優雅な生活を送っていても不思議ではなかった。
そのことを考慮すると、冒険者ギルドで正確な情報を入手する思惑があって、受付の仕事をしていたと推測することができる。
おまけに、軍隊蜂の脅威が迫っているにもかかわらず、街の人たちは穏やかに過ごしているのだから、ルクレリア家が秘密裏に動いていることは容易に想像がついた。
これはマズイ話を聞いているのではないだろうか……と思ったのも束の間、窓の外を眺めていたルクレリア公爵が、再び俺の向かいのソファーに腰を下ろす。
「すでにトオルくんも気づいているかもしれないが、この話は国家機密に該当する。他言することはおすすめしないよ」
「……わかりました。今回のことを話してくださったのは、信頼の証と受け取り、他言しないことを約束します」
そもそも、こんなことを話せる友人がいないので、情報漏洩することはない。
どちらかといえば、俺は今、自分の身に降りかかる危険について考えていた。
「一つだけお聞かせください。軍を率いた経験のあるロベルトさんが派遣されてきたということは、それ相応の対応を取る覚悟がある……つまり、軍隊蜂と一線を交えるおつもりですか?」
「街を飲み込むほど縄張りを広げるのであれば、仕方あるまい。我々にとっても苦渋の決断だが、今から五年を目途にして、戦いを始める準備を整える算段だ。この街も戦場になることを想定して、すでに防壁の強化を始めているよ」
そういえば、初めて街に訪れた時から、ずっと防壁を補強していたな。
空を飛ぶ軍隊蜂を撃ち落とすため、強固な足場を作って、迎撃する準備を整えているのかもしれない。
残念なことに、ルクレリア家は軍隊蜂と戦いに備えて、早くも動き出しているみたいだ。
しかし、軍隊蜂の蜜蝋で作ったハンドクリームを楽しんでいた姿を思い出す限り、どうにも本気で取り組んでいるとは思えない。
その証拠と言わんばかりに、ルクレリア公爵は笑みを浮かべてくる。
「まあ……今のところは、の話だがね」
本当に軍隊蜂と一戦を交えるつもりがあるのなら、俺に居住権を与えることに対して、考慮するはずがない。
キッパリと断った後、逆に軍隊蜂の縄張りに入れることを利用して、敵地の偵察や戦力分析などを依頼してくるだろう。
つまり、ルクレリア家は国の決定に抗い、平和的な解決策を望んでいる。
戦いを避ける方法を模索して、独自に調査していたんだ。
その結果、魔物と交渉できる俺という存在にたどり着いたのであれば……。
「これはうまく丸め込まれた……というより、嵌められたと言った方が正しいんですかね」
ルクレリア公爵が『私の負けだ』と口にしていたものの、思い通りに事が運んでいるような気がする。
「人聞きの悪いことを言わないでくれ。私に思惑があるように、トオルくんにもあるんだろう? ずっと何かを隠したまま、こちらの出方をうかがっているではないか」
「こちらは最大のタブーとも言える、魔物との関係性について打ち明けているんですから、それくらいのことは許してくださいよ」
「生憎だが、こちらも国家機密を話してしまった。このことをロベルトが国王陛下に伝えたら、私は大きな罪に問われるほどのリスクを冒しているよ」
さすがに公爵家の当主なだけあって、なかなか食えない男だ。
ただ、嘘をついて騙してくる人だったり、欲に踊らされたりする人よりは、ずっと好感を持てる。
平和の象徴に手を出すべきではないと、自分の信念を曲げることなく、国に抗おうとしているのだから。
幸いなことに、怪しい黒幕の存在にも見当がついたことだし、ここは互いに手を取り合ってもいいのかもしれない。
「たぶん、俺とルクレリア公爵の目的は同じです。互いに利益を無視して、いったん真剣に話し合いませんか?」
「いいだろう。ここからどうやって切り崩していこうか、ちょうど俺も頭を抱えていたところだ」
「それはよかったです。初めて貴族を相手にするので、どこまで踏み込んでもいいのか、わからなかったんですよね」
「それほど強いカードをぶら下げておいて、よくそんなことが言えたものだ。久しぶりに手に汗が握る交渉だったぞ」
思った以上にアッサリと話に乗ってくれるルクレリア公爵に、俺はこれまでの経緯について、話し始めるのであった。