第80話:友人関係
ルクレリア家の商談室に案内された俺は、依頼されていた軍隊蜂の蜜蝋と、それを使ったハンドクリームを提出した。
ルクレリア家との会合は、ここが正念場になるはずだ……と思っていたのだが。
特に大きな山場は見られそうになく、フィアナさんとルクレリア公爵がとても和やかな雰囲気で過ごしている。
「あっ、魔道具が反応しましたね。これでどちらも軍隊蜂の素材を使用しているものと判断して、間違いありません」
「そうか。これが軍隊蜂の蜜蝋、か。初めて手にするが、意外に重いものなんだな」
「お父様が初めて目にするだなんて、珍しいですね」
どうやら二人は仲の良い家族みたいで、軍隊蜂の素材に対して、強く興味を抱いていた。
軍隊蜂の蜜蝋はルクレリア公爵が、ハンドクリームはフィアナさんが持ち、互いに似たような行動を取っている。
じっくり色合いを眺めたり、香りを嗅いだり、感触を確認したりと、少しはしゃいでいるような印象だった。
「わっ。実際に使用してみると、思った以上に肌触りがいいですね。クリームが素早く浸透する影響でしょうか。ベタベタするどころか、逆にサラサラしています」
「軍隊蜂の蜜蝋を触る限りでは、肌触りが良くなるとは思えないな。油分が含まれていて、ある程度の固さがある。ベタベタしそうな印象だが」
「では、お父様もどうぞ」
「うむ。おおー……確かにこれは、クリームの浸透が早い。こういうものは苦手で避けてきたが、これなら不快感を抱くことはないぞ」
今回は仕事上のやり取りというのではなく、私的な付き合いみたいなものなんだろうか。
前回、ルクレリア公爵が口にしていた『客人としてではなく、友人として迎え入れるつもりだ』という言葉が影響しているに違いない。
ルクレリア公爵の背後に凛とした姿で立つロベルトさんが、とても仕事熱心な人に見えてしまっていた。
まあ、これでルクレリア公爵との取引がうまくいくのであれば、願ったり叶ったりだが。
「君には驚かされてばかりだよ。魔物と深い関係を持つというのは、まだ困惑する気持ちの方が大きいが……。少なくとも、嘘をついているとは思えない。私の負けだ」
「公爵様に認めてもらえて、ありがたい限りです」
「ただ、少しずつ受け入れる方向で検討させてくれ。君の言い分は、あまりにも常識から逸脱している」
「それが普通だと思っておりますので、問題ありません」
「話が早くて助かるよ、トオルくん」
不意に名前を呼ばれるとドキッとしてしまうが、公爵家の当主に名前を覚えられるというのは、この世界だとかなり大きな意味を持つだろう。
商業ギルドのゴードン伯爵が怪しい雰囲気を放っているだけに、ここはルクレリア家の協力を得て、苦難を乗り越えていきたいところだ。
「もともとトオルくんには、軍隊蜂の蜂蜜の採取方法を教えてもらう代わりに、できる範囲の礼をすると約束していたね。手間を取らせた分も含めて、寛大な心で聞き入れるつもりだが、何か要望はあるのかな?」
「ありがとうございます。では、軍隊蜂が住むあの山をください……と言いたいところですが、さすがにそこまで図々しいことは言いません。あの山に居住する権利がほしいと思っています」
勝手に住み着いていることがバレた以上、正式に許可を得ておかなければ、後で大きな問題に発展しかねない。
今さら足元を見られることはないと思うが、不法滞在者として罰せられ、多額の金額や軍隊蜂の蜂蜜を要求される可能性を排除しておきたかった。
もちろん、これは俺の立場を確保するために必要なものだが、ルクレリア家にとっても悪い話ではない。
世界中で入手困難とされる軍隊蜂の蜂蜜を入手できる機会が得られるとなれば、大きな利益に繋がるため、認めてもらえるはず……だと思っていたのだが。
ルクレリア公爵は浮かない表情をしていた。
「許可を出してやりたいところではあるが、現状では、その要望を受け入れることはできない。ただし、トオルくん次第では、首を縦に振ることもできる」
「……どういう意味ですか?」
おもむろに立ちあがったルクレリア公爵は、口が重いのか、窓の方に向かって歩いていく。