第77話:アーリィだって女の子
イリスさんと別れた後、狩りをしていたであろうアーリィが戻ってくる。
その姿は異様なもので、魔物の返り血を浴びたまま、両手で肉を持っていた。
「オーク肉が取れたから、アイテムボックスに入れておくわね」
「ああ……、ありがとう」
「気にしないで。家賃みたいなものだから。って、なんか雰囲気が違わない?」
その言葉、そっくりそのまま返そう。
交通事故に遭ったのかと思うほど、血がベッタリと付着しているぞ。
「俺たちは今、アーリィに最も必要なことをしていたのかもしれない。ぜひアーリィにもやってもらいたいから、先に川で返り血を流してきてくれないか? というか、今後はそうしてくれ」
「わかったわ。でも、魔物の肉は鮮度の良いうちに運んだ方がいいわよ?」
「すぐに食べるわけではないんだから、多少遅くなったところで、大きな影響はない。むしろ、魔物の返り血をポタポタと垂らして歩いていたら、花に付着する恐れがある。そっちの方が大惨事になるぞ」
「それもそうね。今度から先に川で汚れを落としてくるわ」
俺の言葉に納得したアーリィは、足元に気をつけながら、川の方に歩いていった。
アーリィに本当に気づいてほしいことは、魔物の血が花に付着することでも、肉を最速で持ち帰らなくてもいいことではない。
最低限の身だしなみを整えてほしいことである。
「俺はアーリィが魔物と戦う姿をあまり見たことがないんだが、いつもあんなに返り血を浴びたままの状態で行動しているのか?」
「さすがに休憩する時とか、街に入る前は洗うことが多いよ。考えごととかしてる時は、あんな感じになるけど」
どうやら戦闘することに慣れすぎて、人の感覚が失われつつあるわけではないみたいだ。
何度か落ち込んでいる姿も見ていただけに、修羅の道でも歩み始めたのかと思ってしまった。
あまり自分を追い込みすぎると、そういう道を歩む恐れはあるので、このあたりで気分転換を挟んだ方がいいだろう。
「ねえ、トオル」
「どうした? クレア」
「アーリィにも、私がシャンプーをしてあげてもいい?」
「ああ。頼む」
ここはシャンプー職人と化したクレアに任せて、状況を見守ることにした。
あわよくば、髪の毛が綺麗になったアーリィにも風呂計画を手伝ってもらえることを期待しながら。
***
「別に私はいいわよ。冒険者が髪を綺麗にしたところで、何の意味もないわ」
川で返り血を洗い流してきたアーリィにシャンプーを勧めた時、彼女が最初に発した言葉がこれである。
それから僅か数分後のこと。
俺がうまく誘導して、クレアがアーリィにシャンプーをしていると――。
「ほえ~……」
腑抜けた声を出したアーリィは、涎を垂らさないか心配になるくらい癒されていた。
挙げ句の果てには、シャンプーの途中で寝息を立て始めるのだから、冒険者にも癒しが必要だと彼女が証明している。
きっと相当疲れが溜まっていたんだろう。
心の平穏を保つためにも、まずは体を休めるべきだと思った。
***
ぐっすり眠っていたアーリィが目覚め、夜ごはんを食べ終える頃には、いつもと様子の違う彼女の姿が見られた。
ガラスの前に立つアーリィは、ずっと髪の毛を気にして、それを手で触り続けている。
そんな光景を遠くから眺める俺とクレアは、どう対応していいのかわからなくなっていた。
「どうしたんだろう。アーリィが女の子っぽいことを気にしてるよ」
「失礼だぞ。アーリィもちゃんと女の子だからな」
「でも、あんなことしてる姿は見たことがないんだもん」
正直なことをいえば、俺もここまでアーリィが自分に興味を持ち始めるとは思わなかった。
俺のイメージでは、『髪がサラサラになったわ』とか、『なんだか恥ずかしいわね』とか、喜んだり照れたりするものだと思い込んでいた。
しかし、現実は違う。
「……」
自分が変わったことを実感して、驚きのあまり声を失っている。
なんなら、肌も気にしているみたいで、ガラスに顔を近づけたまま、ジーッと見つめていた。
「なんか、肌も綺麗になってない……?」
それは栄養失調が改善された結果なので、前からである。
今までどれだけ自分に興味がなかったんだ……と言いたいところだが、きっと肌が荒れることを気にしたくなくて、見ないように心がけていたんだろう。
女性冒険者として生きるためには仕方ないものだと、心の底から諦めていた可能性もある。
だからこそ、アーリィの心は今、大きく動き始めていた。
冒険者活動をしていても、綺麗でいられるのかな、と。
「ねえ、トオル。今がチャンスじゃないかな」
「そうだな、クレア。俺も今、そう思っていたところだ」
俺たちの夢である風呂計画を進めるためにも、彼女を同志として迎え入れる時が訪れたのだ。
思わず、俺とクレアは素早く動き、アーリィの元に近づいていく。
「アーリィ。折り入って相談があるんだが、少し時間をもらってもいいか?」
「えっ? あっ、うん。大丈夫だけど」
「実はな、拠点レベルを上げるために、素材集めを手伝ってもらいたいんだ」
「別にいいわよ。どんな素材が必要なのかしら」
「木材の調達もそうだが、今回はかなりの量の石を必要としている。近くの川を何度か往復して、ここまで運び込む必要があるんだ」
「それはなかなかの重労働になりそうね……」
「ああ。だから、俺も少しずつやろうと思っていたんだが……、ここにきて状況が変わってしまった」
キョトンッとした表情を浮かべるアーリィに、俺はイリスさんから教えてもらった情報を伝える。
「拠点レベルが上がると、風呂が設置されることが判明したんだ」
「お風呂が、設置?」
明らかに今までとは反応の違うアーリィは、目の色が変わり始めた。
彼女がこんな反応を見せたのは、金貨の話をする時以来である。
よって、そこに追撃するように、我が同志クレアと共に追い打ちをかけていく。
「私、お風呂に入ってみたいなー。髪の毛を洗うシャンプーもいいけど、お風呂で全身を洗った方が絶対に気持ちいいはずだもん」
「まあ、そうだな。風呂が設置されれば、ボディーソープも使うことができるからな」
「ええっ! じゃあ、髪と同じくらい肌もツヤツヤになっちゃうね」
「それだけじゃないぞ。風呂上がりには、軍隊蜂の蜜蝋を使ったボディークリームで保湿することができる。潤いたっぷりのモチモチとした肌になるかもしれないぞ」
下手な営業のセールストークみたいだが、夢見心地なアーリィには効果的だった。
「肌がツヤツヤで、モチモチ……?」
「髪の毛はサラサラだな」
「髪の毛は、サラサラ……」
「体はポカポカだよ」
「体は、ポカポカ……」
もはや、オウム返しをするロボットのようなアーリィに、俺は答えのわかりきった問いを投げかける。
「風呂に入るために、拠点のレベルを上げをやりますか? それとも――」
「やりますっ!」
こうして俺とクレアは、夢の風呂計画を加速させることに成功するのであった。