第73話:湯の生成
クレアに連れられて拠点の外に出ると、満足そうに微笑むイリスさんがいた。
彼女の足元には、ウサ太の風呂用の桶が置いてあり、モワモワと蒸気が立ち昇るほどの熱湯がたっぷりと入っている。
「これ、全部クレアが生成したのか?」
「うんっ、そうだよっ。桶がいっぱいになっちゃったから、途中でやめたけどね。でもね、もっといっぱい作れると思うよ」
まだまだ先のことだと諦めていたが、今こそ本格的に風呂計画を進めるべきなのかもしれない。
しかし、ついこの間までまだ熱湯は早いと言われていたのに、どうして急に成長したんだろうか。
そんなことを考えていると、クレアはイリスさんに抱きついて、喜びを分かち合い始める。
「イリスお姉ちゃんとアーリィと一緒に魔法の特訓をしてたらね、あっという間にできるようになったの」
「ううん、それは違うわ。クレアちゃんの頑張りが報われただけだよー。よく頑張ってきたわね。よしよし」
「えへへっ。そうかなー」
相変わらず、二人は仲が良い。
これだけ優しくしてもらっていたら、アーリィがイリスさんと再会した時、泣きわめいてしまった気持ちもわかる気がした。
「そういえば、アーリィはどこに行ったんですか?」
「急激にクレアちゃんの魔法が成長したから、触発されたみたいよ。今、少し離れた場所まで狩りに行っているわ」
「なるほど。確かにクレアの急成長を目の当たりにしたら、冒険者として、居ても立っても居られなくなるかもしれませんね」
イリスさんと再会した影響も大きいと思うが、これまでクレアの面倒を見てきたことを考えれば、当然の反応ともいえる。
いろいろと思い詰めていたみたいだったけど、無事に乗り越えられたみたいだな。
「えへへっ。そうかなー」
なお、褒められっぱなしのクレアは、モジモジするほど照れているが。
「でも、どうしてクレアは急に成長できたんですか?」
「うーん、なんて言えばいいのかしら。これまで無駄な特訓をしていたわけではないのだけれど……。簡単な魔法を扱うことだけを考えると、努力の方向性が違っていた感じね」
そう言ったイリスさんは、クレアの努力を褒めるように、優しく頭を撫で始めた。
「クレアちゃんは、いろいろな属性に適性があるから、一つのことに執着しない方がいいの。まずは正しい魔法の扱い方を把握するために、いろいろな経験を積んだ方がいいわね」
「長所を伸ばそうとするのではなく、短所を減らすような練習が必要、ということですね」
「そんなイメージかしら。正確に言えば、長所や短所、得意や不得意といったことを決めるのも、まだ早いくらいよ。もっと魔法を学んでいけば、良くも悪くも感覚が変わってくると思うから」
魔法の詳しいことはわからないが、イリスさんがクレアを変えるきっかけを作ってくださったのは、間違いない。
その影響もあって、魔法を扱うことに自信がついたクレアは、とても良い表情を浮かべていた。
魔法使いとして大きな一歩を踏み出したクレアの存在は、俺にとっても大きなことである。
なんといっても、俺たちには共通の目標があるのだから。
「これだけの湯が簡単に作れるのであれば、次のステップに進めるかもしれないな」
俺の言葉を受けて、イリスさんに甘やかされていたクレアも目を輝かせる。
「トオル。そっちも目途がついてるの?」
「まだハッキリとしたことはわからない。だが、俺たちの追い求めている夢の第一歩として、すでにこんなものを作成している」
アイテムボックスから一つの容器を取り出した俺は、それをクレアに見せつけた。
「頭皮を洗浄するアイテム、シャンプーだ」
「シャ、シャンプー……! お風呂場じゃなくて、トオルは先にオプションから作っていたんだね!」
「ああ。これなら、風呂場を用意しなくてもできるからな」
やったぜー! と、俺とクレアは手を合わせて喜ぶ。
しかし、その姿を見ているイリスさんは、苦笑いを浮かべていた。
「クレアちゃんが頑張っていたのは、そういう理由だったのね」
この世界の常識としては、生活を豊かにするために魔法を学ぶのではなく、魔物と戦うために魔法を学ぶものなんだろう。
今後、クレアも冒険者として自立するのであれば、そういうことを目的とした特訓をする必要があった。
アーリィとクレアの間で結ばれた約束のことを考えても、決して避けては通れない道のりとも言える。
まずはアーリィの戦闘を補佐して、少しずつ戦いに慣れるようになった方がいいと思うが……。
それは実践的な攻撃魔法が使えるようになってからのことであり、クレアも十分に理解していることだろう。
「えへへっ。初歩的な魔法を覚えるにしても、何か目標があった方がいいなーって思って」
「クレアちゃんの言うことも一理あると思うわ。でも、水魔法の温度を制御するには、火魔法の適正がないとできないことよ。二つの属性を操る必要があるから、けっこう難しいことをやってるのよね」
「ええっ! そうだったの? じゃあ、もっとうまく制御することができたら、次は攻撃魔法の練習だね」
クレアが魔法使いの道を歩もうとしていることを、俺は止めるつもりはない。
ただ、娯楽のために魔法の練習していたことを、平和的な考えでいいと思っているだけだ。
これには、森にハーデン草を食べに行っていたであろうウサ太も戻ってきて、喜びの舞を踊り始めるほどだった。
「きゅーっ! きゅーっ! きゅー……」
なお、湯が熱すぎて入れそうにないとわかり、しょんぼりしている。
ウサ太用の桶に湯が張られていたから、また体を洗ってもらえると勘違いしたのかもしれない。
せっかくシャンプーも作ったことだし、そうしてやりたい気持ちもあるが……。
ウサ太には少し我慢してもらうとしよう。
まずは、魔法の特訓を頑張ったクレアに体験してもらいたいから。
この世界では、貴族級の娯楽に分類されるであろう極上の癒し行為、ヘッドスパというものを。
「よしっ。じゃあ、クレア。あっちに専用のデッキチェアーを用意するから、座ってくれ」
ちゃっかり鍛冶システムで作成していた、背もたれが倒れたデッキチェアーを用意して、万全を期した状態でベッドスパに挑むのであった。




