第64話:アーリィとイリス
子供のように取り乱したアーリィは、泣き疲れたみたいで、イリスさんに抱き着いたままスヤスヤと眠っていた。
「トオルさんのところに来た冒険者って、アーリィちゃんのことだったのね」
「はい。まさかイリスさんのお知り合いだと思いませんでした」
「私も驚いたわ。でも、まあ……二人には私の加護を与えてあるから、それが引き合ったのかもしれないわね」
アーリィが軍隊蜂の縄張りに入ってきたのは、持ち前の方向音痴が原因だと思っていたが、どうやら違ったみたいだ。
あの時のアーリィはウルフに追われて、非常事態だったがゆえに、俺のもらった加護に自然と引き寄せられたんだろう。
「トオルさんには、魔物と友好関係を築きやすくなる加護を付与したけれど、アーリィちゃんには身体能力を高めるようなものを付与しているの」
「なるほど。どうりでアーリィは身軽な動きをするわけですね」
「潜在能力が高まる程度のものだから、彼女の努力が大きいのよ。かなり危険な魔物でない限り、一人で対処してくれると思うわ」
「女神様のお墨付き、ですか」
「そう思えるほどには、剣術を教えた時に頑張っていたから」
俺みたいに実用的な能力が付与されたわけではないのなら、Cランク冒険者になったのも、アーリィが努力した結果に違いない。
もしかしたら、アーリィの律儀な性格は、イリスさんの影響を受けているのかもしれないな。
「アーリィは、イリスさんが女神様だと知っているんですか?」
「いいえ、知らないわ。アーリィちゃんとは、冒険者活動をしていた頃に出会った子なの」
「どうりで俺たちは、加護の方向性が違うわけですね」
「そうね。少なくとも、彼女はこの世界の住人よ。深い意図があって加護を与えたわけではないわ」
「意外ですね。アーリィは剣術の師に恵まれていた、と言っていたので、何か理由があるんだと思っていました」
「最初はちょっとした出来心だったのよ。まあ、あまり良い話ではないし、私が勝手に話すのも違うような気もするけれど……。アーリィちゃんはね、小さな村の生き残りなの」
……ん? どこかで聞いたような話だな。
確か、アーリィがクレアを引き取った話を聞いた時、同じことを言っていたような気がするぞ。
「野党に村が襲われているという緊急依頼を受けた時に、偶然、隠れていたアーリィちゃんを発見してね。清らかな心を持っているような気がしたから、女神の仕事の手助けをしてくれるかもしれないと思って、剣術を教えたの」
「それで、大人になるまで面倒を見るような約束でもされたんですか?」
「ええ。よくわかったわね。私の時間を費やせるのが、ちょうどそれくらいかなーって……。あらっ、何か変だったかしら?」
「いえ、何でもありません」
イリスさんの言葉を聞いて、不謹慎ながら、俺は思わず頬を緩めてしまう。
まさかイリスさんが育ててくれたことに恩を感じて、自分と同じような境遇の子にそれを返そうとしていたなんて、夢にも思わなかった。
さっきアーリィが泣いていたのも、きっと思い詰めていたわけではなく、子供を育てることの難しさを痛感したからだろう。
育ての親であるイリスさんの姿を見て、自然と涙が溢れてきたんだ。
自分が剣術を教えてもらったように、クレアを自立させるため、魔法の特訓までしていたのだから、間違いない。
キョトンッとするイリスさんは、まだそのことを知らないみたいだが。
「アーリィちゃんとは、二年前に別れたきりだったのだけれど、再開してすぐに泣き崩れちゃうほど寂しがっているとは思わなかったわ」
「話を聞く限り、仕方ないことだったと思いますよ。それにアーリィはまだ、大人でもなく子供でもないような年齢です。泣いてしまうのも、無理はありません」
「実年齢だけがすべてじゃないわ。冒険者登録も済ませて、一人で依頼を受けられるようになったのよ。この世界では、大人として扱うべきね」
「……その割には、子供扱いしているように見えますけどね」
眠ってしまったアーリィの頭を撫でるイリスさんは、子供を寝かしつけている母親にしか見えなかった。
女神様ゆえに母性が強いのか、アーリィが子供の頃にそう接していたのかはわからない。
ただ、人間が好きなイリスさんらしい行動だと思った。
「だ、だって、アーリィちゃんを育てているうちに情が移っちゃったんだもん。仕方ないじゃない。女神の仕事もどんどん遅れちゃって、大変だったのよ」
なるほど。俺のことを気にかけてくれるのも、アーリィの影響で過保護精神が身についた結果なんですね。
こんなオッサンの安否が気になるほど、普通は人間に情が移らないと思いますよ。
「まあ、アーリィとクレアは、しばらくここに滞在する予定です。イリスさんも余裕がありましたら、立ち寄ってください」
「わかったわ。でも今は、早急に暗躍している者を突き止めたい気持ちの方が大きいのよね」
「そのことについて、俺に考えがあります。実は、この山で採れる魔物の素材を冒険者ギルドに売却していたら、かなりの金額を稼いでしまったんですよ。その結果、領主様とお会いすることになりました」
思いがけないことだったのか、イリスさんは目を大きく開いて、驚いていた。
「よく考えてみると、人間たちにとって、ここは宝の山になるのね」
「無暗に売りさばくつもりはありませんが、すでにモンスター財閥と言われ始めるほど、金銭的に余裕があります」
「そ、そんなことになっていたのね……。女神としては、転移先を間違えた気がするわ」
イリスさんの言いたいことはよくわかる。
既に俺は、便利な【箱庭】スキルだけでなく、魔物と友好関係を築きやすくなる加護までいただいているのだ。
それに加えて、大金持ちになる環境まで整えられているというのは、さすがに恵まれすぎているような気がした。
ただ、危ない橋を渡っているのも事実なので、許してほしい思いもある。
「金銭的に余裕はあったとしても、楽なことばかりではありません。危険な目にも遭いましたし……というか、現在進行形でややこしいことにはなっています」
「それは、本当にごめんなさい。この地は安全で、平穏に暮らせると思ったのよ。ま、まあ、アーリィちゃんもお世話になるのであれば、このことは許容範囲としておくわ」
さすがにアーリィが泣いたばかりなので、何かを制限することはないみたいだ。
俺が今回の一件に協力する、ということも大きい気がする。
「とりあえず、冒険者ギルドや領主様の周辺で怪しい人物がいないか、探りを入れてみます」
「無理はしないでね。大きな問題に巻き込まれそうであれば、私の名前を出してくれても構わないわ。安直に手を出してこれなくなると思うから」
イリスさんは、冒険者ギルドでコカトリスの討伐を報告していた時に注目を浴びていたから、すでに冒険者として箔がついているんだろう。
面倒ごとに巻き込むのは気が引けるが、ここは素直に甘えさせてもらおうと思った。
まあ、まずは問題を起こさないように計画を練るつもりではあるが。