第63話:誤情報
クレアが花の世話に戻る頃。
拠点を訪ねてくれたイリスさんをリビングに通した俺は、彼女と向き合うように椅子に腰を下ろした。
「どうやら盗賊たちと行き違いになっていたみたいですね。彼らがここに来たのは、約一週間前のことでした」
「その口ぶりからすると、直接対峙したみたいね。本当にこんなところまでやってきただなんて、にわかには信じられない話だけれど」
「厳密には、軍隊蜂の巣がある場所の近くまで、ですね。でも、みんなで協力して対処に当たったので、こちらに大きな被害はありませんでしたよ。小さな花畑が毒で枯らされて、軍隊蜂が悲しんでいたくらいです」
「そう……。無事で何よりだわ」
安堵した様子を見せるイリスさんは、大きなため息をこぼしていた。
盗賊たちが隠れ家に戻ってこなかったから、大きな問題に発展しているのではないかと、心配してくれたんだろう。
本来であれば、ここは軍隊蜂が守る安全な土地だが、異例のことが続いているため、何が起きてもおかしくはない。
現に、盗賊たちは軍隊蜂を出し抜き、蜂蜜を手に入れようとしていた。
盗賊たちの撃退に成功したところで、これで一安心……と、楽観することはできなかった。
「実際に盗賊たちと話したんですが、彼らだけで企てた計画ではないみたいで、事情を隠していたように思います。かなり計画的な犯行みたいでしたね」
「何者かの支援があったのは、間違いないわね。彼らの隠れ家を調べたけれど、随分と優雅な暮らしをしていたもの。少なくとも、食べ物には苦労していなかったわ」
「冒険者ギルドに確認してみたところ、盗賊の目撃情報は届いていなかったそうです。でも、盗賊たちの話を聞いた限りでは、カルミアの街に協力者がいるんじゃないかと疑っています」
「はあ~……、厄介な問題になりそうだわ。身分の高い人が支援していた場合、迂闊に手を出すと大変なことになるのよね」
いくらイリスさんが本物の女神様とはいえ、一人の冒険者として活動する限り、人間社会のルールに従う必要がある。
悪者を強引に捕まえたり、勝手に裁きを与えたりすれば、彼女が不利な立場に追いやられてしまうだろう。
どれだけ崇高な心を持ち、正しい行動を取ったしても、多くの人々にその行為が受け入れられるとは限らない。
ましてや、女神様が犯罪者になるわけにはいかなかった。
しかし、不穏な出来事を目の当たりにした俺は、冒険者のイリスさんではなく、女神アイリス様の力添えをいただきたいとも考えている。
「もう一つ気になることがあるんですが、盗賊たちの隠れ家に笛みたいなものがありませんでしたか? 吹いても音が出ない特殊な笛なんですけど」
「いえ、見当たらなかったわ。それがどうかしたのかしら」
「実は、盗賊たちが音の鳴らない笛を吹いて、ウルフを操っていたように見えたんですよね」
盗賊たちから言質が取れなかったため、それを証明することはできない。
しかし、あの時の状況から推測すると、ウルフを操っていたのは間違いようのないことだった。
「う~ん、聞いたことがない話ね。この世界では、そういう技術が開発されたと公表した国は存在しないわ。そもそも、魔物を操るという発想が邪道だから、危険な思考を持っていると軽蔑されかねないことだもの」
「俺の勘違いだった、と言いたいところですけど、そうは思えないんですよね。盗賊たちがウルフを操り、軍隊蜂の縄張りを荒らしている隙をついて、蜂蜜を狙っていたみたいなんですよ」
「偶然に偶然が重なった、という形ではなくて?」
「違うと断言してもいいのかもしれません。盗賊たちは、軍隊蜂の情報や習性にも詳しく、明らかに魔物に精通していました。蜂蜜を持ち出した際、軍隊蜂が追いかけてこないようにと、街道の花まで枯らせていましたからね」
盗賊たちが入念な計画を立てていたことを伝えた瞬間、これまで曖昧な立場をとっていたイリスさんの顔色が変わる。
「その話を聞くと、確かに人間が魔物の生態系を詳しく調べているみたいね」
「そうなんですよね。俺もそんな習性があるとは知りませんでした」
「いいえ、そういう意味ではないわ。事実が捻じ曲げられているか、間違った情報を参考にして動いていた、という意味よ」
「えっ?」
突然、イリスさんに衝撃的なことを言われて、俺は呆然とすることしかできなかった。
「確かに軍隊蜂は、花の咲く地域にしか生息しないわ。でもね、決してそれ以外の地域を移動できないわけではないの。街道の花を枯らせたくらいで、動きを制限することは不可能よ」
そういえば、軍隊蜂に護衛依頼を頼んだ際、花のない街道付近まで同行してくれたことがあった。
花のない地域に移動できないのであれば、その時点で矛盾するだろう。
「それにね、軍隊蜂の蜂蜜は、花の香りが強いでしょう? たとえ遠くに離れたとしても、大量に持ち運んでいれば、彼らに突き止められてしまうわ」
軍隊蜂と共に過ごしてきた俺にとって、イリスさんの言葉は納得がいくものだった。
盗賊たちの言い分の方が非科学的であり、都合の良い解釈だったと言い換えることもできる。
「つまり、軍隊蜂の生態を観察していた人間の勘違いで、盗賊たちに誤った情報を流していた、ということですか?」
「平和的に考えるのであれば、ね。軍事的な観点から見ると、あまり良くない状況だと思うわ」
「……盗賊たちに蜂蜜を街に運ばせることで、軍隊蜂に襲撃させる予定だった、と」
「ええ。軍隊蜂を利用して、街を壊滅させる作戦だったのかもしれない。盗賊たちに罪を着せられるし、証拠も残らないものね」
イリスさんの考えを聞いて、俺は背筋がゾッとしてしまう。
本当の目的はわからないが、黒幕の人間次第では、かなり恐ろしい状況に発展する可能性が高い。
金に目がくらんだ人間の仕業なのか、他国が計画した侵略行為の一環だったのか、それとも、ルクレリア公爵家に強い恨みを持つ者でもいるのか。
どの可能性を考えたとしても、恐ろしい事件が起こる寸前だったのは、間違いないことだった。
異世界の都市を守ったといえば、言葉の響きは良いが……。
俺、相当ヤバイ案件に首を突っ込んでしまった気がする。
「欲望に満ちた人間がいるのは、間違いないわね。嫌な仕事を見つけちゃったわ」
これまで優しい印象だったイリスさんも、この状況を重く受け止めているみたいで、怒りに満ちた雰囲気だった。
当然のことながら、危険な魔物を倒すだけが女神の仕事ではないんだろう。
たとえ人間であったとしても、世界の理に反した行為を取るのであれば、それ相当の罰を与えなければならない。
そのことがよくわかるように、部屋の中にピリピリとした空気が流れていた。
これからイリスさんはどうするつもりなんだろうか……と考えていると、タイミング悪く、食材探しに行っていたアーリィが戻ってくる。
「ただいま……って、あれ? こんな場所にお客……ん? 師匠?」
「えっ? アーリィちゃん?」
キョトンッとした表情を浮かべる二人が見つめ合うと、重苦しい空気は一変する。
すぐにアーリィの目に涙が溢れ、イリスさんに抱きついたのだ。
「うわ~ん。師匠、会いたかったよー」
「えっ? あ、あれ? ど、どうしちゃったのかしら」
戸惑うイリスさんと、緊張の糸が切れてしまったのかのように泣きじゃくるアーリィを見て、俺は確信した。
アーリィはイリスさんから剣術を教えてもらっていたのだ、と。