第60話:アーリィとクレア
「はい、鳥の卵」
木から飛び降りたアーリィの両手には、大きな卵が三つもあった。
そういうところにも素材があるのか……と、感心する気持ちはあるものの、俺には到底真似できない行為である。
木を登るだけでも厳しいのに、素材を持って下りてくるとなれば、至難の業と言えるだろう。
アーリィみたいに飛び降りてしまったら、着地した瞬間、足を痛めるよう気がした。
これは、ケロッとした表情を浮かべるアーリィの方がおかしいと思う。
「どうしたの? もしかして、卵が嫌いなの?」
「いや、そういうわけじゃない。アーリィの身体能力の高さに驚いていただけだ」
「一応、私はCランク冒険者だからね。これくらいの木を登るくらいなら、まったく問題ないよ」
得意げに話すアーリィを見て、俺は彼女のことをほとんど知らないことに気づく。
今日までいろいろなことがあって、ゆっくりと過ごす時間が取れなかっただけに、仕方ないことだったのかもしれない。
「久しぶりにアーリィの冒険者らしい姿を見た気がするよ。初めて出会った時にウルフと戦闘していたが、まるで別人みたいだ」
「あの時は、盗賊の毒による影響が大きくて、本調子じゃなかったわ。普通に戦えていたら、ウルフを三匹相手にしても遅れを取らないもの。なんといっても、私は剣術を教えてくれた師に恵まれたからね」
「今の動きを見るだけでも、なんとなくわかる気がするよ。こんな大きな木を数秒で登るとは思わなかったぞ」
「まあ、木登りで褒められても自慢にならないけどね。ふふっ」
そういう割には、めちゃくちゃ嬉しそうだけどな。
褒められ慣れていないであろうアーリィから卵を受け取った後、俺は思い切って、彼女たちのことを聞いてみることにした。
「答えたくなかったら構わないんだが……。アーリィとクレアは、どこで知り合ったんだ? 姉妹ではないんだろう?」
「あれ? クレアから聞いてなかったんだ? 随分とクレアに気遣ってくれてたみたいだから、私が寝込んでいた間に話したのかと思い込んでいたわ」
実際にクレアに聞けるタイミングは、何度かあったような気がする。
しかし、アーリィを心の支えにしているみたいだったから、彼女が寝込んでいる間に聞こうとは思わなかった。
クレアに教えてもらったことといえば、アーリィは朝が弱くて、方向音痴だということくらいだが……。
それを言うと後でクレアが怒られそうなので、黙っておくことにしよう。
「まあ、クレアに直接聞かなくてよかったと思うわ。あまり良い話じゃないからね」
前置きを入れたアーリィは、昔のことを思い出すかのように、遠い目をしていた。
「隣国のサウスタン帝国で、小さな村が壊滅する事件があったの。魔物による仕業だったのか、盗賊による強奪だったのか、それとも、違う何かが原因だったのか。今でもハッキリとわかっていないらしいわ」
「原因不明……?」
「ええ。普通は冒険者ギルドや国が調査を兼ねた後処理の依頼を出すんだけど、あの時は違った。生存者がいないと決めつけたかのように、後処理の依頼だけだったわ」
人間と魔物の痕跡は違うだろうから、ちゃんと調査すれば、原因くらいはわかるような気もするが……。
壊滅した村が小さかったことを考えると、蔑ろにされてもおかしくはなかった。
「廃村になると魔物が群がる傾向にあるから、後処理の依頼を受けた私は、急いで現地に向かったの。そこで偶然隠れていたクレアを発見して……。まあ、そのまま引き取った形ね」
後ろめたいことでもあったのか、アーリィは僅かに口を濁していた。
おそらく、冒険者ギルドや国の対応に違和感を覚えた彼女は、村に生き残りがいたことを報告しなかったんだろう。
誰もいないはずの廃村から生還したとなれば、たとえ子供であったとしても、重要参考人として厳しく聴取されたり、犯人に仕立てあげられたりしても、不思議ではないのだから。
実際のところはわからないが、アーリィたちが隣国から移ってきたことを考えると、クレアを安全な場所に遠ざけようとしていることは、明白なことだった。
「大人になるまで面倒を見る、という約束をしていたのは、そういう経緯があったのか」
「師匠から教えてもらった剣術があれば、二人分の稼ぎは余裕……だと思ってたんだけど、現実は厳しかったわ。クレアを街に置いていくわけにはいかないし、依頼に小さな子供を連れていくとなると、いい顔をされなかったから」
故郷を失ったばかりのクレアを、一人にさせたくない気持ちはわからなくもない。
しかし、魔物を討伐する冒険者にとって、戦闘もできない小さな子供を依頼に同行させると、足枷になってしまう。
その結果、自分のレベルにあったものではなく、クレアと二人で達成できる依頼を受けていたに違いない。
金欠に陥っていたのは、報酬の低い依頼しか受けられなかったから、ということか。
「自分の考えが甘いものだと思い知らされたわ。クレアの魔法使いの素質を伸ばしてあげることもできなかったし、お金のやりくりもうまくいかなかったもの」
「悲観する気持ちもわからなくはないが、やってきたことのすべてが悪いわけじゃないと思うぞ。アーリィに対して、クレアが感謝の気持ちを抱いているのは、俺でも感じ取れるからな」
「クレアを引き取ったことに、後悔はしていないわ。でも、トオルと出会っていなかったら、私もクレアもここで命を落としていたのは事実よ。反省しなくちゃいけないところは、ちゃんと反省しないとね……」
アーリィに話を聞きだした以上、もっとしっかりとフォローしてやりたい気持ちはある。
しかし、今後もアーリィが冒険者として生きていくのであれば、重く受け止めるべき問題だとは思うので、必要以上に口を挟むことはできなかった。
俺にできることは、気持ちの整理をつけられる場所を提供してやることかもしれない。
「先を急ぐ旅じゃないなら、ゆっくりしていってくれよ。俺としては、二人が長く居てくれた方が助かるからな」
「うん、ありがとう。クレアのこともあるし、遠慮なく滞在させてもらうわ。まあ、長期滞在するなんて、不思議な気分なんだけどね。師匠と過ごした時以来だから、子供に戻ったみたいで、ちょっと恥ずかしいわ」
そう言ったアーリィは、本当に恥ずかしいみたいで、森の中を駆け出していく。
「じゃあ、私はもう少し拠点から離れた森に行って、食材を調達してくるわね」
「ああ、頼む。心配はいらないと思うが、あまり無茶はするなよ」
「大丈夫よ。困ったことがあったら、軍隊蜂がいそうな場所に逃げ込むから」
少し寂しそうな彼女の背中を見送った後、俺は先に拠点へと帰っていくのであった。