第56話:軍隊蜂の蜂蜜
軍隊蜂の縄張りで襲撃事件が起きてから一週間が過ぎる頃。
何事もなかったかのように時間が流れ、俺たちは平穏な日々を過ごしていた。
最近は軍隊蜂のことで手一杯だったため、久しぶりにウサ太とのんびり戯れたい……という気持ちはあるが、あまり悠長なことは言っていられない。
盗賊たちが軍隊蜂の蜂蜜を得ることに失敗した以上、再び黒幕が動き出す恐れがあるのだから。
とはいえ、肝心の黒幕の存在がわからないことには、こちらも対処のしようがない。
そこで、今回の事件に関する情報を得て、信頼できる仲間を増やすべく、俺は今、冒険者ギルドに訪れている。
荷物袋から片手に収まるほど小さな小瓶を取り出した俺は、いつも買取をしてくれているフィアナさんに差し出した。
「こちらの買取をお願いします」
「こ、こちらは……?」
「軍隊蜂の蜂蜜ですね」
このタイミングで軍隊蜂の蜂蜜を納品すれば、悪目立ちしてしまい、黒幕に目をつけられる危険性はある。
だが、小瓶に入る量など僅かなものなので、その心配はいらない。
むしろ、フィアナさんを仲間に引き込むためには、これが最良の方法になると確信していた。
なぜなら、前回会った時にハニードロップを渡して、布石を打っておいたからだ。
「ほ、本物の軍隊蜂の蜂蜜、みたいですね。初めて見ました……」
神妙な面持ちのフィアナさんを見れば、作戦がうまくいったと容易に推測することができる。
「意外ですね。まさかフィアナさんがそこまで畏まるとは思いませんでした」
「いえ、これが普通だと思いますよ。軍隊蜂の蜂蜜は、かなり貴重な代物です。少なくとも過去数年間は、国内外問わず、冒険者ギルドで買取できていないはずですね」
フィアナさんの言葉を聞いて、俺はこう思った。
どうしよう。予想を遥かに超えるほど希少価値が高い、と。
以前、アーリィから軍隊蜂の蜂蜜のことを聞いて、珍しいものだと知っていた。
しかし、世界規模で取引されていないほど珍しい素材であるならば、話は変わる。
カルミアの街で注目されるどころか、国内……いや、異世界中から熱い視線を向けられてもおかしくはない出来事だと思った。
危なかった……。何も考えずに大量に持ち運んだり、大きな瓶で納品していたりしたら、めちゃくちゃ悪目立ちするところだったぞ。
「まさかここまで仰々しい対応をされるとは」
当初の予定では、トレントの果実の時と同じように『軍隊蜂はとても危険な魔物ですよ』などと、フィアナさんに注意される程度だと想定していた。
それに対して俺は『魔物に好かれる体質なので、本当に大丈夫なんですよ』と、改めて彼女に伝えることで、信頼を得ようと思っていたのだが、現実は違う。
軍隊蜂の蜂蜜を魔道具で鑑定したフィアナさんは――、
「本物ですね……」
と、神妙な雰囲気を崩すことなく、軍隊蜂の蜂蜜が入った小瓶を梱包し始めたのだ。
割れないように緩衝材の藁を入れて、丁寧に箱に入れる姿は、真剣そのもの。
同じく貴重なトレントの果実の時でさえ、そんな大袈裟な対応を見せなかっただけに、俺は動揺を隠すことができなかった。
「何をされているんですか? お願いしたのは、買取ですよね?」
「現在の冒険者ギルドでは、軍隊蜂の蜂蜜を買取不可素材に分類しております。そのため、高ランク冒険者に輸送依頼を発注して、王都に運んだ後、オークションにかける形で買い取らせていただきますね」
なぜだ……。どうしてこんなことになったんだ?
想定していた展開と違いすぎるぞ! 悪目立ち街道まっしぐらだ!!
「すみません。ちょっと聞き取れなかったので、もう一度おっしゃっていただいてもよろしいですか?」
「現実逃避されないでください。普通はお喜びになられるところですよ」
「おっしゃる通りだと思いますが、驚きすぎて簡単に受け入れられないんですよ。完全に想定外の状況が生まれています」
「そのお気持ちに同意します。私も、まさか軍隊蜂の蜂蜜を買い取る日が訪れるとは思いませんでした」
そこは同意されても困ります……! どうして目をキラキラと輝かせているんですか!!
軍隊蜂が近場に生息しているんですから、そういう日が来ることを想定しておいてくださいよ。
まあ、軍隊蜂はそれほど危険な魔物に分類されている、という証拠なのかもしれませんが。
「知り合いの冒険者が、軍隊蜂の蜂蜜はスプーン一匙で金貨十枚はくだらない、と言っていました。わざわざオークションにかけるほどの素材とは思えないんですが」
「滅相もないです。軍隊蜂の蜂蜜は、難病の治療薬だったり、病弱の貴族が薬代わりに愛用したりしますので、品薄が続くと高騰します。特に現在は、それが採取されていた地域で魔物同士の勢力争いが長引いているため、今後の見通しが立っておりません」
「なるほど。一時的に採取できなくなるだけならともかく、勢力争いの結果によっては、軍隊蜂が絶滅したり、追い出されたりして、それどころではなくなってしまうと」
「はい。仮に軍隊蜂が勢力争いに勝利したとしても、長期化していますので、今まで通りというわけにはいかないと思います。興奮した軍隊蜂が周辺の街や村を襲う可能性もあるため、しばらく立ち入り禁止区域に指定されると思われます」
確かに、魔物同士の戦闘が続いて、その死体や血で土壌環境が汚染されてしまったら、軍隊蜂が生息地を変えても不思議ではない。
花が咲く場所を求めて、人里に下りてくることは十分に考えられることだろう。
「その結果、希少性が高まった軍隊蜂の蜂蜜は、オークションにかけることが義務付けられている、と?」
「各国の方針というわけではありませんので、個人間取引であれば、問題はありません。冒険者ギルドでは、混乱を避けるための措置として、そのように対応しているだけです。現在の状況を考慮すれば、これほどの小瓶でも金貨三百枚……いえ、それ以上の価値がつくかもしれません」
金貨三百枚以上? 日本円にして、三百万円超え!?
手の平サイズの小瓶に、少量の蜂蜜が入っているだけで、そんなにもするものなのか?
……いや、違う。これは、逆だ!
こんなにも小さな小瓶で納品したからこそ、逆に価値が高まっているんだ!