第102話:流れが変わったな
アーリィとウサ太と共に湖に戻ってくると、フィアナさんとクレアが軍隊蜂と一緒に出迎えてくれる。
「ご無事で何よりです……」
「だから言ったでしょ? アーリィがいれば大丈夫だって」
クレアが自信満々に胸を張る一方で、フィアナさんは涙ぐんでいた。
状況が状況だっただけに、心配してくれたんだろう。
周辺を警戒していたであろう軍隊蜂も、安堵した様子だった。
この様子を見たアーリィは、さすがに苦笑いを浮かべている。
「なんだか大きな事件になっちゃったわね。魔物を倒すだなんて、冒険者にとっては日常茶飯事なのに」
「あははは……。そ、そうだな」
アーリィには、『人間が魔物と化した』としか説明していないので、なんと答えていいのかわからない。
愛想笑いで誤魔化して、この場をやり過ごすしかなかった。
なぜなら、実際にとんでもないほどの大事件が起きていたのだから。
サウスタン帝国が軍隊蜂を利用していたことも、国境付近に建設された砦を襲撃したことも、売国行為を働いたゴードン伯爵が魔血薬で化け物と化したことも。
世界情勢を大きく動かしかねないレベルの大問題だった。
それに終止符を打ったであろうイリスさんとロベルトさんも戻ってくると、ようやく事件が幕を閉じたことを実感する。
ただ、かなり激しい抵抗をされたのか、ロベルトさんはところどころ傷を負っていた。
「まさかロベルトさんが怪我をするとは思いませんでしたが、そちらも大きな問題はなさそうですね」
「ええ。概ねは問題ありません。まったく被害がないというわけではありませんがな」
そう言ったロベルトさんが、腰に差していた剣を見せてくれたのだが……。
ボロボロという表現がピッタリなほど刃こぼれしていて、無残な姿になっていた。
向こうも魔血薬の影響で大変だったんだろうな、と思っていると、イリスさんがしどろもどろしていることに気づく。
「ご、ごめんなさい。剣を向けてきたから、サウスタン帝国で悪事を働いた人なのかと思っちゃって……」
どうやらロベルトさんの剣をボロボロにしたのは、イリスさんらしい。
しかし、ロベルトさんはあまり気にした様子を見せず、首を横に振っていた。
「いえいえ、これは私の過失にございます。剣を抜く機会が減ったとはいえ、手入れを怠っていた影響が出たのでしょう」
「そんなことないと思うわ。とても剣を大切にしてたと伝わってくるもの。どちらかといえば、ちょっとその……本気を出しちゃったかなって」
苦笑いを浮かべるイリスさんを見れば、本当にやりすぎた力を行使したことくらいは、容易に想像がついた。
チート能力持ちの女神様に本気を出させるなんて、ロベルトさんは思った以上に規格外の人なのかもしれない。
「いやはや、老いぼれが図に乗るべきではありませんでした。私を守るために剣が身を捧げてくれたと思い、後で供養したいと思っております」
ボロボロになった剣を大事そうにしまうロベルトさんだが、俺はそんな彼に対して、一つだけ確認したいことがある。
「俺、ロベルトさんに彼女は味方だと言いませんでしたっけ?」
女神様がお怒りの案件だったため、二人が衝突しないようにと思い、そのことを伝えたはずなのだが――。
「あまりにも優雅な剣術でしたので、少々手合わせを……と思いましたら、返り討ちに遭ってしまいました。危うく、可愛らしいお嬢さんに引導を渡されてしまうところでしたな、ハッハッハ」
九死に一生を得たロベルトさんが笑って済ませようとする中、イリスさんは「まあっ! お嬢さんだなんて……!」と、盛大に照れていた。
女神様なのに、意外にこういう言葉に弱い方である。
そんなイリスさんにも、今回の襲撃について、確認しておきたいことがあった。
「もうサウスタン帝国の脅威は去ったと思っていいんでしょうか?」
偶然、俺たちはイリスさんと合流を果たしたものの、彼女が同じような目的で動いていたことを知っている。
サウスタン帝国の砦を強襲したのであれば、すでに根回しもしてくれているような気がした。
「いろいろと細工しておいたから、問題ないと思うわ。砦が崩壊したのも、軍隊蜂に襲撃されたことが原因だと認識されるはずよ」
「それならよかったです。じゃあ、後はサウスタン帝国が大人しくしている間に、山の生態系を正常化させるだけですね」
「そのことも心配しなくていいわ。すでにサウスタン帝国で分断されていた軍隊蜂を集めて、国境付近に停滞させているの。今頃、エレメンタルキャットが主導となって、熱心に花の種を植えて、縄張りを復活させようと頑張っているはずよ」
普段はおっちょこちょいな一面があるものの、今日のイリスさんは女神様モードで、抜け目がない。
完璧とも思える計画を遂行してくれていた。
これには、フィアナさんも安堵の表情を浮かべている。
「これでカルミアの街に悪影響が及ぶ心配もなくなりそうですね」
今回の一件で、サウスタン帝国との戦争を止めただけでなく、軍隊蜂との戦いも未然に防ぐことができた。
フィアナさんが喜ばないはずもないだろう――と思っていたのだが。
突然、フィアナさんが険しい表情を浮かべる。
「ところで、あなたはAランク冒険者のイリス様ですよね。状況が状況なので、強く申し上げることはできませんが……。こちらで何をされていたのか、詳しい内容をもう一度うかがってもよろしいですか?」
ん? 流れが変わったな。
冒険者ギルドの職員であり、公爵令嬢でもあるフィアナさんを前にして、呑気に話している場合ではなかったのかもしれない。
イリスさんもすっかり油断していたみたいで、目が泳ぎまくっている。
「えっ? いや、その~……。ぐ、偶然……居合わせちゃった、みたいな?」
てへっ、と可愛らしく舌を出しても、見逃してくれるような相手ではなかった。
「先ほどの発言からは、様々な細工をした上でサウスタン帝国が建設した砦を襲撃した、と解釈することができました。一介の冒険者が関与するには、あまりにも大きな問題で――」
逃げ場のないフィアナさんの追及を受けて、イリスさんが滝のような汗を流し始めたので、ここは助け舟を出すことにしよう。
「まあまあまあ、フィアナさん。いったん落ち着きましょう。イリスさんがいなかったら、この問題はかなり長引いていたと思いますよ」
「……おっしゃる通りだとは思いますが」
「イリスさんには、事前に軍隊蜂のことでいろいろと頼んでいましたから、これも戦略のうちです。それに、イリスさんにはと~ってもお世話になっているんですよねー」
俺は、見逃してあげてください、という意味を込めた大人の悪い笑みを浮かべてみる。
これは、ゴードン伯爵から逃がして差し上げましたよね、という意味があるので、フィアナさんが強く出れるはずもない。
そのため、イリスさんに対する追及はピタッと止み、代わりに大きなため息を吐いていた。
「はあ~。イリス様にも協力をお願いしていた、ということにしておきます。ロベルトもそれでいいですね?」
「かしこまりました。さすがに今回ばかりは、我々の分が悪いですな」
「私もそう思います。このまま頭が上がらなくなってしまうのは、貴族としては避けたいところですが」
一難去ってまた一難というべきか……。
軍隊蜂の問題が解決したはずなのに、今度は普通のオッサンに頭が上がらなくなるという奇妙な問題が発生していた。
当の本人である俺は気楽なものだが、よーく考えてみると、フィアナさんが頭を抱える理由も何となくわかる気がする。
街の近くにオッサンが住み着いて、軍隊蜂を牛耳っていると考えたら、けっこう大変なことだよな……と。
そして、もう一つ大きな問題が発生していることに気づく。
「クレア、これまでの話はきっと聞いちゃいけないわ。今すぐ忘れなさい」
非常事態だったとはいえ、事件が解決した後に国家機密の情報が漏れたとわかった瞬間なのであった。