第100話:頼りないオッサン
サウスタン帝国の対処をロベルトさんに任せた後、俺とフィアナさんはアーリィたちと合流するため、森の中を走っていた。
あれだけ大きな音を立てていれば、周辺の魔物も警戒するだろうし、軍隊蜂も動揺しかねない。
早くアーリィたちと合流して、軍隊蜂をなだめる必要があった。
しかし、道中で一人の人物が待ち構える姿を見て、俺たちは足を止める。
「まさかこんな場所でお会いすることになるとは思いませんでしたよ、フィアナ公爵令嬢」
先ほど砦で話し合いしていたゴードン伯爵である。
どうやら砦が崩壊する音が聞こえて、様子を見に戻ろうとしていたみたいだ。
これは厄介な人に出くわしたな……と思いつつも、今やゴードン伯爵は売国者であり、もはや貴族として接する必要はない。
フィアナさんも同じように考えているみたいで、堂々とした態度を取っていた。
「帝国が建設した砦は、直に崩壊します。ゴードン卿が犯した罪は、リーフレリア王国によって裁かれることになるでしょう」
「砦? 罪? いったいなんのことですかな? 私には、フィアナ公爵令嬢の言いたいことがサッパリ……」
「隠しても無駄です。私たちが軍隊蜂の調査を進めている今、万が一の事態に備えて、街道から監視している者がいます。あなたがこの地に足を踏み入れたことは、すでにルクレリア家が把握していると考えるべきですね」
そう言ったフィアナさんは、スカートを軽くめくり、短剣を取り出した。
「すでにあなたが売国行為を働いていたことを確認しております。観念してください。抵抗するようであれば、痛い目を見てもらうことになりますよ」
短剣を持つ姿に迷いはないし、手が震えるような様子も見られない。
公爵令嬢の護身術にしては、随分と長けているように感じた。
しかし、ゴードン伯爵も怯えるような仕草を見せず、不敵な笑みを浮かべている。
「公爵家の人間ともあろうお方が、物騒なものをお持ちですねえ」
「もともとルクレリア家は、武家の家系です。潔く捕まることをおすすめします」
「そうですか。まさかルクレリア家の人間に、帝国と関わっているところを目撃されてしまうとは、なんたる失態……」
わざとらしく落ち込むゴードン伯爵だが、決して不敵な笑みを崩すことはなかった。
「街に戻れば、追われ続けなければなりません。しかし、この場でフィアナ公爵令嬢を人質に取れば、どうなるでしょうか。帝国に亡命できる……いや、良い交渉材料になりそうですねえ」
そう言ったゴードン伯爵は、懐から薬のようなものを取り出し、口に放り込んだ。
見る見るうちに化け物に近づいていく姿を見れば、ゴードン伯爵に余裕があった理由がすぐにわかる。
「帝国と繋がっているのであれば、そうなるよな」
こんな場所まで一人で訪れている以上、軍隊蜂に襲われても対応できる術があると考えた方が自然だった。
さて、これはどう対応するべきだろうか……。
ウサ太の能力を使えば、時間を稼ぐことはできると思うし、大怪我をすることはないはずだ。
しかし、生身のフィアナさんは違う。
武家の家系に生まれたとはいえ、護身術が使える程度だと考えると、かなり分が悪い。
彼女が怪我を負ったり、意識を失ったり、人質に取られたりするだけで、俺の立場も悪化するような気がした。
「向こうの狙いはフィアナさんみたいなので、とりあえず、ニャン吉を連れて逃げてもらってもいいですか?」
身を犠牲にして彼女を守るつもりはないし、化け物と化したゴードン伯爵に勝てるとも思わない。
イリスさんとロベルトさんが帝国の騎士たちを抑えている以上、今はアーリィやウサ太を頼るべきだと考えていた。
「失礼ながら、トオル様よりは武芸を嗜んでいると思いますが」
「その短剣でどうにかできる相手ではありませんし、力負けすることは確実だと思いますよ」
「ですが……!」
「俺も犬死にするつもりはありません。互いに生き残るために提案しているだけです」
フィアナさんが躊躇する中、ゴードン伯爵は嘲笑っていた。
「残念ですねえ。公爵家のお嬢様ともあろうお方の護衛が、そんな頼りないオッサンでえ!」
殺人衝動に駆られているようなゴードン伯爵の目は、とてもギラギラしていて、背筋がゾクッとしてしまう。
フィアナさんはそれに怖気づいたのか、反射的に足を一歩後ろに下げていた。
「……本当に生き残る手段をお持ちなんですね?」
「自分の身を守るだけなら、問題ないと思います。俺一人では、打ち負かせる相手だと思いませんが」
「そういう意味でしたか。わかりました」
意図を理解してくれたであろうフィアナさんの胸に、俺の肩からニャン吉が飛び移る。
「ニャン吉も頼んだぞ」
「ニャウッ!」
フィアナさんとニャン吉がこの場を離れようとすると、当然、妨害するようにゴードン伯爵が飛び込んできた。
それをウサ太の能力で防ぐと、どごーんっ、と大きな音が鳴り響く。
「まさか互角か!?」
「どこの馬の骨かわからぬオッサンと互角など、断じて許容できることではない。この力を得るために、いくらかかったと思っているのかね!」
さらに出力を高めたゴードン伯爵の攻撃をもらい、俺はバランスを崩されてしまう。
その隙をついたゴードン伯爵は、逃げるフィアナさんを追いかけようとするが――。
「馬鹿がっ! 逃げられるはずなど――なっ! 体が、動かな……!」
俺に背を向けた状態で、糸に絡まったゴードン伯爵は、見事に身動きが取れない状況に陥っている。
まさかシルクキャットに居場所を伝えようとして、糸を生成する能力を練習した効果が、こんなところで本領発揮するとは思わなかった。
これには、相手がただのオッサンだと油断したゴードン伯爵の過失もあるだろう。
「魔物の力を得る代わりに、知能が動物以下になってしまったか? 敵に背を向けるなんて、どこの馬の骨かわからぬオッサンでもやらない馬鹿な行為だぞ」
動きを止めたゴードン伯爵に近づき、ガードが弱そうな顔面をぶん殴る。
どごーんっ
ゴードン伯爵は勢いよく吹き飛ぶが、大きなダメージを受けたようには見えない。
すぐに立ち上がった彼は、苛立ったような表情を浮かべていた。
見た目でもわかる通り、魔物の能力を得るだけの俺とは違い、ゴードン伯爵の肉体はかなり強化されているみたいだ。
「うぐぐっ! こんなどこにでもいる頼りないオッサンごときに、この私が止められるだなんて……!」
怒りをあらわにするようにワナワナと体を震わせるゴードン伯爵に対して、俺は心を落ち着かせて、冷静に対処することにした。
「頼りないオッサンだと馬鹿にしてくれてけっこうだ。だがな、オッサンほどできないことは口にしないものだぞ」