最終章 アレンシアの魔女 04話 マールの旅、その終焉
「はぁ、はぁ、ここか?」
俺は両膝に手をついて、息を整えていた。
「なんなんだよ、あの森は……」
兄さんの手記を頼りに、この辺りだとふんで入った森で、散々迷わされた。
そういえば幻惑の森という記述があったな。あれがそうだったんだ。
忘れてた。
そしてやっと森を抜けて、廃村を横切り、坂道を上り、ここまで辿り着いた。
目の前には、立派な祠がある。
ここが、そうなのか。
「兄さんの願い、叶えてあげられそうだ」
俺は万感の思いを胸に、祠へと向かった。
兄……セレニウス・ノートリアスは、一年前に病でこの世を去った。
紅の魔女マールを追うと言って村を出て、旅から帰ってきたのが三年前。
子連れで帰ってきた時は、驚きで声が出なかった。
それから兄さんは手記を元に、紅の魔女マールの人生を一冊の本にまとめた。
何度も書き直し、兄さんが綴った本は完成に二年の月日を要してした。
兄さんが息を引き取る直前、多くのものたちが見守る中、俺はこの本を託された。
「アレックス。この本を、あらゆる町や村に、配ってくれないか。マールの偉業を伝えてほしいんだ。そしてマールを探し出し、彼女にも渡してほしい。彼女はもう、この世にはいないかもしれないが……兄からの、最後の頼みだ。どうか引き受けてくれ。そしてこの子……ゼクトを、頼む」
この言葉を残して兄さんは、冷たくなった。
その手を俺はずっと握りしめて、泣き続けた。
兄さんは本当に強くて、優しくて、頭がよくて……誰からも好かれる人だった。
俺も、ずっと兄さんに守られて育った。
俺は最初、兄さんがなんでそこまでマールに肩入れしているのか理解できなかった。しかし、マールの人生を記したこの本を読ませてもらって、やっと兄さんの気持ちに近づけた。
本当にたった一人の女性が、これだけのことを成し遂げたのか?
最初は疑問に思ったけれど、現実がそれらを全て裏づけている。
兄さんが書いた本の通り、マールが旅を始めてから急速に“魔法”という技術が普及し、今では各地に魔法学校が設立されている。
どの魔法学校にも必ず大きな杖を持ち、ローブに身を包んだ女性の銅像がある。紅の魔女マールは魔法学の始祖であり、今や神格化された存在だ。
彼女の人生を知るものは、ごく僅かしかない。
兄さんと、そしてこの本だ。
しかし兄さんから託された子が、まさかマールとの子だとは思わなかった。
それに兄さんがあの希少種族、蒼獣人だったなんて。兄さん亡き今、偉大なるマールの業績を世の中に伝えられるのは、弟の俺しかいない。
そして、俺は気づいた。
マールは兄さんのように、多くの人に見守られ、手を握られて、笑顔でその生涯を終えられなかったはずだ、と。
きっと人気のないところで、ひっそり寂しく、涙を流して息絶えたに違いない。
そう思ったら、俺の心に火がついた。
まずはマールを探し、この兄が書いた本の写しを渡す。
それから全ての町を巡り、マールの偉業を綴った別の本を配って回る。
こちらは俺が編纂したもので、原本から銀獣人や蒼獣人のこと、兄さんとマールの関係などを外し、大衆的にマールの崇高な思いと偉業だけ抜き出したものだ。
作業に時間はかかったけれど、兄さんの愛をアレンシアに広めたくはなかった。
それが終わると遺言に従い、俺はまだ目が離せない子供のゼクトを妻に預け、村を出た。これを読んだら、マールはいよいよ神として崇められるんじゃないだろうか。
アレンシアに神はいないが、それに相応しいとしたら……マールしかいない。
俺は息を飲み、祠に入る。
発光岩の煉瓦で組み立てられた祠の中は、独特な緊張感があった。
空気が冷たい廊下を歩き、扉を開く。
その部屋に入って……俺は、思わず声を上げた。
「まさか……マール?」
ゆっくりと、彼女に近づく。
彼女の後ろには巨大な丸い石碑が建っていた。
その台座に背を預けて座る女性。
長い杖、黒いローブ、マナを感じるワンド。
フードから零れた紅の髪。
間違いない。
やはり彼女がマールだ。
俺は咄嗟に片膝をついて挨拶をしようとして……口が止まった。
彼女から生気がない。微かな動きも感じられない。
この位置からでも理解できる。
マールは、息絶えていた。




