05話 僕のすべて
セレニィと一緒になって、三日目の夕方。
私とセレニィはヴァスト山脈の上り坂を終え、下り坂に入っていた。
この山道は作られた時に比較的、高低差がない場所を選んだようで、前後左右、険しく屹立した岩山が聳えていたけれど、道そのものは比較的平坦だった。
かつて私がルチルさんの商隊と旅をともにして、その商隊が落石に襲われて……。
今、隣で手綱を握ってくれているセレニィと出会い、初めて魔法を使ったのも、すべてここヴァスト山脈だ。
あの商隊の事件が起きたのはヴァスト山脈の南端部にあたり、現在は山脈の真ん中になる。アレンシアの中心を縦に区切る壁のようなこのヴァスト山脈が、如何に大きく長いかがわかる。
ここから街道沿いを西に行けば闇種族の巣窟であり、ジェドの中心である城塞都市ディゴバにたどりつく。
いよいよ、最後の四つ目の石碑だ。これが終われば、私は……。
「マール先生、今更ながら訊きたいんですが」
「うん?」
「なぜ、ディゴバなんですか? あそこは闇種族がジェド連邦を打ち立て、その首都にするべく、拡張しているほどの城塞都市ですよ? さすがのマール先生とはいえ、城門から入ろうとすれば命はないと思うんですが」
「ええ、そうね」
「そうね、って、どうするおつもりですか?」
「大丈夫よ。私の目的地は闇種族らが暮らすディゴバじゃないから」
「え、え?」
セレニィが首を傾げる。
その時、キャンプするにはちょうどいい洞窟が目に入ってきた。
「ねえセレニィ、その話は後にして、あの洞窟の前で馬車を停めてくれない?」
「あ、はい。おお、確かにキャンプにぴったりの場所ですね……中になにもいなければ」
「うん」
私は胸が締めつけられるほどの寂しさを感じていた。
セレニィには、すごく感謝している。徒歩だったらこんなに早くここまで来られなかっただろうし、食べ物にも飲み物にも困ることがなく、なにより私が渇望していた……話し相手になってくれた。
思い残すことは、ないかな。うん。
やがてセレニィが洞窟の前で馬車を停止し、キャンプの支度を始めたその背中に、私は馬車の御者台から声をあげた。
「セレニィ。いえ、セレニウス・ノートリアス」
「はい。あ、はい?」
雰囲気が違う私に、セレニィは困惑していた。
「明日の夕方。このまま私と一緒にいれば、あなたは命を落とす。だから明日の朝に……ここで、わ、別れましょう」
こんなことを言うのは私も辛い。
でも、セレニィとのひとときが楽しすぎた。
結局私は、また孤独な旅に戻らなければならない。
それなら、少しでも早くセレニィと離れた方が――。
「嫌です」
セレニィは笑顔で、きっぱりと私に言った。
「嫌って……私の話、聞いてた?」
「はい」
セレニィは私に身体を向けて、真剣な表情になった。
そして懐から、私の言葉を綴ったメモ帳を出した。
「マール先生。いや、マール。僕はあなたが好きです。愛しています」
「へっ!?」
突然の告白に、戸惑う私。
「これだけ過酷な人生を送って、何回も倒れて、その度に諦めようとしたのに、それでも立ち上がって歩き続けた。あなたは最高に素敵な女性であると同時に、アレンシアで最も高貴な人だ。だから僕は、あなたの呪いなんて怖くない」
「私が怖いのよ!」
思わず、声が裏返るほどの力で叫んでいた。
「こんなに甘えちゃって、こんなに楽しい旅にしてくれた相手に死が迫ろうとしている。あなたがよくても私がよくないの! セレニィを死なせたくない!」
「僕は死にませんよ」
「いいえ死ぬわ。私にかかわったものたちは、みんな死んでいくの! 最後は結局、私一人になるだけ! 辛いのよ。自分の身を切られるよりも、ずっと辛いの!」
「マール」
セレニィは徐に上着を脱ぎ、上半身裸になる。
そしてズボンのベルトを外し、少しだけ下にずらした。
「ちょ、何を?」
「あなたにだけは、僕の全てを見せます」
「はあ!?」
ぼっ、と、顔が熱を帯びる。
「ちょちょ、ちょっと何を――」
顔を熱くする私をよそに、セレニィは背中を向けた。
「初めてマールに会った時、僕は鼠人に襲われていました。なぜ、年上の子供たちは僕だけを置いて逃げたのか。不思議に思いませんでしたか?」
「それは少し思ったけど、夢中だったから、あまり覚えてないや」
「その時の、逃げた子供達の判断は正しかったんです。なにせあの頃の僕でも、鼠人程度なら、何匹襲ってこようが、僕の敵じゃありませんでしたから」
「泣いてたじゃない」
「それは……まだ幼かったですし、怖かったのは本当です。それでも僕が鼠人如きにやられることはなかった」
「どうしてそう言い切れるの?」
「それを見せます」
セレニィが前屈みになって、全身に力を込める。
すると、黒いマナが一気にふき出した!
「これは!?」
セレニィの碧い髪が腰まで這い、頭の上に耳が立ち、指先の爪が伸びて鋭利な刃物と化す。私に顔を向けたセレニィは、温和な人間の姿ではなく、眉が蒼い炎のように揺らぎ、牙を剥き出しにした獣だった。
「あなた、まさか……希少種族の、蒼獣人!?」
姿は変われど、目は優しいセレニィのままだった。
「赤子の頃、ソトリスの村にやってきた旅人が僕を捨てて逃げ、それから僕はノートリアス家に預けられて育った。不安定だった僕は子供の頃、何度もこの力を抑えきれず周囲を驚かせたらしい」
確かにそれは、誰だって驚くと思う。
私も驚いた。口調も変わっているし。
それにしても……凄い力。
これだけの力を持っていれば、確かに鼠人くらい、指で倒せそう。
「僕もマールと同じだ。希少種族と呼ばれているけれど、父母すら知らない。僕の唯一の理解者は血の繋がらない弟だけだった。アレックスだけは、いつも僕のそばにいてくれた。だからこうして、まっとうな大人になれたと思ってる。だから僕はマールの支えになる。いや、無理矢理にでも支えにならせてもらう!」
セレニィはそのまま趙訳すると、馬車の上にいた私を抱いて、洞窟の中へと入る。
そして人の姿に戻ると、そのまま私を押し倒してきた。
「きゃっ!」
恥ずかしい。と、とても困る。
「あなたに好きな人がいるのは知っているけど、今夜だけは、僕だけのマールだ」
「そんな」
セレニィが、優しく私に覆い被さる。
「僕はマールを心から愛している。マールが“彼”のことを想い続け、歩み続けたのと同じように、僕は子供の頃からあなたを追い求め続けた。そしてあなたの壮絶な人生を知って、僕の想いは間違いじゃなかっと確信した。あなたの人生は必ず後世に伝えるよ。でもその前に、僕はこれからなににも記してはならないことを、あなたにする」
「なにを――」
優しく顎を掴まれて上を向かされると、私の唇に柔らかな感触が広がった。
「んん――っ……」
少しだけ抵抗したけれど、セレニィの方が力が強い。
そのうち私は、抗うのをやめた。
唇が離れる。私にとって初めてのキスだった。
「ねえセレニィ。あなたには私よりも素敵でお似合いの女性がいるわ。だから、ね?」
「いや、そんな人はいない。僕にとってマールだけが女性だよ」
「でも、私、セレニィよりかなり年上――」
セレニィが人差し指を私の唇を当て、言葉を遮る。
「年齢なんか関係ない。僕はあなたの心も身体も、手に入れる」
「そん、な……」
「いいね?」
さすがにこの質問の意味がわからないほど愚かじゃない。
私はセレニィに……頷いた。




