01話 歩こう
ディルギノ氷公との戦いから、四年後。
双月暦五三二年。
あれから私はずっと、孤独な旅を続けていた。
時々、男性が私とともに旅を、と言い寄ってきてくれたが、フードを下ろし、この髪の色を見せると、慌てふためいて逃げていった。
それでも私は、闇種族だろうと陽種族だろうと関係なく、困っている人には積極的に声をかけ、魔法で解決した。
しかし、それでも“紅の魔女”が恐怖の対象であることに変わりはない。
いや、近年ますます畏怖の度合いが大きくなってきているように思える。
当然といえば当然だ。
なにせ私は、陽種族らの仇敵であり、闇種族の支配者だったフロージアのディルギノ氷公をも倒したのだから。紅の魔女、ディルギノ氷公を破るの報は、どこからか陽種族らにも漏れていた。
私がやったことにしないでくれって言ったのに。
エウトーめ。
もう四年も前の話だけれど、ディルギノを討ったことにより、陽種族は戦を優位に進めることができたし、絶対君主を失ったフロージアは未だにディルギノの後継者が定まらず、内乱が続いているそうだ。
そしてログナカンは、あの面白いエウトーが北西方面軍だけでフロージア軍を打ち破った功績により、各方面軍を糾合。無事にログナック王国を建国し、初代国王になったという。宰相は勿論、エウトーの右腕だった軍師サハデーだ。
そしてもう一つ、私の特性である「同じところに十日間以上、留まると、災厄が起こる」という点に関して、予想だにしないことが起きた。
それは「連続で十日間以上」ではなく「累計で十日間以上」だったということ。
そのせいで私は、いくつか町を滅ぼしてしまった。気づくのが遅かった。
この特性の真実を知った時、私は絶望のあまり軽く目眩がした。
私はいずれ、アレンシアのどの町や村にも行けなくなってしまう、ということに気づいたからだ。
これまでどの町に何日滞在したかなんて、覚えているわけがない。
ひょっとしたら私が訪れた瞬間、その町の地面が割れ、雷の雨が降り、炎が立ちのぼり、竜巻が起こるかもしれない。
いつしか私は、誰かが集う場所には行けなくなってしまっていた。
災厄をまき散らす“紅の魔女”の噂は、尾ひれと背びれどころか、本体までも変えて広まっていた。うっかりフードを下ろさず街道に出てしまって、行き交うものたちから石を投げつけられたこともあった。
なにもしていないのに、どうして私だけがこんな目に遭うのか……。
でも、だからこそ魔女なんだ。
マナを使い、力に変換させる法術を操る女、魔女。
そう呼ばれはじめて、何年になるかな。
あのマールの村で過ごした、平穏で優しい時間を忘れたことはない。
そして私の地道な活動は、無意味じゃないと信じたい。
街道を通る時、魔法の円陣を描いている人を多く見かけるようになった。
魔法は今や陽種族、闇種族など関係なく、必要不可欠な技術として確実に、このアレンシアの地に根づいてきた。
これが良いことなのか悪いことなのかはわからないけれど、たった一人の女から始まったものが、アレンシア中に広まっていくのは感慨深いものがある。
そして“彼”の声も、以前より多く聞こえるようになった。
“石碑巡りは、物凄く過酷な旅だからだよ!”
この声が、なぜか胸に刺さった。
石碑……なんのことだろう。
各地で石碑のことを訊いてみたけれど、首を傾げられるばかりだった。
そんな折、私はヴァスト山脈の東にあるドワーフの町に行った。
そこでドワーフらが不思議な石を発掘したというので見せてもらったが、それは私の予想を超える、とんでもないものだった。
他のものには理解できなかったのだけれど、この石は“マナを溜め込める”という特殊な力があった。
石の中には希にそういうものがあるというのだが、この石が他と一線を画すのは、溜め込んだマナを半永久的に保持できる点と、人の手によってマナを送り込めるところだ。今はあめ玉程度の小さくて丸く、黒い真球のこの石は、ドワーフたちでは手に負えないというので、私がもらい受けた。
肩掛け鞄から、皮の小袋を取り出し中を覗く。その時の石が五つ、静かに納められている。
確かにこの石を使えば、魔法を込めた石碑のようなものは作れるだろう。
でも、そんなことをしてなんの意味があるのか。
馬鹿馬鹿しい、と、私はその日も街道から外れた場所に野宿して、巨岩を背にして眠った。
気がつくと、私は一人の少女を上から見下ろしていた。髪はすみれ色で、胸はそれほど大きくないけれど……とても可愛いといえる部類の少女だと思う。
誰だろう?
そしてここは、どこだろう?
目の前には、元気そうな女の子がいる。
緑の髪で、目が大きくて、すみれ色の髪の少女と同じ服を着ている。
ここはどこかの軍隊なのだろうか?
女の子が、なにかを言っている。でも全く聞こえない。
なにかを指さして、少女の背中を押す。
目の前に現れたその人を見て、心臓が跳ね上がった。
銀色の髪に、紺碧の瞳。青いローブを身に纏った、ちょっと、ひ弱そうな可愛い男の子。
間違いない、あの人が“彼”だ!
声を出そうにも口が開かない。走り出しても全く前に進まない。
なにこれ、どうなっているの!?
そして気づくと、机が並んだ場所にいた。
彼が少女になにか言っている。
少女もなにか言い返しているようだけれど、耳に入ってこない。
聞こえたのは、ただ一つの単語だけ。
“石碑巡り”
なんだろう?
胸の奥がぞわぞわする。
頭が、痛い。
この言葉は絶対忘れちゃいけないものだ。それだけはわかる。
私は脳裏にしっかりとその言葉を刻み込みつつ、赤くなったり青くなったりする、微笑ましい二人の姿を眺めていた。
いいなあ。
私もそういう人生を送りたかった。
もし普通の女の子だったら、きっとマールの村で、ハ、ハーラルと、この子たちみたいに仲良くなって、今頃は結婚して、子供もいたかもしれない。
とても儚い夢だけれど。
そのハーラルも、村長であるお父さまも、優しいお母さまも。
殺したのは……私だ。
酷いよね。ごめんなさい。だって、知らなかったの。
いいなあ、この子たちは。
きっと想いを伝え合って、たくさんキスをして。
愛しあえると思うから。
もう、見ていたくない。
胸が痛くなるだけ。
だ、
か、
ら。
……。
…………。
バン、と頭の奥で炸裂音がして……最後の扉が、開いた。
「うわあああああああああああああ!」
私は飛び起きた。
「はあ、はあ、はあ」
息を整えて、両手を見る。
(多すぎる……)
私はその時、なぜか、フォレストエルフの女王フィオン陛下が言っていた言葉を思い出した。
多すぎる?
なにが多すぎるというのだろう。
あの時は全く気にならなかったこの言葉が、妙に胸をざわつかせた。
私は改めて、自分を振り返る。
真紅の髪と瞳を持つこと。
過去の記憶がないこと。
魔法が使えること。
災厄を呼ぶこと。
……そうだ。
この中に真実への扉を開く鍵がある。
それは「記憶がない」ことだ。
なぜ、私には記憶がないのか。
あのマールの村の坂道に倒れていたのはなぜか。
そもそも私の名前は――
……あれ?
思い出せる。
そうだ、そうだよ。
私の名前、生まれ育った場所。
“私”のことも。
全部、思い出せる!
そっか、フィオン陛下の言葉はこれを指していたんだ。
私の呪いは五つではなかった。
二つの呪いと、三つの“思惑”だったんだ。
「なら……石碑を建てなくちゃ!」
私はゆっくりと立ち上がり、空腹を堪えて歩き出した。
でも、不思議と辛い思いは消えていた。
何故なら、人生をかけた“生きる目的”を、はっきりと見据えることができているから。
これは私がやらないといけない。
いや、私にしかできない。
最初の目的地はアレンシア南西部、セレンディア。
身体はぼろぼろだったけれど、気力だけはとても充実していた。
長らく旅の相棒になってくれている幻惑の杖に体重を預け、よろよろとセレンディアに向かって歩き始めた。
この一歩はとても小さなものだけれど、いずれ大きな一歩になる。
頑張ろう。
命を削ろう。
さあ――
歩こう。




